18 ときめきは馬車と共に
一台の馬車が、アストルム方面へ向かっている。
ほどよい甘さのクリーム入りパンとあんぱん二つを食べてしまうと、葉子は袋から干し肉を一つ取り出して口に運んだ。先ほどエーデルに、『保存食になるから』と買ってもらったのだ。塩気が効いていておいしい。
エルピスはクルミ入りのパンを頬張っている。向かいの席では青年はチーズをかじりながら、「あなたはよく食べますね」と葉子に言った。
途端に、彼女の顔が赤くなる。干し肉を口の中に放り込んでしまうと、もごもごと噛んだ。恥ずかしさのあまり俯いてしまう。
(もしかして、エーデルさんにもそう思われてたのかしら……)
昔から食いしん坊だというのは自覚していたが、好意を持っている相手に指摘されてしまうと、いたたまれなくなる。葉子は心の中でため息を吐いた。
馬車はゆっくりと街道を進んでいく。穏やかな時間が過ぎていくが、葉子は手持ち無沙汰だった。
どうやら今日野宿する場所には、夕方頃に着くらしい。それまで彼女は馬車の中でどのように時間を過ごそうか考えた。隣に座っている少女をチラ見すると、何やら本のような物を読んでいる。
(話しかけると邪魔になるかもね)
そう考えた葉子は、バックパックを両腕で抱えながら、馬車の窓から外を眺め始める。辺りには緑が広がっており、白い群れと小さな人影が見えた。
(あれは――羊かしら? 遠くには山も見えるわ。のどかねぇ)
風でそよそよと草が揺れている。まるでさざ波のようだ。
彼女が外を眺めていると、向かいに座っている青年が声をかけてきた。
「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。僕はイベリスです。アストルムのある屋敷で執事をしています」
彼はそう名乗ると、とても爽やかに微笑んだ。
気のせいだろうか? 後ろで花びらが舞っているように見える。思わず、葉子は眩しいものを見るように目を細めた。
「わ~っ執事さんだったんですね! えっと、私は藤山葉子と言います。今はちょっと無職で……あはは」
恥ずかしそうに言うと、葉子は視線を下に向けた。青年は目をぱちくりさせる。
「フジヤマ――ヨウコさんですか。ふむ……変わった響きの名前ですね。ところであなたは、どちらから?」
右手で前髪を触りながら苦笑いする。
「私、この辺の出身じゃないんです。だいぶ遠い所から来たので……」
言葉を濁した。ここではない別の世界――。葉子が、現代の日本から来たとは到底言えまい。
青年は一瞬不思議そうな顔をしたが、「そうなんですか」と呟くと、今度は金髪の少女の方へ視線をやった。
「そっちの君は? ヨウコさんのお友達かな?」
葉子が、「この子はエル――」と言いかけると、それまで無言だった金髪の少女が、
「僕は、カルミアです。葉子さんは遠い遠い、親戚のお姉さんなのです」
でまかせを言ったのだ。葉子はきょとんとしながら、隣に座っている彼女を見つめた。
「アストルムまでの間ですが、よろしくお願いします。イベリスさん」
カルミアは青年から視線を外すと、本を閉じ、スズランの頭を撫で始めた。
(カルミア――って確か花の名前よね? でも……どうして今になって偽名を? というか、親戚設定!? 私とこの子が?)
葉子一人、首を捻っている。イベリスは、「おや! そうだったんですね」と驚いたような声を上げると、手荷物から小さな袋を取り出した。
「それって何ですか?」
葉子は不思議に思い聞いてみた。彼は右手でそれを持ちながら、
「魔物除けの匂い袋ですよ。これがあると、魔物と遭遇しにくくなって道中の安全度も上がります。ちなみに、ハーブ系が手頃でおすすめです」
「なるほど……!」
関心しながら頷く。
(素敵ね~! ハーブを栽培したら作ってみたいわ!)
彼女の中で一つ、やりたいことができた。そのためにも――。
「そういえば、あなたたちはアストルムへ何をしに行くんです?」
イベリスに聞かれ、葉子は口ごもった。
そもそもアストルムへ行くのか、彼女自身さっぱりわからなかったのだ。今朝、宿でエルピスから目的地を聞かされてから、流れに乗ってここまで来ていた。
金髪の少女は、「自宅へ帰るのです」とだけ言った。そこで葉子は怪訝な顔になる。
(エルピス君の家って、アウトゥムじゃないの? だって)
二日目の夜、彼女はエーデルに家まで送られて行ったはずだ。
地図を見る限り、アウトゥムとアストルムは距離が離れている。例え、彼が魔法を使えても、瞬間移動しない限りは――。
(あ……そういえば)
異空間で彼が瞬間移動をしていたことを思い出す。あの時、葉子とエーデルはだいぶ離れていたはずなのに、急に目の前に現れたから驚いた。
(じゃあ本当なのかな)
カルミアは真剣な面持ちになった。葉子とイベリスの顔をそれぞれ見ると、
「すみませんが、アストルムへは別のルートで行きませんか? なるべく森を避けてください。そちらの方が安全です」
こんな提案をした。葉子は驚いて少女を見つめる。
「急にどうしたのよ? えっと……」
「ちょっと待ってくれ! 森を通りたくないというわけかい? それじゃ、僕は困るんだ。明日には帰らないといけないし……それに他のルートだと遠回りになってしまう! 森以外だと、アストルムまで数日はかかると思ってほしい」
「それでも構いません」
きっぱり言うカルミアに対して、イベリスの顔に困惑の色が増す。
「どうしてなんだい?」
「知人から魔物が出ると聞いたもので」
少女がきっぱり言った。
「その、知人ってもしかして――」
葉子が、エーデルと言いかけると、青年が口を挟んできた。
「魔物……? 安心してください! 僕はほら、魔物除けの香り袋を持っているんだ。それに、あの森に凶暴な魔物はいないよ。そこまで警戒する必要もないかと」
青年が明るく言う。カルミアはそれでも首を縦に振らなかった。エーデルのメモ書きが気になったからだ。
「ヨウコさん。あなたも早くアストルムへ行きたいのでは?」
青年が葉子に同意を求める。そう聞かれても彼女自身、目的がわからないから返事のしようがなかった。
しかし好意を持っている相手に嫌われたくない。そんな気持ちから、葉子はイベリスの肩を持つことにした。
「そうだよ! この人の言うとおり森を通って行こうよ。エル――カルミア……ちゃん? 君? えっと……」
彼女の名前を言いながら、葉子は疑問符を浮かべた。
カルミアと呼ぶ場合、“君”なのか“ちゃん”なのか……。一体どちらがいいのだろうか? そんなことを考えていると――。
「それでは僕たちはこの辺で降ります。きちんと料金は払いますので」
金髪の少女はそんなことを言い出した。
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