異世界でのんびりします
もち
第1章
1 のんびりします
夜道に若い女性が一人、急ぎ足で駅に向かっていた。時間はとうに二十二時半を過ぎ、二十三時になろうとしていた。
「早く家に帰らないと寝る時間が~!!」
自分が住んでいるマンションへ帰るには電車で三十分以上はかかる。ため息をつきながら、夜空を見上げた。
彼女が務めている会社は日々残業を強いられており、定時で帰ろうとすると上司から睨まれることなんて当たり前。
有給もなかなか使わせてくれない。有給取ってのんびり旅行に行きたい!かわいい動物に囲まれて、癒されたい!!
こんな会社、辞めてやるわ……!!
これまで何度思った事か!
しかし、給料は同い年に比べれば少なかったが、仕事のやりがいも感じているし、食堂のご飯もおいしい。
上司はパワハラ気質だったが、同僚や後輩は良い人たちで、人間関係にも恵まれていた。
もし、ここで会社を辞めてしまうと、収入がなくなってしまう。また両親に心配をかけたくなくて、実家に帰ったときは、仕事のことを適当にごまかしていた。
「このままじゃだめね。転職する勇気が必要……よね……」
自販機で暖かいミルクティーを買って、駅のベンチに座りスマホで転職サイトを見始めた。その途端、視界がぐらりと揺れた。
「めまいかしら……」
次にそのまま後ろに倒れていく感覚があり、葉子は持っていた荷物を落としてしまった。
「ああ……っ」
落ちた物を拾おうとして、視界の端に何か光る物が落ちていることに気付く。
「葉っぱ? 綺麗な色でキラキラしてるわね……」
ふいにそれを手にした瞬間、さっきよりめまいがひどくなる。葉子は慌ててそれを離したが、今度は真っ逆さまに落ちる自分自身を、ぼんやりと眺めていた。
(あれ……? 一体何が起きて……)
次第に目の前は真っ暗になり、やがて何も聞こえてこなくなった――。
「もし……」
――。
「聞こえますか?」
……?
「あのー……」
さっきから女性の声がする。葉子は起き上がろうとした途端、頭がズキズキと痛んで、思わずうめいた。
「うぅ……!」
「先ほど頭を打ったのですね。そのまま、横になっていてください」
葉子が言われたようにすると、声の主は彼女の頭に手をかざし、聞き取れない言葉を呟いた。
すると、ふわっと温かい光に包まれて、葉子の頭から痛みが引き、身体も軽くなった。
「痛くない……?」
そのまま起き上がって、辺りを見渡す。さっきまで自分は駅にいたはずだが、ここは見覚えのない場所だ。
「うふふ」
声の方に視線を向けると、そこにはとても綺麗な女性が立っていた。色白で髪が長く、胸も大きい。手足もすらりとしている。
だが、その姿は現実離れしており、葉子は思わず後ずさってしまった。
「怖がらないで、藤山葉子さん」
「どうして私の名前を……?」
「私は女神なので!えへん」
「は、はあ……?」
その女性の恰好は、やたらファンタジーな雰囲気だった。葉子はその姿を見て、ぼんやりあることを思い出していた。
(ああ、これって。今流行ってる異世界もの……)
以前、会社の同僚におすすめされたのがライトノベル。それは異世界チートものだった。
葉子はそのとき、1巻だけ借りて読んだが、いまいち物語に入り込めなかった。
「さあさあ願いを叶えますよ。何でも言ってください」
「急に言われても……。それにリスクとかあったら怖いですし」
「大丈夫ですよ。私はホワイトなので」
「女神にブラックもホワイトもいるんですか……?」
「ふふふ」
何かが怪しいが、葉子はせっかくの機会だと思うことにした。何しろこれは夢なのだから。
「世界を救う勇者でも、皆に愛されるお姫様でも何でもござれですよ」
「私そういうのいいんです。ただのんびりしたいです。かわいい動物と一緒に……」
「……なるほど」
女神はそこで言葉を切った。葉子は気になって質問した。
「これは夢ですよね?」
「現実です。葉子さんの魂は今ここにありますが、肉体の方は、先ほどあなたの部屋に届けたところです」
「!?」
「あなたは、遅かれ早かれ過労死する運命なのです。そうなる前に私はあなたを、救いたいと考えています」
「う、嘘でしょ。私が……」
「それと会社は不祥事を起こし、そう遠くない未来に倒産しちゃいます」
「ええーっ!?」
この女神、未来予知能力でもあるのだろうか?
葉子は思わず、目の前の女性をまじまじと見た。相手は照れたように微笑んでいる。
彼女は一見優しそうだが、怒らせるととんでもない災いをもたらしそうな感じがした。
「どうします?あなたはどちらの道を選びますか」
「私、死にたくない……。のんびりしたい……!」
「それでは私と共に来てください」
彼女はにこりと微笑むと、細くて色白の手を、葉子に差し伸べた。
「これまで私は、あなたをずっと見ていました。頑張ってきたあなたにふさわしい、そんな居場所を用意しますね」
葉子はためらいながら、その手を取った。
こうして彼女は、女神に誘われ、新天地での新しい生活が始まった――。
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