20 迷いの森へ

「葉子さん、僕の顔に何か?」


 先ほどから彼女の顔を見つめていたからだろうか。

 不思議そうな顔をしたカルミアに聞かれ、藤山葉子ふじやまようこは慌てて視線を外した。


「ううん! あなたたちって一体いくつなんだろうって思って」

「は、はあ……」


 葉子の言葉にカルミアは目をぱちくりさせる。


「僕たちの実年齢を知っても、特に面白くありませんよ?」

「でも私としては気になっちゃって。ちなみに二十七なのよね」


 金色のまつげを何度もまたたかせると、若干困った顔を浮かべた。


「よ、葉子さん……! ですが――フェアじゃありませんね。僕たちの外見年齢でよろしいですか?」

「オーケー!」

「それでは。僕は十五、エーデルさんは三十四、姉のフローラが二十一……というところですね。こういうのは、アバウトなのです」

「ほ、ほお~。なるほど……? だけど、あなたたち姉妹って意外と離れているのね」

「まあ……はい。実年齢はもっとなのですが。当然ですが、僕たちの中では彼が年長です」


 葉子は何度も両目をしばたたかせると、小さく唸った。

 何しろ、この三人は人間ではない。容姿と実年齢にギャップがあるのは当然だろう。


(エーデルさんなんて四桁確定だもんね。ひょっとすると、もっと上だったり? だけど見た目は若いし……。そう考えると、神様や女神様はある意味で得ねぇ~。いつまで経っても年取らないもん)


 そんなことを考えていると、馬車が街道の端に止まった。御者が振り返って、「ほら兄ちゃんたち、着いたぜ」と声をかける。


(そういえば、馬車っていくらするのかしら?)


 ちらりと、葉子は青年の方を見る。彼は懐から巾着袋を取り出し、御者に料金を支払っているところだった。

 カルミアが彼女の前に来ると、「あなたの馬車代は僕が払いますので安心してください」と言った。


「カルミアちゃん、ありがとね」

「いいえ」


 葉子は御者に礼を言って馬車から降りた。その際、「姉ちゃん、またどこかで会ったらよろしくな」と彼に声をかけられる。


「はい、その時はまた」


 三人と一匹は街道沿いをてくてく歩いて行く。空を見上げると、夕日が沈もうとしている。遠くで星がきらりと光った。辺りはすっかり暗くなりつつあった。


「いや~アウトゥムからここまで、だいたい四時間半くらいでしたね。完全に暗く前に着いてよかった」


 イベリスいわく今日の野営場所は、ここから徒歩で十分ほどの場所らしい。

 草むらの手前で、彼は振り向くと葉子たちに声をかけた。


「ヨウコさんとカルミア君! 途中、枝が落ちていたら拾ってください。今晩、焚き火に使います」

「わかりました!」


 葉子は元気よく返事すると、足元に枝が落ちていないか探し始めた。少しでもイベリスの役に立ちたいと思ったからだ。

 しかし枝はなかなか見つからず、彼女は内心しょんぼりした。隣にいるカルミアを見ると、両腕に抱えているではないか。


「カルミアちゃんすごい! 私、全然だったよ~」

  

 葉子が声をかけると、「スズランが見つけてくれたのです」と少女が言った。子犬が誇らしげに、「もふん!」と鳴いた。


「スズラン偉いね! あ、私も枝持つの手伝うわね」

「それではお願いします」


 カルミアは頭を下げると、葉子に枝をいくつか渡した。

 そのままイベリスの後ろを付いて行く。どこからか、かすかに水の流れる音が聞こえるとともに、前方に森のようなシルエットが見えてきた。


「あそこがアストルムへの近道――すなわち森です」


 青年が枝を拾いながら葉子に話しかける。


「さあ、そろそろですよ」


 そうこうしていると、葉子たちは今日の野営場所に着いた。そばには小川が流れている。イベリスが荷物を地面に置くと伸びをした。


「ここならすぐに水も確保できるし、そこの緑が生い茂っている方へ行けば、ベリー系などの木の実を確保できますよ」


 青年がそう言うと、先ほど拾った木の枝を重ね合わせていく。そこに火属性の魔法石を放り込むと、あっという間に火がついた。


「これで焚き火の完成です。あなたたちも遠慮せずあたってください」

「ありがとうございます! うわ~魔法石って便利なんですね! すごい……」


 葉子はひたすら感動した。こんな便利な物が異世界にはあるのか。その後、荷物から食料を取り出すとそれぞれ晩ご飯を食べ始める。


(何だか、キャンプみたい)


 そう思いながら隣に座っているカルミアを見ると、昼間と同じクルミ入りのパンを手にしていた。足元にいる子犬に木の実をあげると、少女は水筒を持って川の方へ水を汲みに行く。


 葉子はたまごパンがたくさん入った紙袋を開けると、一個ずつ食べていく。しかし半分以上残して、干し肉を一つ袋から取ると、ちびちびとかじった。

 本当はもっとパンを食べたいが、昼間にイベリスから、『あなたはよく食べますね』と言われたのが引っかかっていた。彼女はすっかり少食だった。


「そうそう、風呂のことなんですが……。申し訳ないんですが、今日は我慢してください」


 イベリスがブレッドナイフを手に持ち、フランスパンのようなものを切ると、その上にチーズを乗せた。それをかじりながら、


「どうしてもと言うなら、向こうの方で水浴びはどうでしょう? あ、僕は覗きませんよ? 安心してください」


 葉子は彼の言葉を聞いて、少しだけ渋い顔つきになった。


(お風呂に入れないのは仕方ないけど……。でも、汗かいちゃったし)


 考えていると、後ろからくいっと裾を引っ張られる。振り返ると、カルミアが小さく首を横に振っていた。


「葉子さん」


 何やら金髪の少女は困惑したように葉子を見つめている。


「やめとく?」

「はい」


 再度、葉子は青年を見やると、


「イベリスさん。私たち、今日はやめておきます」


 そう返事する。青年はパンをかじりながら頷いた。


「では、明日は七時に出発します。今日はみんな疲れたでしょう。僕はもう休みます。おやすみなさい」


 青年は地面に布を敷き、毛布をかぶるとそのまま寝てしまった。


「おやすみなさい」


 小さく返事すると、葉子はバックパックから懐中時計を取り出す。それを見ると、いつの間にか二十二時を回っている。

 ふいに冷たい風が彼女の頬を撫でた。同時に、遠くで何かの音が聞こえたような気がした。


(明日はいよいよアストルムへ……)


 葉子が空を見上げると、一面に星々が煌めいている。


「綺麗ね……」


 そこでふと、足元の空気が温かいことに気付いた。下を見ると、スズランが葉子の足にくっついて見上げている。


「私たちもそろそろ寝よっか」

「もわふん」


 眠たげな子犬を抱き上げると、「葉子さん、寝袋をどうぞ」と声をかけられる。カルミアが葉子のバックパックから取り出すと、それを手渡してくれた。


「ありがとう! 暖かそうね」

「これもエーデルさんが準備してくれました。感謝ですね」

「は~……彼、用意周到ね」


 葉子は感心するとともに俯いた。


(人のことは気にかけるのに、彼自身のことは……)


 ふと服の袖を見る。

 二日目の晩――。彼が、きちんと葉子の服を洗濯してくれたのだろう。袖についていた血の汚れは、すっかり落ちていた。


「葉子さん? どうしたのですか、ぼうっとして」


 カルミアに聞かれ、「何でもないよ!?」と否定した。

 こうして、葉子たちは一晩過ごした。静かな夜だった。


 その晩、葉子は夢を見た。

 一人の女が何かに追われている。彼女は必死に逃げるものの、それに追いつかれ――。


『あんた、ちっとも怒らないから……!』


 それは女の足を片手で掴むと、無言で地面に叩きつけた。あまりの痛さに彼女は悲鳴を上げた。引きずられながら、謝罪の言葉を何度も叫ぶ。


『ごめんなさい、ごめんなさいっ! 許してぇ……っ!』 


 しかし、彼女の言葉は届かなかった。むしろ逆に彼を――。

 女は涙ながらに叫んだ。必死に命乞いをした。


『まさか……私を殺さないよね? だって、あんた、私が好き――』


 次の瞬間、体中に痛みが走った。声にならない声が、女の口から漏れる。温かいものが、彼女自身から流れていく。


『――っ!』


 叫びは絶叫に変わった。のたうち回った。それも狂ったように。

 もはや、彼に謝罪の言葉は届かなかった。何もかも遅かった。女は血の海のなかに横たわっていた――。

 そばには彼女を見下ろしている者がいる。それは口元に笑みを浮かべながら、


『お前は、絶対に許さん』


 次の瞬間、葉子は目覚めた。異世界に来て、五日目の朝を迎える。


(嫌な夢……)


 右手で額を拭う。全身に汗をかいている感じだった。

 慣れない野宿をしたからなのか。少しばかり頭痛までする。


「おはようございます」


 カルミアに挨拶されて葉子は慌てて、「おはよう」と言った。その後、川で顔を洗い、彼女たちは朝食を摂った。


「そろそろ行きましょう」


 イベリスに誘導されながら森の前まで移動する。いざ、それを目の当たりにすると、なかなか雰囲気のある場所だ。


「ここは“迷いの森”と呼ばれています。進むには、ちょっとしたコツがあるんです。これがわかりますか?」


 イベリスが何かを指さす。それは小さな石で、うっすらと光を帯びている。


「これを見つけながら進むと、不思議と迷わないんです。順調にいけばアストルムまで三十分もかかりませんよ! ヨウコさんたちは、くれぐれも僕から離れないようにしてください」

「はい!」


 葉子は先ほどの夢を忘れようと、元気よく返事した。カルミアが若干、困惑気味な様子に気付いていない。

 イベリスが魔物除けの香り袋を手に持ちながら、注意深く周囲を見渡す。念のため背後を確認しながら進んで行く。


 一行いっこうは順調に森の中を進んでいた。所々で例の石を見つけたからだ。


「よし! この調子なら――」


 イベリスが上機嫌で言った時だった。ふいに葉子の耳に、何かの音が聞こえた気がした。


(? 今の何かしら?) 


 後方からかすかな音とともに、何らかの気配がする。彼女は首を傾げながら振り向く。


 ガサッ、ズシン。

 明らかに何かが、彼女たちの後を付けている。動物だろうか?


「イベリスさん、何かいるんですけど……」

「うーん……。熊かもしれませんね」

「ええ!?」

「一応、獣除けの香り袋も持っているので大丈夫ですよ」


 彼と会話していたら魔物が突然、目の前に現れた。


「グオオオォォ――!」


 それは咆哮すると、葉子たちめがけて突進してきた。

 

「ちょ、嘘ぉ!?」

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