19 溢れんばかりの愛に彼女は悩む

 金髪の少女の言葉が聞こえると、御者は街道の端に馬車を止めた。


「葉子さん、行きましょう」


 カルミアは荷物をまとめスズランを抱っこすると、ぽかんとしている藤山葉子ふじやまようこに呼びかける。


「ちょ、ちょっと待ってよ! 急に言われても……」


 葉子の中で、焦りと困惑の気持ちがあった。

 ここで馬車から降りてしまうと、イベリスとお別れになってしまう。もしかすると、後でアストルムで再会できるかもしれないが――。

 ちらりと青年を見る。彼も同様に戸惑いの表情を浮かべていた。


 御者はあごひげを触りながらカルミアを見やった。


と姉ちゃん、こんな中途半端な所で降りる気かい? このルートは、途中にアウトゥムのような街もないし周りは自然ばかりだ。アストルムまで行くにしても、徒歩だとだいぶ距離があるんだぜ。あんたら辛いんじゃないかい? 特にそこの姉ちゃん」


 彼に声をかけられ葉子は、「はい?」と言った。


「見たところ、あんたは旅に不慣れっぽいな。そこの坊やはそうでもなさそうだが……。さっきも荷物重そうに背負ってたもんな」

「そ、そうなんですよ~。あはは……」


 愛想笑いするだけで精一杯だった。カルミアが葉子を見つめると、ぽそりと呟く。


「アストルムまで転移魔法を使えば、街道を歩く必要もないのですが……」

「――転移? 何それ?」


 葉子は怪訝そうに首を傾げた。何やら便利そうな響きだが――。

 少女の独り言にイベリスは気付いていない。席から立ち上がると、「勝手なことはしないでくれ!」とカルミアの腕を掴んで引っ張った。その拍子に彼女の足がもつれ、転んだ。


「あ」


 今のは、葉子がこぼした声だ。カルミアに抱っこされていた子犬は床に着地すると、コロコロと転がって葉子の足元まで来た。

 イベリスは一瞬、眉をしかめたが転んでいる少女に手を伸ばさなかった。そのまま席に戻ると、


「カルミア君! 僕は急いでいるんだ。ほら、早く席に座って。悪いね、馬車を出してくれ!」

「あいよ」


 御者が振り向いて、「坊や、いけるか?」と声をかける。カルミアは小さくため息を吐くと、「はい……」と呟いて席に戻った。再び馬車が走り出す。

 

 葉子は隣に座り直した少女の足を見る。彼女は素足を出していないスタイルだったから、今ので足をすりむいているかどうかは確認できなかった。

「大丈夫?」と聞くと少女は、「ええ」とだけ返事した。


 イベリスの方をちらりと見ると葉子は、


「カルミアちゃん。イベリスさんの言うとおり、森は意外と大丈夫かもしれないよ? 君もエーデルさんも心配しすぎだって!」


 勢いで“ちゃん”呼びしたものの、少女は葉子を見つめただけで何も言わなかった。馬車はそのまま街道を進んで行く。


 先ほどの出来事もあってか、それとも疲れからなのか、馬車の中は静かだった。いつの間にか青年は眠っているのか、船を漕いでいる。

 葉子は窓から景色を眺めた。すでに空は夕焼けがかっている。


(きれいな色ね……)


 しばらく外を眺めていたが彼女は時間が気になって、バックパックの中から懐中時計を取り出した。

 夕日に照らされ、鈍く光っている銀色の時計。これも先ほど、エーデルが見繕って買ってくれた物だ。


(いつの間にか、一七時を過ぎてるわ)


 規則正しく秒針が動いているのを、葉子はぼんやりと見つめる。


(そういえば……。さっき、様子が変だったよね)


 アウトゥムから発つ前、どことなくエーデルの様子がおかしかった。別れ際の寂しそうな笑顔が、脳裏に残っている。


(まあ、あの人の様子が普通じゃないのは、この数日でわかったけどね……)


 彼は普段からぼんやりしている風だったし、元いた場所から追放される以前から変人だったのは、エルピスの話で何となくわかったが――。


(謎空間で私が拒絶した時や昨日のナイフのこともだけど……。正直、怖かったな。一瞬、彼に殺されるかと)


 葉子自身、彼から殺気めいたものは時々感じた。

 しかし葉子への愛ゆえか、エーデルは攻撃のポーズをとっても何もしなかった。また、自身を傷付けることで、抑えているように感じた。


(彼、心を病んでるよ。自分を傷付けるなんて痛いに決まってる。それに、どうしてそこまで私に尽くしてくれるの……?)


 葉子にとって出会って数日だったが、彼にとっては千年単位というから驚いた。途方もない年月に軽くめまいを感じる。


(そりゃ、神様と私じゃ生きている年月も違うけどさ……)


 葉子は時計を右手に握りながら、俯いた。

 何だかんだ言いながら、エーデルがあれこれ構ってくれる。そういうところが、優しいと思うし犬っぽいと思う。

 彼女は前の彼氏に浮気されてから、誰とも付き合っていなかった。だから、久しぶりに男性に優しくしてもらい、甘えていたのかもしれない。しかし――。


 懐中時計を見つめながら、先ほど餞別にもらった魔法石のことを考える。

 アウトゥムの街で、イベリスに見せてもらった魔法石。初めて見たそれは、とても綺麗だと思った……。しかし、エーデルが餞別でくれた物は、明らかにイベリスより上等そうに見えた。


(あれは絶対、高いやつだわ。属性も土とか色々あったし。いくらしたのかしら……)


 馬車に揺られながら、葉子は軽く頭を抱えた。

 今持っているバックパックも着ているケープだって、元はと言えば彼のお金で買った物だ。身に着けている短剣に先ほど食べた昼食代も。


(この数日で、だいぶお世話になってしまったわ。その分、キスとか色々戸惑ったこともあったけど……。えっと、今の私にできるお返しは)


 この異世界に来て、葉子はまだ己の力でお金を稼いでいない。

 数刻前、装備屋でエルピスに頼んで、彼女の分と一緒にフローラの下着も買ってもらった。しかし、それも彼からもらったお金だ。

 

(流石にあの人へのお返しは、私が稼いだお金でね)

 

 アストルムに到着したら、まずは仕事と住む場所を見つけ、もらった初給料でエーデルへのお礼の品を買おうと考えた。ハーブに続いて、彼女の中でまた一つ目標ができた。

 そこで葉子は、はたと気付く。


(もしエーデルさんに、物じゃなくて、身体で返せって言われたら――?)


 いくら彼が葉子に好意を抱いているからと言って、いきなりにはならないと思ったものの――。これまで何度もキスをされているし、子供まで欲しいと言われた。はたして、その可能性が全くないとは言い切れるだろうか?


 服越しに己の身体を見る。胸も小さく痩せている。我ながら貧相だと感じた。

 

(まあ……うん。一回限りだったら大丈夫かもね。ささっとやって、終わればいいのよ!)


 葉子は元彼がいたため、一応はあった。

 エーデルが一回で満足してくれるかどうかわからない。しかし、彼へのお礼になるのなら、それを選択肢に入れようと考えた。


 だが、葉子は彼への恋愛感情があるかと言えば、現時点では――。

 

(私はイベリスさんが好き。だからエーデルさんも、いい人見つけてくれればいいんだけどね)


 イベリスの登場で、彼女の心はすっかり奪われたのも同然だった。恋は盲目とはこのことだろうか。

 明らかに自分自身に好意を向けているエーデルを、心のどこかで疎ましく思った。イベリスが見ている前で彼にキスをされ、さらに恋人と勘違いされて恥ずかしかった。


 そんな時に、葉子の口から咄嗟に出た、「好きじゃない」は本心ではないとは言え、やはり言い過ぎたかもしれない。


 先ほどから悶々と考えていた彼女は顔をしかめる。


(離れた途端に気になりだすって、何なのよ……! 私にはイベリスさんが)


 おまけに、心にチクリと刺す感覚まであった。


(何だろう――嫌な予感がする)


 アストルムでは一体何が待ち受けているのか。葉子の中で期待と不安があった。

 彼女自身、これからどうなるか全くわからないが。一ヶ月先、はたまた数ヶ月後になるかもしれないが、頃合いを見てアウトゥムに行こう。そしてエーデルに会いに――。


 再び懐中時計を見る。

 この世界で生きていくためにも、彼にちゃんとお礼をするためにも、葉子は前に進むしかなかった。


(そういえば、エーデルさんの実年齢っていくつなのかしら? 彼に限らず、フローラちゃんもエルピス君も……)


 ちらりと、隣に座っている少女を見る。


(私たち人間と違って、女神様や神様は寿命が長いだろうし……だいぶ年上だよね? エルピス君だって、ああ見えてきっと)


 パチリ。そこで、彼女と目が合った。

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