第2章
14 アウトゥムの街
そよそよと、風が吹き抜けている。大好きな植物に囲まれている心地のよい家。
彼女の隣には優しく微笑んでいる男性がいる。彼ともふもふと一緒に、どこかで幸せに暮らしていた。
『ここで永遠に、好きな人とともに――』
そこで、パチリと光が走った。
(さっきのは、夢……)
相手の顔がうろ覚えなのが、少し残念だと思った。
ベッドから起き上がる。すると彼女の足元に真っ白い毛玉が、しっぽを振りながら近付いてきた。
「もわん!」
「スズラン、おはよ!」
葉子はスズランを抱き上げる。この子犬は、グレートピレニーズの女の子だ。
「おはようございます、藤山葉子さん。昨晩はよく眠れましたか?」
金髪の少女――エルピスが話しかけてきた。彼女は男装しているが、れっきとした女の子だ。
「おはよう、エルピス君! うん、おかげさまで」
子犬の頭を撫でると椅子の上に座らせる。葉子は軽くストレッチをし始めた。
「だけど、そのフルネーム呼び……そろそろやめてほしいな。私のことは葉子でいいからね」
「呼び捨てするわけにはいきません! それでは、葉子さんと呼びますね」
少女は帽子を外すとペコリを頭を下げた。それを見ていたスズランもお辞儀する動作をする。
「僕、朝食を取りに行ってきますね」
そう言ってエルピスは、部屋を出て階段を下りて行った。葉子は洗面台へ向かうと髪を整え始める。
現在、彼女たちは街の宿屋の一室にいる。昨日は夕方前に行ったため、ベッドが二つある部屋を押さえることができた。
「お待たせしました」
エルピスが朝食を持って部屋に戻って来た。それらがテーブルに置かれると、葉子は目を輝かせた。
こんがり焼けたトーストにバターが乗っている。焼きたてのソーセージにポテトサラダ、玉ねぎ入りの野菜スープがあった。「おいしそう!」と葉子が言うと、少女は改まった様子で向き直る。
「葉子さん。申し訳ありませんが、僕は仕事とやるべきことがあります。四六時中、あなたのそばにいられません……」
二人は朝食をとり始める。スプーンで野菜スープを掬いながら、葉子は頷いた。
「そっかー……。でも、エルピス君に頼りっぱなしはよくないもんね。私一人でスズランの面倒見て暮らせるようになるわ! そのためにも職探しね」
「僕もできる限りサポートはしますので」
金髪の少女は、葉子から視線を外して呟く。
「こういう時エーデルさんがいれば、あなたのために色々と尽くしてくれるのでしょうけれど……」
葉子は前髪を触りながら、彼の自宅で過ごした時のことを思い出す。エーデルは料理、家事に掃除と何でもこなしていた。
彼はエルピスの知人だが、その正体はアイオーンという神様らしい。訳ありで、今は人間同然のようだ。
「まるで彼氏みたいだったわ。けれど、私たち付き合ってもないのに、伴侶になれと言うし……。正直戸惑っちゃった」
エルピスが困り顔になった。巾着から木の実を出すと手の平に乗せる。「スズラン」と呼ぶと子犬に差し出した。
「彼はあなたのことが好きすぎて、好感度がカンスト――どころか上限を突破してしまっているのです」
トーストをかじりながら、葉子は怪訝そうに少女を見つめる。
「そのわりには、私に冷たかったけど……。一昨日、街で出会ったときとか」
「あれは……。彼自身が忘却魔法をかけたり、薬を飲んでいたからです。あの時はその効果が残っていたのです。この数百年、あなたのことを忘れるために色々していたので……」
「す、数百年!? えっと……江戸時代の長さくらいかしら?」
エルピスが目をぱちくりさせた。テーブルの下では、スズランがおいしそうに木の実を食べている。
「まさか、フローラちゃんと同じタイプの人がいるとは思わなかったわ。せめて爽やかな人や裏表のない人なら……」
葉子はため息を吐く。考え込むようにトーストを見つめた。
「エーデルさん、優しいし顔もいいけど……。いきなりキスしたり、子供欲しがってたりガツガツしてるの減点。大人しそうに見えて意外と肉食系なのね。おまけに病んでる」
「!! その……本当に申し訳ありません! ですが、彼はあなたしか関心がないのです」
「そんなー。彼女くらいいるでしょ? ちょっと気難しい感じだけど彼、ハイスペックだしモテそうだけど……」
視線を上げると、いつの間にかエルピスが真剣な顔で前のめりになっている。葉子は驚いてひっくり返りそうになった。
「アイオーンさんにとって葉子さんが初恋なのです! 千年以上、あなたのことだけを見ています! 他の女性に一切興味がありません。名誉のために言うと、男色ではありません。この世界にいる限り、彼からのアタックは続くので、覚悟してください。……大丈夫ですか? 困ったことがあれば僕に相談してください。穏便に本人に伝えますので」
少女の言葉を聞いて葉子がむせた。子犬が心配そうに見上げている。
「嘘嘘嘘!? 何よその年数は! 怖いし重い!」
エルピスは困惑したように、「そうですよね……。あなたの反応は正常です」と呟いた。
「絶対、私以外の人を見た方がいいって! エーデルさんは見る目ないの? 私、そこらへんにいる普通の女よ!?」
「実は昔。周りと一緒に、彼に他の女性を薦めたこともありました。ですが……」
『私には葉子ちゃんしかいない。あの子が私の運命だ! それ以外考えられない! お前たち、私を止めても無駄だ。葉子と一緒にいられるのならば、私は神を辞めて人間になります!
エルピス曰く、アイオーンはそう宣言すると、すぐに辞表まがいの物を提出して去った。
だが、時期に他の者に連れ戻される。恋人の葉子が死んだからだ。その時の彼は心ここにあらずという風に、虚ろな目で
『葉子ちゃんが、今から素敵なものを見せると言ってくれたんだ……。私はそれを楽しみにしていた。だが、彼女は私の目の前で――』
金髪の少女がぽそりと言った。「満面の笑みで、自殺したそうです」
彼女の話を聞いて、葉子はわずかに震えた。
「それって、三人目の私……」
「はい。かなりショックだったのでしょう。彼の心に亀裂が入りました。もっと酷かったのは四人目でしたが……」
両目を閉じると、エルピスは暗い顔で俯いた。
「結局、それ以外にも色々あって彼は、天上から追放されてしまいました」
少女は何かを懇願するように、葉子を見つめた。
「どうかアイオーンを受け入れてあげてください。これは、あなたのためでもあります。葉子さんがそばにいれば、彼は……」
葉子は苦い顔をすると、首を横に振る。
「ごめんね、エルピス君。三人目の私の言葉は無責任すぎるよ。彼は、あの呪いみたいな言葉で、そう思い込んでいるんじゃない?」
昨日、異空間でエーデルから聞いた三人目の言葉を思い出す。
『他の世界の私もきっとあなたを好きになる』
あまりにも理不尽だ。葉子は戸惑いと苛立ちを感じる。
彼女は残りのトーストを食べてしまうと、一気にミルクを飲んだ。
「何よ勝手に決めつけて! 私は私。エーデルさんも盲目的よ」
「よ、葉子さん……」
「私はこの世界で、素敵な人と出会って恋したい。最初から恋愛する相手が決まってるのはおかしい。例え、エーデルさんがハイスペックな男性だとしても、現時点で」
ジト目になりながら、葉子は両手でバツを作る。エルピスの顔から血の気が引いた。
「そ、そんな……! 彼のことをどうか邪険にしないでください。でないと……」
「そもそも知人や友達をすっ飛ばして、いきなり恋人? フローラちゃんもエーデルさんも、そのあたりの感覚が違うよね。神様だから? だったら、神様パワーで私を洗脳でもしてみなさい! でも、それは本当の愛じゃないからね。偽りの愛って嬉しい?」
エルピスは涙目になるとおろおろし始めた。床に座ると頭を下げ始める。
「姉と上司がすみません!」
「エルピス君が謝ることないわ! でもあの人、君の上司なんだ……。てっきり友達なのかと思ってた」
葉子はしゃがむと、泣いている金髪の少女の頭を帽子の上から撫でた。
「昨日あなたと仲良くしてねって、言われたの。とても君のことを大事にしてるのは伝わったわ。私もエルピス君と友達になって、仲良くしたいと思ってるよ」
少女は俯くと、帽子を
(エーデルさんは、葉子さんへの執念と愛情が尋常ではありません。言われた言葉も、一言一句覚えています。しかし好感度が高めとはいえ、敵意性を上昇させすぎると――)
視線を上げると、葉子はスズランを抱き上げ話しかけている。
(四人目の彼女に裏切られたショックもありますが……。僕のためとはいえ、二度とあんなことをさせる訳にはいきません!)
エルピスが考え込んでいると、葉子の襟元に何かが光っていることに気付いた。頭をもたげると立ち上がる。
「葉子さん、ちょっと失礼しますね」
断るとそれを手に取ってまじまじと見つめる。何かの破片のようだ。まるで金属の――。
「何それ?」
葉子に問われたが、少女はすぐに返答ができなかった。
それの正体に気付いたとき、エルピスの顔から再び血の気が引いていた。この破片は、昨日アイオーンに噛み砕かれた、端末だった物だ。
「葉子さん。今の会話の全てが、エーデルさんに筒抜けです……」
「へ?」
「魔法の痕跡がありますね……。どうやらこれを触媒に、あなたの位置情報と発言含め、監視しているようです……」
エルピスが何を言っているのか、葉子はわからなかった。だが、監視と聞いて一気に体温が下がった。
「嘘ぉ! あの神様怖いんだけど!? あ……こんなこと言ったら、私殺される!?」
四人目の末路を聞かされているからだろうか。葉子は真っ青になると口元を押さえた。スズランは目を丸くしながら交互に二人を見つめている。
エルピスは彼女を宥めながら、
「安心してください! 彼があなたを殺すことは二度とありません! 多分、あなたがエラーしない限り……」
「ちょ、ちょっと! そこは断言して!」
口元に破片を近付けると、彼に叱責し始めた。
「エーデルさんも! 葉子さんが好きとはいえ、こういうのはいただけませんよ。あなたがまずやるべきことは、彼女と信頼関係を築くことです。今回のことでかなり好感度が下がっていますよ。いいのですか? このままだと伴侶どころか、友人にすらなれませんよ」
「エルピス君……」
「これから僕たちは、アストルムへ向かいます。あなたの決心が付いたら、会いに来てください。それでは」
右手に破片を握ると、「
葉子は眉をひそめると、「アスト……? 何て?」と金髪の少女に尋ねる。
「アストルムです。準備ができたら、この街を出発しましょう」
エルピスは食器の乗ったトレーをテーブルの端っこに寄せる。ポーチから地図を取り出すと広げ、現在地を指で示す。
「ここがアウトゥム・ノッテ。アウトゥムの街は、特に夜空が綺麗なのですよ。アストルムはここより大きな都市です。歩いたら距離がありますね」
「でもエルピス君。あなた、私とずっといられないって……。それにお金のこともさっぱり」
彼女は子犬を抱き上げると不安そうに言った。金髪の少女は微笑んだ。
「お膳立てはしました。お金については直接買い物してみましょう」
「食べ物ね? それならあんぱん……」
「葉子さん。まずは、その服の上に羽織る物が必要ですね。護身用に武器も買いましょう。まずは短剣がいいかと」
まるでRPGみたいだ。葉子はそう思った。
食器を一階に返し、彼女たちは部屋で一服している。そろそろ出かけようと思った矢先――。慌ただしく階段を上がる足音が聞こえると、部屋のドアを叩かれた。
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