05





 迎えた殿下の誕生日。

 部屋に迎えにきた騎士の後ろを歩きながら窓の外を見遣る。気温こそ低いものの空は晴れやかで、城内にも澄んだ空気が張っていた。遠くの露店街がやけに栄えて見えるのは今日という日が国民にとっても記念日となっているからだろうか。

 不意に、先を進んでいた騎士が足を止める。つられて身体を固めて前へと視線を移すと、そこには十日振りの男の姿があった。

 クロガネ・アイオライト。

 男は相変わらずの着込んだ様相でカランコエに近づけば、自分よりずっと小さな身体をまじまじと見つめて鼻で笑った。

「格好だけは一丁前みたいだな」

「……」

 これから先、主人になる人に会う。当然のことだが今のカランコエはタキシードに身を包んでいた。

「国王陛下に挨拶申し上げます」

 カランコエは挑発を無視して頭を下げる。クロガネはその仕草を見て目を細めると何一つ言葉を紡ぐことも無く、彼から視線を外して廊下を歩き出す。進む先は騎士にも連れられていた進行方向。

 ついてこいと言うことなのだろう、と解釈してカランコエは再び歩き出す。

 ラスノービリス宮殿の廊下は、ここ数日過ごしていた別棟と異なり大きな窓から差し込む陽の光で明るく照らされている。ここ数日、カランコエが過ごしていた別棟には小窓しか付けられていなかった。またその窓すら数少なく、昼間だと言うのに薄暗い廊下を歩き回ったものだ。頑丈に厚く作られた壁。小窓しかなく、時間感覚も狂いそうな閉塞感漂う別棟。あの場が何のために作られたのか、カランコエは深く考えないようにしていた。

 眩い陽射しを受けながら絨毯を踏み締める。前を行く大きな背中は軈て一つの扉の前で止まった。



 シンプルなダークブラウンの扉。ちょうど十日前に訪れ、自身が執事となることを告げられた部屋。

 カランコエが傍に着いたのを確認すると、クロガネは躊躇なくその扉のハンドルを捻った。

「…誕生日だと心が浮ついていたんじゃないか。だらしない」

 目の前の男は室内を見て一拍置いた後、低い声で喉を震わせた。大きな背中と伸び切った髪で表情は窺えない。

 カランコエは、物音を立てないように蹠を地面に馴染ませながらクロガネと扉の隙間へ視線を滑らせる。

 室内は以前と同様に片付けられていて、簡素なものだった。部屋の奥のソファに腰掛けていた騎士が立ち上がる姿が視界に映る。

「ともあれ、折角お前も十五になったんだ。専属の執事とやらを与えてやろうと思ってな」

 クロガネは、そう言いながら瞳孔をカランコエへと寄せると、呑気に室内を覗く彼の首元に手を伸ばした。そのままタキシードの襟元を強く握ると、カランコエの肉体を意のままに操り室内へと放り込む。

 体が地面へと叩きつけられる。何が起きたのか理解が追いつかないまま、視線を上げた。

 扉のすぐ傍で佇む大きな影。揺れる輝かしい黄金の髪を目で追う。

 ただ、冷徹な目がそこにあった。その影にメリアやカランコエにして見せた笑い声や揶揄、噂より軟化した雰囲気は何処にもない。その姿、立ち振る舞いや声、視線の動き、血筋。その全てが彼を王者たらしめている。

 ああ、この男はこのキシペタカルレ王国の国王なのだ、とカランコエは改めて知らしめられた。

 キシペタカルレ王国の国王たるもの生粋の暴君であり、しかし誰しもが王の選ぶ道を信じて疑わない威光がなければならない。民の前でも息子の前でも、この男は皆の亀鑑になる。

 だからこそ、噂に聞く国王の影とカランコエやメリアに見せた姿は異なったのだ。彼は国民の前、況してや自分の立場を継ぐ王子の前で砕けた態度など取れるわけもないのだから。

 彼には言葉一つで数千前の人間を動かす権威がある。与えられた地位を臆することなく享受し、我が物として余すことなく活用する力がある。王として国の顔となり、涙を流すことも弱音を吐くことも許されない立場で気高く勤め続けている。そうでなくてはならないのだ。

 今、この時も。

 クロガネが纏う空気感が変わっていることを汲んだカランコエは、きゅっと唇を結び直し掌を床に這わせて上体を起こす。

「…りゅう、ぞく…」

 立ちあがろうとしたところで、数メートル先から小さな呟きが聞こえた。間欠的な声。からりと乾いた声質はクロガネと似たものがあり、繋がる血の存在を際立たせていた。

「そうか…」

 クロガネは片手で顎を撫でた後、ソファに腰を下ろしたままの少年へと視線を遣りながら、くつりと肩を揺らして喉を鳴らしながら笑った。

「くく、嗚呼、お前にはわかるだろうな。…あの獅子肉を食ったお前なら」

 そんな会話が耳を擦り抜ける。先日、玉座の間の扉の上に見たステンドグラス。かの絵を見た時に浮かんだ疑問がカランコエの脳を殴った。心臓が跳ねる。嫌な予感がした。

 顔を上げれば、青い顔で口元を抑える少年がいた。

 一つにまとめられた長髪は、クロガネの黄金の髪と比べてみると発色の良い黄色のように見える。

 カランコエは、ぐ、と力強くその場に立ち直すと腰を折り、視線を逸らすように深く頭を下げた。

「本日よりレーグルス殿下の執事として任命されました、カランコエ・ブロスフェルディアナと申します」

 そう一方的に告げる。

 返答を待たずに顔を上げた。少年、レーグルスは困惑を隠しきれない様子でカランコエを見つめていた。

 揺れる瞳孔が此方を見ている。

 包む静寂を低い声が切り裂いた。

「どうだ、お前が食った獅子が取り込んでいた竜の香りがするだろう」

 ガツンと頭を殴られたような感覚があった。キシペタカルレ王国と竜族の軋轢。

 身体の底から冷えていく。

 輝かしいステンドグラス。描かれていたのは翼を生やし、草原にその身を置く獅子。緑色の自然の絨毯に見合わない散らばった色とりどりの四角い物体。

 固まるカランコエの先で、レーグルスは伏せていた顔をゆっくりと上げた。彼の上衣の裾から伸び、萎靡沈滞といった様子でソファの線をなぞりながら地面へと垂れた獅子の尾が最悪な予測が事実であると、ありありと突きつけている。

 露草色の瞳と視線がぶつかり合う。

 レーグルスは一度瞼を下ろした後、立ち上がり、その場で頭を下げた。

「…情けないところをお見せして申し訳ない。俺はレーグルス・アイオライト。キシペタカルレ王国の王太子に当たる」

 病的な程に青白く染まった肌とは裏腹に、見せる立ち振る舞いも発せられる声も凛としていた。

 この部屋に入ってこれまで、たった数分の出来事だ。沢山の情報が、現実が脳がパンクしてしまうのではないかというほどに傾れ込んできた。

 だというのに不思議なことに、この声を、初めてカランコエに向けた言葉を、しっかりと鼓膜が拾った。彼の姿が視界に明瞭に写っている。この記憶が褪せることはないと直感的に思った。

 すっと、軽く空気が入ってくる。生まれてこの方、ここまで深く呼吸ができただろうか。内臓から冷えきって固まっていた身体が解れていく。張り詰めた緊張が溶けていく。

「よろしく。…カランコエ・ブロスフェルディアナ」

 不可思議な感覚に襲われてクエスチョンマークを浮かべるカランコエに、レーグルスは右手を差し出した。

 カランコエは付けていた手袋から手を引っこ抜いて、微かに震えるその手に自身の手を重ねる。乾燥した肌。綺麗な手には相応しくないごつごつとした感触はマメやタコだろうか。使用人に整えられたとは言い難い服装。布の下に覗くのはまともな手当を受けていない傷だらけの皮膚。

 彼もまた、クロガネと同じように噂とは異なる人像をしているのではないか。ふとそう思い至る。

 実際、彼がカランコエへと向ける感情は、嫌悪感より恐怖の色が強く滲んで見えた。

「此方こそ、よろしくお願いいたします。レーグルス殿下」

 カランコエは出来る限り優しい声色を心がけてレーグルスへと微笑みかける。

 レーグルスはその様を数秒見つめてから、そっと視線を下げた。繋がれていた手がゆっくりと、何方ともなく離れていく。

 彼は繋いでいた右手を左手で抱いた後、何処か安堵したように薄く息を吐いた。

「ふうん。…流石、元皇太子だな」

 一連の流れを黙って見届けていたクロガネがポツリと呟く。発せられた言葉が自身を指していることを理解しつつも、言葉の意味を汲み取れず首を捻ったカランコエを見て、クロガネは口元を指で撫でながら考え込むように視線を泳がした。少しの逡巡の末、男は一度瞼を落とすと頭を横に振ってから騎士へと視線を遣る。

 目配せを受けた騎士は、一つ会釈をした後に室内へと踏み入ると、レーグルスの傍へと寄って彼にガスマスクを手渡した。レーグルスは少し眉を寄せた後、ガスマスクを握り締めてクロガネへと視線を上げた。

「国王陛下。此度は私の生誕の日をお祝いくださったこと、感謝申し上げます。本日は例年の通り休暇を頂いておりましたので私はこれにて失礼致します」

 レーグルスはクロガネに捲し立てるように表層的な感謝を告げると、深い一礼をした。クロガネはレーグルスが望んだ通りに口を開こうとしない。

 レーグルスは顔を挙げると会話を続ける気がないと突きつけるように態とらしくクロガネから視線を逸らし、手慣れた様子でガスマスクを取り付ける。彼が逃した視線の先にいたのはカランコエだった。

「…ついてこい」

 くぐもった声がカランコエを呼んだ。カランコエは小さく頷いた後、一度クロガネへと身体を向け、お辞儀をしてからレーグルスの傍へと歩み寄った。レーグルスはカランコエが傍に着いたのを確認して歩き出す。

 クロガネは何一つ表情を変えず、二つ分の影が部屋から無くなるところを見届けていた。





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