13 再出発と起動、そして忍び寄る影

「無い……!」


 藤山葉子ふじやまようこの顔から血の気が引いた。

 パンツのポケットの中も探すと、彼女は着ている服を脱いで、上半身下着姿になった。

 もしかすると、ブラジャーの内側に落ちているのかもしれない。前中心の部分を指で引っ張って見ようとした。

 

 エーデルはぼんやり眺めていたが、やがて赤面すると片手で顔を隠した。


「待て!」


 鋭い声で制され、彼女は驚いた様子で振り向いた。


「お前は男に見せつけるのが好きなのか? それともわざと? 昨夜もそうだったよね……。私に覗くなと言っておきながら」

「あ、あれは! ごめん……。大事なもの落としちゃって」


 落ち込んでいる葉子から目を逸らすと、彼はパンツのポケットに手を入れた。


「貴女が探しているのは、これじゃないの……」


 そっぽを向いている彼の右手には、あの葉っぱが握られていた。葉子の顔が明るくなる。


「脱衣所に落ちていた。このうっかりさん」

「よかった! 拾ってくれてありがとう」


 両手で包み込むように抱いた。彼はしばらく視線を逸らしていたが、まだ葉子が服を着ていないことに気付くと、


「いつまでその恰好でいる」


 じとりと睨んだ。彼女は慌ててブラジャーのホック部分に葉っぱを引っ掛けると服を着る。エーデルが唖然とした。


「そこなのぉ?」

「髪飾りにするのも心許ないでしょ? ここが一番、無難かなって」 

「あらそう……」

「これって何なのかしらね。エーデルさん知ってる?」

「私にもわからん」


 一瞬、夜空に何かが輝いた。彼は天を仰ぎ見ると、「テウメソス……。私に何か用」と呟く。

 

 気が付いたときには、葉子は玄関先に立っていた。

 視界の先には、先ほどと同じようにエルピスとスズランがいる。食材が入った紙袋も床に置かれたままだった。

 彼の言うとおり、時間経過はしていないようだ。スズランが葉子の足元にくっついてくる。


 異空間から戻ってきた彼女を見て、少年が安堵の表情を浮かべる。


「よかった――」


 そう言いかけたが、黙した。

 葉子の後ろにいるエーデルが少年に視線をやると、微笑みながら歩み寄った。


「ごめんね、エルちゃん! さっきのことは解決したから」

「い、いいえ……。それならいいのですが……」


 少年が目を見開いて、紫髪の男を見つめている。まだ口元に血が付いていることに気付く。彼は浮遊すると洗面所へ向かった。

 葉子は紙袋を一つ抱くと、「これ、キッチンに持っていくわね」と言った。そこで、少年に右腕を掴まれる。


「藤山葉子さん。彼はいつから変転していたのですか?」

「……へ?」


 エルピスはパンツの後ろポケットから、端末のような物を取り出す。葉子は不思議そうに見つめた。


(あれはスマートフォン? この世界にもあるのね)


「エラーが……。操作不能です」


 少年は端末を仕舞うと項垂うなだれる。「どうかしたの?」と彼女は聞いたが、少年は横に首を振るだけだった。


「あ゛~!?」


 洗面所の方から、男の叫び声が聞こえた。

 エルピスは顔を上げると、「あなたはスズランとともにキッチンで待っていてください」と言い残し走っていく。葉子は紙袋を抱えたまま、ぽかんと立っていた。


 洗面所の鏡の前で、長髪の男が呆然としていた。少年は部屋に入るなりドアを閉めると、鍵をかけた。


「アイオーンさん。何故その姿に戻っているのですか。力は制限されているはずです」


 戸惑った目が紫髪の男を見つめる。


「私が聞きたいくらいだ! しいて言うならば、あそこへ行ったからか。もしくは何かの不具合」


 彼は右手のガントレットの指先を、ゆっくり動かした。


「誰かが解除したのでしょうか? あなたに戻ってきてほしいのかも……」


 アイオーンは眉をひそめるとエルピスを見つめた。


「私が追放されて数百年は経っている。今更戻れるわけが……」

 

 エルピスは帽子を目深に被ると俯いた。彼が動くたびに、重々しく金属音と異音が鳴っている。

 自身で動作の確認をしていたが、次第にアイオーンが狂気じみた笑みを浮かべた。ガントレットで何かを握り潰す動作をすると、


「しかし、再びこの姿になるとは思わなかったぁ……! んふふ! もう一度クラウデ・オムニアを実行すれば、私は本体と接続できるのだ……」

 

 くつくつと笑った。興奮のあまり、紫色の眼が爛々としている。エルピスは彼の前に飛び出した。


「どうか落ち着いてください! いったん再起動しましょう。これじゃあ、葉子さんが驚いてしまいます」

「! 私としたことが。ごめん……」


 一方キッチンでは、葉子は紙袋を運び終えて、テーブルの上に並べていた。時計を見ると一五分は経っている。


「スズラン、あの二人何してるのかしらね」

「もわ~ん」


 子犬を抱き上げて廊下に出る。向こうから微かに話し声がするが、何となく聞かないほうがいいと考えた。ソファーに腰を掛けるとぼんやりし始める。

 少しすると足音が聞こえる。葉子が顔を上げると、部屋にエルピスと見知らぬ男が入ってきた。


「誰!?」

「私」


 声でエーデルだとわかったが、姿が違うことに驚いた。彼女は二度見する。

 

「どうしたの? その恰好……。あなた、そんなに髪長かったっけ」

「この形態のことは気にしないで」


 アイオーンは葉子を一瞥すると、その場から姿を消した。「また瞬間移動!?」と驚いていると、今度は左手に何かを持って現れる。


「貴女にこれをあげる。詳しいことは、エルピスに教えてもらってね」


 重たい巾着袋を受け取ると、中には折り畳んだ紙幣と金貨が入っていた。葉子は困惑気味に、彼を見つめた。


「こんなに受け取れないよ!」

「困ることはないでしょ」

「あとで、倍にして返せって言わないよね?」


 紫髪の男は首を傾げると、「私はそんなこと言わない」と彼女を見つめた。


「葉子ちゃん。これで美味しいものをたくさん食べられるのよ。いらないの? 美味しいもの」


 彼女は思案していたが、「それなら」と受け取った。


「貴女のためなら後方支援でも何でもする。私、さっき言ったよね……?」

「それはありがたいんだけど……。ねえ、顔色悪いけど大丈夫?」

「少々、エネルギーの消費が激しいだけだ」


 アイオーンは顔を仰いだ。葉子はスズランをソファーの上に座らせると、彼の周りをうろうろし始めた。「あなた、機械の音してない?」と呟いた。


 エルピスは二人のやり取りを眺めていたが、逃げるように部屋から出る。

 再び端末を手に取ると、エラーは直っていた。画面には誰かの名前が表示されており、通信のマークが点滅していた。

 画面の名前とアイオーンの後ろ姿を交互に見やる。少年が応答しようか思案していると――。


「エルちゃ~ん」


 背後から声をかけられて、「はい」と振り向く。すぐ後ろで紫髪の男が見下ろしていた。

 少年が急いで端末の通信を切断しようとしたが、彼の左手が伸びてくると奪い取られる。


「返してください」


 エルピスが肩をすくめる。虚ろな目が端末の画面を、次に少年を見つめた。

 

「無理。今度新しいの買ってあげる……」


 端末が、アイオーンの口に咥えられる。


「ああっ!」


 エルピスが声を上げた。バキバキと機械の壊れる音とともに、それが噛み砕かれていく。床に破片の落ちる音が、少年の耳に入る。


「んふふ……」


 それを飲み込んでしまうと、アイオーンの目が青白く光った。


「今の音は何?」

 

 葉子が怪訝そうに聞いてきた。紫髪の男は浮遊していた足を床に着地させると、「何も」と答えた。


「あれ? 戻ってるね」


 彼女にそう言われ、エーデルは自身の身体を見た。困惑した紫色の眼が少年を見やる。


「エルちゃん……。貴女のことは大好きだから」


 彼は屈むと涙目のエルピスを抱きしめ、頬に口付けした。二人を眺めていた葉子が、「え」と口元に手をやる。


「エルピス君……男の子だよね? エーデルさんってそっち系の人?」


 彼女の言葉に少年が苦笑いした。彼は顔をしかめる。


「葉子ちゃん。この子は女性です」

「ええっ!?」


 葉子は驚いた。実は少年は、女の子だったのだ!


「じゃ、じゃあ! これからはエルピスちゃんって呼ぶほうがいいよね!?」

「今までどおりで構いませんから! 気にしないでください……」


 エルピスは複雑そうな表情を浮かべると、何かを振り払うようにエーデルから離れた。


「藤山葉子さん、今夜は早めに宿屋に泊まりましょう」

「これからのことは?」

「後ほど相談しましょう」 


 少年――もとい金髪の少女は、葉子から金の入った巾着袋を受け取ると、腰のポーチに入れた。


「これは、僕が預かっておきますので」


 紫髪の男は箒とちり取りを持ってくると、先ほどの破片を片付け始めた。ちらりと葉子を見やる。


「それじゃ、エルピス君。これからよろしくね!」

「こちらこそお願いします」

「もわん!」


 葉子は両手でスズランを抱く。靴を履くと振り向いた。


「エーデルさんもありがとね」


 彼は静かに微笑んだ。


「葉子ちゃん……。貴女に幸あらんことを」


 二人と一匹を外まで見送ると、エーデルはキッチンに戻った。紙袋の中身をそれぞれの場所に片付けると、ソファーに腰を掛ける。


「イニシエート《起動せよ》」


 自身の端末を起動させると、目の前にスクリーンが表示される。骨ばった手が葉子の位置情報を入力する。


「藤山葉子……私がずっと見守っているから……。次は」


 先ほどエルピスの端末に映っていた女と男のことだった。彼の双眸がぎらついた。


の位置情報を逆探知、追跡を開始せよ――。お前たちが葉子ちゃんに何かするのならば、私は然るべき対応を取る」


 今から少し前――。

 どこかの暗闇の中で、女の金切り声が響いていた。


「よくも私の葉子さんを……! 許せない許せない許せない!!」


 長い金髪を振り乱しながら、色白の女が狂ったように手足をじたばたさせている。


「アーテーさんよォ。人さんのものを横取りするのは感心しないぜ」


 物陰から男が現れると、彼女に呼びかけた。


「ふざけないで……! 葉子さんは、最初から私のものよ! 横取りしたのはあの不審者!! 私たちの幸せを壊したのは、あの男……!!」


 アーテーの金切り声が耳障りだった。男は眉間にしわを寄せると両耳を塞ぐ。


「なあ、アーテーさん。そいつの正体が何なのか、わかって言っているのか?」

「いけ好かない男! 私たちの愛の邪魔をする愚か者! 今度会ったら、あの顔をズタズタにして、手足をもいであげる! うふふ、うふふふ!!」

「あの男はアイオーンだ。昔、オレたちの本拠地を半壊させた奴だ。あんただって破壊されただろ」


 金髪の女の顔が歪む。


「アイオーン? あの気狂いの男……」


 淀んだ瞳が虚空を見つめる。アーテーが絶叫した。


「それでは私が!! あの化物から葉子さんを助けるのです……!! 待っていてください! 私が、あなたの救いの女神となりますから……!! 葉子さぁぁん!!」

「こいつ! どうなっても知らねェぞ」


 男は忌々しげに舌打ちすると、金髪の女から離れた。少し歩いた場所にもう一人女が立っている。


「あの様子じゃあ、また何とか葉子に手ェ出すんじゃねェ? アイオーン殿がブチ切れないように様子見だがよォ」


 男は振り返ると、腕をさすった。


「オレたちまで、とばっちりで破壊されるのは勘弁だぜェ……」

「全くです。わたくしたちにも限度があります。本当に、彼女に手を貸したことを後悔しています」


 女の冷ややかな目が、正面の男を見つめる。


「いっそのこと……彼に破壊してもらいましょうか。二度と、アーテーが再起しないように」

「正気か」

「厄介者が一体――いえ、二体減るのです。今となっては、アイオーンも正常ではありませんね。頃合いを見て、私たちで廃棄しましょう」

「おいおい。そこまでするか? じゃあ、奴の固有能力はどうするんだ。無いと困るかも……」

「彼の首を切断し、脳神経とコアを繋いで、装置で複製すればよいでしょう? 以前と同じようにストックを作るのです。少し前にアーテーが無駄遣いしましたからね。全く……」


 男は口をつぐんだ。女の胸元で端末が光っている。


「あら。彼女から連絡が……」


 女は笑みを浮かべると画面を見た。


「どうですか、エルピス? 藤山葉子は確保――」


 そこには、無表情のアイオーンが映っていた。女が顔を引きつらせた。彼の目が鋭く光ると、向こうからバキバキと何かの壊れる音が聞こえる。


「どうした?」


 後ろから男が覗き込んでくる。女が、「お馬鹿!」と言うと端末の電源ボタンを連打した。


「あなた、今映りましたね? 映っていません? アイオーンが再起動したようです……」


 男が、「オレ、映ったかも……」と肩をすくめた。女は端末を再起動させるとメモリカードを取り出す。


「私はアストルムへ向かいます。あなたも付いてきなさい」


 女は何かを唱え、端末を破壊した。男はため息を吐くと、アーテーのいる方を見やった。


「早く!」と女が促す。二つの影がその場から消える。

 暗闇では、金髪の女の喚き声が響いていた。



 ―第1章 終了―

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