13





 普段おどけた様子を見せるメリアの真剣な声色に空気が硬くなったのを感じる。

 井蛙だった。カランコエは生まれ持って皇子という立場でありながら、政治には関与してこなかった。それはまだ幼かったこともあるが、カランコエは竜族から迫害を受け両親に守られ世界を見ずに生きていたからだ。

 そもそも竜族が人類との交流が浅いとはいえ、カランコエは国際問題に対する知見があまりにも浅い。人間であり、この先、一つの国を背負うことになるであろう血筋の主人を持ちながら意識が足りていなかった。

 カランコエは今後のレーグルスの立場こそ危惧していたが、フレナ公女の死に一切の情を抱かなかったのだ。それ程に、他国に対して興味がなかった。

「…」

「まあ、今後の話だよ。王子様は君に公女様のこと話して無かったみたいだし?みんな、知らない人間のことなんかどうでもいいっしょ。フツー」

 閉口したカランコエに、メリアは砕けた口調で手を振りながら空気を緩めた。

「でさ、他にもなんか聞きたいことあんじゃない?」

 メリアの言葉に、カランコエは顎に当てていた手を離す。

 カランコエにとって、もっと重要でメリアに聞かなければならないことがあった。

「…魔力の活性化と鎮静」

 少女に路地裏で言われたことだ。そして、この身で体験したこと。

「んね、あの子からしてもらったんだね。どうだった?」

「どう、…いや、あの時は驚いて、どうということも…。というか、メリアさんは竜族同士でこういったことができるってご存知だったんですよね?」

 何故、メリアは自分に施してくれなかったのだろうかと疑問に思っていた。少女とメリアの口ぶりからも以前から、このような儀式があったことは知っていた筈だ。加えて、カランコエの抱く竜族としてのコンプレックスも彼は察していることだろう。

 教えてくれても良かったのではないか。勿論、教えてもらう義理がないとはわかっていながらも身勝手にもいじけていた。

「うん。でも俺は出来ないよ」

 カランコエの棘のある物言いを感じ取ったのか、メリアは文句を遮るように、そうして平然と言う。

「俺、人間の魔力混ざってるし」

 なんて事のないようなカミングアウトだった。いや、実際メリアにとっては会話の地続きで明かすことができるくらいのことなのかもしれない。カランコエの脳が簡単にその情報を理解できるかは、また別の問題だが。

「に、人間の魔力?」

 会話の流れのうちに理解し得ない単語が登場して、カランコエは眉を寄せて己の脳に残る知識を探った。それにしたって、その様な情報を記憶の中から絞り出すことは叶わない。

「うん。世間的にあんま知られてないから君も理解できなくて当然。まあ人間にも魔力は存在するんだよ。彼等はその魔力の働きを知らないから俺ら竜族みたいに能力を使うなんて中々できないけど」

 メリアは、けど何事にも例外はあるよね、と続ける。

「例えば、王子様」

 メリアが人差し指を立てて、カランコエはそれを目で追った。

「王子様は竜族をご飯にしていたシシ様を食べたからね。そこで既に竜族が能力を使用した形跡のある魔力を体内に取り込んだことによって元の人間としての魔力も活性化した」

「なるほど…。使用例のある魔力と混ざると、人間の魔力も働き方を真似して扱える様になるということですか」

 カランコエの解釈にメリアは頷く。

 つまり、竜族が持つ魔力は元々使用することを前提としてあり能力に変化する方法を覚えているが、人間の持つ魔力は能力へ転換する方法を理解していない。そこで、竜族の持つ魔力を垂らせば、人間の持つ魔力は竜族の魔力に従って能力への変化の仕方を覚える。

「そ。だから王子様も一応、シシ様が食った竜族と同じ能力は扱えるはずだよ。まあ、あの子は嫌ってるみたいだから使わないだろうけど」

「嫌ってるんですか?…確かに、殿下が能力を扱う素振りをしたのを見た覚えはありませんが…」

 専属執事として配属されて数節。彼が剣術の稽古をしている姿は何度も確認したし、その度にタオルを持って駆け寄れば不満を晒した顔を向けられたものだ。

「そりゃあ、そもそもシシ様を食べて竜族の力を得たのだってあの子の意思じゃないし、それにこれ以上、王族騎士サマ達に嫌われるのも彼は望んでないだろうからねえ」

 メリアの言葉の意図が掴めず、カランコエは首を捻った。

 前者はレーグルスの立場上、能力を扱わない理由の一つとして当然のことだろう。そもそも彼は竜族に対して食欲を感じてしまう事象を厭忌していたし、自身が食したアドーアの力をありありと誇示するような真似は避けようとする。

 しかし、それが一体どうして騎士団と関係があるのだろう。

「聞いてないの?騎士団が王子様を避けるの、あの子が能力を使えるからだけど」

「…」

 これもまた、カランコエが不思議に思っていたことだった。稽古場での騎士団の態度。レーグルスへと向ける視線、専属執事として配属される前にカランコエの耳へ伝った飛語。しかしレーグルス自身には問題がある様には見えなかった。

 全てが嫉妬だというのなら合点がいく。

 本来、人間には扱えない能力を使いこなせる人。世界の理から外れた存在。竜族と同等、あるいはそれ以上の力を有しているのであれば剣術を習う理由もないだろう。それなのに、レーグルスは鍛錬を怠らない人だった。毎度のこと稽古場に訪れる彼から当てつけを受けている様にでも感じたのだろうか。

 理由が判明したとしても、それが騎士団の被害妄想であることをカランコエは理解していて、彼等への忌避感を払拭する事はできないのだが。

「兎も角、そんな感じで俺や王子様みたいに魔力が混ざっている者は案外存在するんだよね」

「でもメリアさんは殿下とは異なり、竜族なのに人間と魔力が混ざってるんですよね?これは?」

 カランコエが不快感を煽られているのを察したのか、この話を続けていても仕方ないと空気を読んだのだろう。メリアが話題を戻したのに倣って、カランコエも先の発言の疑問点をぶつける。

「俺、自分の宝石をさあ、人に食べさせたことがあんの」

 メリアは自身の額に生える大きな角を模した宝石を指す。そのまま人差し指の腹で撫でたそれは、先端が欠けている方だ。元より非対称な大きさなのかと思っていたが、故意的に失ったものらしい。

「んで、実は宝石を食べさせて魔力を人間に与えると、竜族側も自然にその人間の魔力を貰うことになる。つまり二人の魔力が混ざり合うことになるらしくて」

 詳しい原理はわかんないけど、と付け足しながらメリアは溢す。

「王子様の場合は食ったシシ様も、シシ様が食った竜族ももうみんな死んじゃってるから俺とは少し違うんだけど。僕が宝石を食べさせた人間はまだ生きててさ、ずっと互いの魔力を繋いでんだよね」

 語りながら己の宝石を撫でるメリアの所作と鼓膜を撫でる声が普段より穏やかなものに感じて、カランコエはおずおずとしながら踏み込む。

「…それは、その、食べさせたって言ってましたけど、魔力を繋ぐ?ために…?」

 カランコエの質問に、メリアはふるりと首を横に振った。

「いんや、魔力が繋がったのは想定外。当時はまだ人間と竜族の魔力については今ほど判明してなかったからね」

「じゃあ、どうして?」

 己の一部を砕いてまで。

 何より食わせたという文言が気になったのだ。

 カランコエこそ、父親が己の宝石を砕いてカランコエへと贈ってくれたが、まさかこれが食用だなんて想像すらしたことがない。

 カランコエの質問に、メリアはそっと目を細めて笑った。

「僕は、その人間に長生きして欲しかったから無理矢理自分の宝石を食わせたんだよ」

 あ、と。一つの人物がカランコエの脳裏をよぎる。

 肖像画の中で、仲睦まじく笑い合う二人。今は見せないメリアの素顔と柔らかな笑み。それを向けられた、たった一人の人間。

「それって肖像画の…」

 カランコエの呟きに、メリアは見たんだ、と小さく呟いて、それから照れる様に眉を下げて笑う。

「うん。…彼女の名前はベル・ハーデン。僕の恋人だよ」

 薄灰色の長髪を一つに束ねた中性的な人物。絵画の中でその人は幸せそうに笑って、愛し気に大切に扱う様にメリアに触れていた。

 切り取られた幸せなひととき。それは竜族の長い生涯の中で束の間となる。

「ベルが生きてる限り僕の魔力にはベルの魔力が混ざり合っていて、この繋がりが途切れる事はない。僕は他の純正な魔力には干渉できないってわけ。だから君の魔力の活性もあの子に頼んだんだよ」

 メリアは調子を戻すように、パンと一度手を叩いて明るく笑って見せた。

 マスクで半分以上が隠された顔には謎が多い。跳ねた声音はくぐもって聞こえるし、その口元の形も、目に見えない感情の底で彼が何を思っているのかもカランコエには窺えなかった。

「…いえ、こちらこそ事情も知らずにすみませんでした」

 もっと早く魔力活性化のことを教えてくれたなら、試してくれたならばと臍を曲げていた自分が恥ずかしかった。そもそも、そんな方法が知れ渡っているのならメリアに頼るより、母国の竜族達にこの発想がなかったことについて怒るべきだったのだ。もしかすると、神竜王国でのみ伝わっているものなのかもしれないが。

「まあ君の気持ちは分からんでもないしね。怒ってないよ」

 そう言って彼は、へらへらと手を横に振る。その言葉は本心なのだろう。そう思えるほど、メリアは普段から嘘を吐くことがなかった。

 これ以上、踏み込むべきではないとカランコエは言葉を一度飲み込んで、そういえば、と話を切り出す。

「レーグルス殿下がメリアさんと接する時にマスクを着けていなくても平気だったのは、その魔力の関係ですか?」

 思い浮かべたのはレーグルスがビオシュ公国に飛び立つ前の話だ。彼は平然とメリアの元に近付いていたし、問題のある言動を除けば、彼に対して眉を寄せることもなかった。

「ああ、そうだね」

 メリアは御名答と首を縦に振った。

「王子様…というよか、シシ様だけど、あの空腹感は魔力に反応してるっぽいんだよね。王子様と同じく人間の魔力が混ざってるから俺は認識外で大丈夫みたい」

 人間、互いに魔力があるなんてみんな気が付いてないでしょ、とメリアが言って納得する。

 カランコエはメリアと初めて出会った時、彼から流れる同族の気配を察知できたが其処らの感覚は竜族と人間は異なるらしい。実際にカランコエが人間の魔力を認知できないことと同じ様に、人の魔力はステルス性が高く、それこそメリアのように魔力を繋ぎでもしない限り認識できないのだろう。

 つまり、カランコエも人間の誰かと魔力を共有すればレーグルスに迷惑をかけずに近づくことができる。

「…あんま変な企みすんなよ〜?」

 メリアはカランコエの心を見透かす様にジト、と見つめた。

「まさか。大丈夫ですよ。そもそも私には宝石もありませんし…」

 カランコエは両手を横に振りながら否定する。

 そうだ。カランコエの肌の表面に宝石が存在しない以上、試すことすらできない。

「どうなんだか。君ってば、かなり王子様に感化されやすいみたいだし」

「はは…」

 否定できずに苦笑を一つ。

 初対面の時から何かとレーグルスに惹かれるものがあった。一人でも堂々とした、弱みにも屈することのない彼の立ち振る舞いがそうさせるのか、兎も角彼の傍は居心地が良い。

 普段城内で会うことがなかったメリアにさえ自分の態度は明け透けだったのかと少しの羞恥心が湧いた。

「…いや、寧ろ偉い方か」

「?」

 熱くなった脳では、ぽそりとメリアが呟きを理解し難くて彼の言葉は独り言として空気に沈んでいく。そのまま部屋が静まり返って、カランコエは居た堪れない様子で扉を見た。

 これでもかなり話し込んでいたはずだ。レーグルスは、やはりまだ暫くは忙しいままなのだろうか。

「気になる?」

「ええ、まあ」

 主人のことですし、とカランコエは頷く。

 気がつけば専属執事としての意識がきちんと芽生えていて、レーグルスのことをよく気にかけるようになった。メリアからすると、これも彼に影響を受けた感情かもしれないが。

 メリアは、まあそうだよね〜と頭の後ろで手を組みベッドの上で伸びる。彼の退屈そうな姿を見て会話が途切れないように頭を捻って話題を絞り出そうとすれば、ふと路地裏で話した少女の姿が思い浮かぶ。

「そうだ。メリアさんの能力は、どういったものなんです?」

 カランコエには炎の能力があるらしい。そして、少女は自身の能力で薬を作っていると言っていた。

 竜族の持つ能力は幅広く、それこそ魔力に深く干渉しない限り其々の特性を察知するのは難しい。初対面の時も奴隷商人を相手にメリアが能力を使う様子がなかったし、推察立てるのも不可能だった。

「……」

「メリアさん?」

 珍しく、質問に対して黙りこくったメリアの顔を覗き込むようにしながら名前を呼びかける。彼はカランコエを一瞥すると、少し困ったように瞳孔を動かしたあとガリガリと頭を掻いた。

「…あー、俺のはちょっと特殊なんだよ」

「?」

 メリアは寝転んでいた上体を起こし、自身の羽織る上着を揺らして見せた。初めて会った時にも着ていた、薄灰色の特殊な装飾が取り付けられたものだ。

 彼はベッドの上であぐらをかくと、右手をカランコエの前まで伸ばし、そっと指の腹を額に当てる。

「暇つぶしと、ちょっとした意地悪に丁度いいかもね」

 メリアは少し眉を下げてそう言った。

 瞬時、どぽんと意識が深く暗い海底に沈むような感覚がして、カランコエの視界は暗転した。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る