21 森の中で遭遇したものは
一体の魔物がこちらに向かって突進している。
(な、何あれ……)
突然のことで、
その魔物はがっしりした体型で、手には
「オ゛オオオッ!」
それが勢いよく鉈を振り回すと、そばに生えていた草花が切られ、木の枝が切り落とされる。衝撃で土は飛び散り地面がえぐれた。
「オーク!? どうしてここに……」
イベリスは呟くと、荷物を抱えながら後ずさりする。葉子は顔をしかめながら青年に疑問をぶつけた。
「この森には、凶暴な魔物はいないはずじゃなかったんですか!?」
「そうさ……! だけど僕は、今まで一度も遭遇しなかったんだぞ!? ああ、くそ! これじゃ……」
青年が茂みの方へ逃げ始める。
(魔物が出るって言ってたのは、本当のことだったんだ……)
そう思いながら、葉子も彼の後に続こうとすると、
「葉子さん! こっちです!」
カルミアが子犬を抱きながら彼女の名前を呼んだ。葉子は金髪の少女の元へ走ろうとした時だった。
地面に広がっていた根っこに気付かず、足を取られて転んでしまった。彼女は急いで起き上がろうとするが、魔物への恐怖心からなのか、なかなか両足に力が入らない。
(早く動いて、私の足……!)
一刻も早くこの場から逃げなければ、恐らくあの魔物に殺されるだろう。
もがいていると、ますます根っこが右足に絡まっていた。彼女の中で焦りが募る。
(早く早く……!)
魔物が葉子の方を向くと、鉈を引きずりながら近付いて来る。
「葉子さん!!」
金髪の少女が叫んだ。オークが葉子のすぐそばで鉈を振り下ろそうとした。
(今、僕が魔法を使うと彼女も巻き込まれる……)
少女が、「お前は安全な所に……」とスズランを木陰に置いて、腰のポーチから魔法石の入った革袋を取り出そうとした時だった。スズランが勢いよく魔物へ向かって走って行く。
「もわんっ!」
「スズラン!? 今のお前じゃ危険だよ! 戻って来て!」
カルミアは声を上げたが子犬は止まらなかった。葉子もそれに気付くと叫んだ。
「スズラン! こっち来ちゃだめ!」
「うう……っ! もわぁん!」
子犬は唸ると、全身全霊を込めてオークに体当たりした。
魔物は少しよろけたが、ダメージはさほど無いようだ。不機嫌そうな顔になると片足で子犬を蹴飛ばした。
「きゃうん!」
真っ白い毛玉は地面に落ちると、葉子の後ろの方へと転がっていく。
「スズラン……!」
葉子が叫んだ。
「くーん……」と鳴くと、子犬はつぶらな瞳を葉子に向けた。
(私のために……ごめん!)
早くこの根っこをどうにかしなければ。引っ張ってもびくともしない。
(何か切れる物――)
そこで腰に下げている短剣に目が行った。これから相棒になりうる武器――チンクエデア。
彼女は短剣を鞘から抜くと、「あああっ!」と足に絡まっている根っこを切った。右手に短剣を握ったまま立ち上がると、
「そこの魔物! 私が相手よ! こっちに来ぉい!」
地面に落ちていた枝や石ころを拾うと、オークの顔めがけて投げた。
ぐるりと魔物の顔が葉子を向いた。あっという間に枝をへし折ってしまうと、にたりと笑った――その瞬間。一本の矢がそれの片足を貫く。
「グオ……ッ!?」
ぐらりとオークの身体が傾いた。
葉子は矢が飛んで来た方向を見やった。木の間からイベリスが弓矢を構えていた。
「イベリスさん!」
「ヨウコさん、ちょっとこっちに」
青年が手招きしているから、葉子は急いで駆け寄った。イベリスが魔物を見ながら、
「ここは奴を倒しましょう! 悪いんですが、あなたは囮になって奴を引きつけてください。その隙に、僕が弓で射撃して頭部を狙います!」
「わかりました! できる限り私……!」
葉子はそう言うと再び魔物の方へ石ころを投げる。「こっちよ!」と向こうの方へ走って行った。イベリスは金髪の少女を見やった。
「カルミア君! ここは僕たちに任せて、君は子犬と一緒に逃げるんだ! 例の石はわかるね?」
金色のまつげをまたたかせると、青年ではなく葉子の後姿を見つめた。静かに首を横に振ると、
「イベリスさん、僕は葉子さんを一人にはできません。この子を頼みます」
再度、カルミアはスズランを安全な木陰に置くと、そのまま駆けて行った。
「あ、君! くそっ」
青年はカルミアの後姿を見ていたが、やがて矢筒から矢を数本取り出す。「あの少年の言っていたとおりだった! だけど、どうしてここにオークが……?」と独り言ちた。
一方、葉子は少し開けた場所に出ていた。短剣を構えながら、魔物に背後を取られないように努める。
「よし」
石ころを拾って投げる。魔物は鬱陶しそうに顔を振る。
(あまり効果はなさそうね。だけど挑発にはなるかも)
彼女はどういう風に囮になればいいのかわからなかった。だから間合いを取りながら、魔物の背後に回って攻撃するチャンスを窺う。時々オークが鉈を振り回すから、
「! 回避ぃ!」
声を上げると走って逃げるが、その度に背中が熱く感じていた。
(せめて短剣でダメージを与えられたら……)
徐々に息が上がっているのが彼女にもわかる。
先ほどイベリスが、弓で攻撃した箇所に追撃を加えたいところだ。同時に、背中の熱も増していく。
(さっきから何なのかしら?)
葉子が背中をさする。どうやらブラジャーのホック部分に引っかけている、あの葉っぱが熱を帯びているようだ。
(急に何? でも、今は気にしても場合じゃないわね)
視線を魔物に戻す。それまで大きな動きをしなかった魔物が、動くのをやめて鉈を構え始めた。
ズンッと空気が重くのしかかる感覚が、葉子には感じられた。
(これ、何かやばくない……?)
魔物が構えを取っているということは、これから何らかの攻撃を仕掛ける気だろう。チャンスだと思って下手に近付くと、こちらの命が危ない。
「葉子さん、お待たせしました」
背後から声をかけられ、葉子が振り返る。
「カルミアちゃん! 手伝ってくれる?」
金髪の少女が、「ええ」と呟くと両腕を構えた。
「
彼女が唱えると、オークの足元から頭上まで氷で覆われていった。断末魔を上げる暇もなく、それは砕けてしまった。
「わあ……!」
少女があっさり魔物を倒したことに、葉子は驚きながら喜んだ。
「一発で倒すなんてすごいよ、カルミアちゃん! 私の出る幕はなかったわね」
「いいえ。あなたが魔物を十分引きつけてくれていたから、僕にもチャンスがあったのですよ」
そうやって二人が会話していると……。
「ガアア――」
無機質な音とともに、何かの影が葉子たちの頭上をかすめた。それが地面に着地すると、二人の前に姿を見せる。
金髪の少女が目を細めると、「葉子さん、もう一体います」と呟いた。
「そうみたいね……」
どうやら魔物は、先ほどのオークだけではなかったようだ。葉子は短剣を構えながら、それを見つめる。しかし――。
「あれ、何……?」
「……」
カルミアは何も言わなかった。
葉子はまじまじとそれを見つめる。その魔物はまるで機械のようだった。見た目で例えるなら動物――犬や狼に近いだろうか。それがズシン、と音を立てると葉子に向かって口を開ける。
「藤山葉子――汝は異物なり!」
そう言うやいなや、口から光線のようなものを二発発射した。咄嗟のことで葉子が反応できないでいると、少女にぐいっとケープを引っ張られる。
「あ、ありがと……」
葉子が礼を言い終わらないうちに、カルミアが一歩前に出ると、それに向かって声を上げた。
「そこに伏せなさい。雷属性を喰らいたいですか?」
少女が黄色の魔法石をかざす動作をした。それの目が点滅すると、葉子から彼女へ顔を向け、言われたように地面に伏せた。
「汝は――エルピス」
「お前の主人に伝えてください。先日アイオーンが再起動しました」
しばしの沈黙。葉子は目をぱちくりさせると、金髪の少女を見つめた。
(どうして彼の名前が?)
機械のような魔物は首を傾げる動作をすると、
「ガ――ガガッ。アイオーン?」
「そうです。この方は、彼のお気に入りです。もし彼女に危害を加えた場合、お前とお前の主人はどうなるか解りますか?」
「――ガ?」
「お前は真っ二つに裂かれ、怒り狂った彼に食べられますよ。主人も攻撃対象になるでしょう」
カルミアの言葉を聞いたそれは、しばらく思案している様子だった。やがて数歩下がって葉子を見やると、
「主に――警告。藤山葉子を、攻撃対象から除外。対立は――回避すべき」
そう言ってその場から去った。入れ違いにイベリスが子犬とともに走って来た。
「ヨウコさんとカルミア君! で、さっきのオークは……あれ?」
青年が辺りを見渡しながら、ぽかんとしている。魔物の姿はすっかりなかったからだ。
葉子はスズランを抱っこすると、「大丈夫?」と身体を撫でる。つぶらな瞳が彼女を見つめると、「もわん」と小さく鳴いた。
「あの魔物は僕たちで倒しました」
カルミアの言葉を聞いて、青年は驚いたように二人を交互に見る。
「すごいな! 正直、君たちを侮ってたよ……」
「でも、イベリスさんの弓の腕前もすごかったですよ!」
葉子はすかさず褒めた。青年がさわやかな笑顔で、「ははは! ありがとう!」と言った。
(実際は、カルミアちゃんが魔法で倒したんだけどね……)
そう思いながら、ちらりと金髪の少女を見る。
(さっきのことは、彼に言わない方がよさそうね……。だけど、あの生き物と彼女は知り合いなのかしら)
機械の魔物に対して、金髪の少女は主人やら何やら言っていた。葉子には実際のところ友好関係があるのかどうか、さっきのことで判別できなかった。
しかし、アイオーンの名前を出した途端、あの魔物は目の色を変えたように思えた。
(明らかにあの魔物は私を狙ってたけど、彼の名前を聞いて大人しくなった……。だけど私、このままアストルムに行って大丈夫かしら)
子犬を抱きながら内心不安になっていると、明るい青年の声が彼女の耳に入った。
「それでは気を取り直して! ヨウコさんとカルミア君、行きますよ」
イベリスが荷物を背負うと歩き始めた。「はい!」と返事をすると葉子も後に続く。
カルミアは二人の後ろを歩きながら、「そろそろ、
葉子は森の中を歩きながら、背中がじんわりと温かいのを感じていた。先ほどオークを前にして嫌と言うほど動いたからだろう。そう軽く考えていた。
(でも、不快感はないんだよね。どちらかと言うと)
スズランのように寄り添ってくれる温かさのように思えた。
「……」
ガサッ。後方で木の葉が揺れている。
何やら、木の枝の上から葉子たちを見ている者がいた。それははたして、カルミアが言う狂気の女神かと思われたが――。
「……」
鳥のような小さな生き物だった。それは葉子の後姿を見失わないように、静かに後を付いて行く。
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異世界でのんびりしたいと言ったけど、どうやらそれは無理そうです もち @mochi_kobako
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