7 偶然と真実、そして街へ

 藤山葉子ふじやまようこは仰向けになると、ぼんやり空を眺め始めた。


(フローラちゃんって弟いたんだ……。それに、スズランをくれたこの少年も人間じゃなかったのね)


 そんなことを考えているうちに、辺りはすっかり暗くなっていた。空にはキラキラと星が輝いている。

 彼女は思いっきり両腕を伸ばすと、大きなため息を吐いて脱力した。


 エルピスは困惑顔で、「大丈夫ですか?」と尋ねたが、葉子は生返事しただけだった。

 しばらくすると彼の足元にいたスズランが、トコトコ歩いてきて葉子の上に乗っかった。次にふんふん言いながら、彼女の服の裾を引っ張り始めた。

 それでも気に留めず、彼女は眠たそうにぼんやりしている。

 次にスズランは、葉子のポニーテールの先の方を口で咥えながら、ふもふも言い出した。

 

 その様子を眺めていたエルピスは目を細めると、「こら」とスズランを制した。

 子犬はつぶらな瞳を少年に向けると、葉子のポニーテールからそっと口を離し、コロコロ転がって彼の足元に座った。


「藤山葉子さん。そろそろ起き上がった方が良いですよ。今夜は肌寒いし、このままだと風邪を引きますよ」


 心配げな少年の声が、葉子の耳に入った。そこでようやく起き上がった。何やら鼻がむずがゆい。


「へっ……くしゅん! そうね……」


 葉子はくしゃみをすると、「よいしょ」と言って立ち上がった。ズキン、と腰が少し痛んだ。

 次に髪や服に付いた葉っぱを払い落とす。何故かポニーテールの毛先が濡れていたが、そこは気にしないことにした。


「ごめんなさいね。お世話かけちゃって……」


 彼女がそう言いかけたとき、エルピスが勢いよく頭を下げた。


「僕は、あなたに謝罪しなければなりません」


 突然、目の前の少年が謝ったものだから、葉子は戸惑ってしまった。


「ど、どうしたのよ……! エルピス君、どうか顔を上げてちょうだい」


 そう言われた少年は顔を上げると、一瞬だけ変な顔をした。どこか気まずそうに視線を落としている。

 子犬を抱っこしながら、目の前の少年を見守る。

 数分経って、少年は彼女に視線を戻すと、ぽつりぽつり話し始めた。


「実は手違いだったんです……。本来は姉が、あなたをここへ誘導する役目ではなかったのです」


 どういうことだろう。葉子は眉をひそめた。

 エルピス曰く、本来ならば自分が彼女をこの世界へ誘導するはずだった。それがどうなったのか、女神アーテーが間に割り込んできて、あげく攻撃された。

 紆余曲折があって葉子は、アーテーに導かれるようにこの世界へやって来たのだ。

 

「アーテーは……いえ、あなたが今フローラと呼んでいる者は、いわゆる問題のある女神でして。過去に色々やらかしているのです」


 エルピスは困り顔でそう言った。葉子も否定はしなかった。ただ心の中で、腑に落ちた感覚はあった。


「フローラちゃんって、意外と不良だったのね」

「不良とはまた違うんですけれどね……。とにかく、アーテーの監視役として僕が任されたのです。あなたがここへ来たときから僕は、姉とあの家を見張っていました」


 アーテーが葉子をいざない、ともにあの家に住み始めた。その情報を得たエルピスは、さりげなく様子を窺っていたようだ。

 彼女はそんなことに全く気が付いていなかった。フローラは一体、何をやらかしたのだろうか――。


「それじゃ、あのときこの子たちが転がってきたり、君と出会ったのも……」

「いえ。あれは偶然です。僕がこの子たちから目を離しているうちにいなくなってしまって。慌てて追いかけていったら、あなたがそこにいたもので……」


 どうやらエルピスは、人間に紛れて近くの街に暮らしているようだ。

 あの日も真っ白い子犬たちを押し車に乗せて、森の中を散歩していたらしい。その途中で、はぐれた子犬と戯れている葉子を見かけたのだ。

 彼女はそのときのことを思い出すと、照れたようにスズランで顔を隠した。子犬は不思議そうに首を傾げている。


「ですが藤山葉子さん。この子はあなたを選びました。この先、必ず力になります。僕が保証します」


 そう言って少年は微笑んだ。葉子もはにかんだ。


「あとは歩きながら話しましょうか」

「えっと……。これからどこへ?」


 不安げに葉子が尋ねると、エルピスは今夜は街の宿屋に泊まってくださいと言った。宿代を出すと言うのだ。


「そんな! そこまでしてもらっていいのかしら」

「これくらいはさせてください。元々は僕たちの問題でもありますし。あなたは、完全な被害者なのですから」

 

(被害者?)


 露骨に、葉子は顔をしかめた。


(被害者って何? 一体どういうこと? 私はいずれ過労死する運命で、だからフローラちゃんが――)


 彼女の心にチクリ、と針を刺すような感覚があった。

 自分の身に起こったことについて聞きたかったが、少年は先ほどの話の続きを始めていた。


 女神アーテーは度々問題を起こすものだから、エルピスは他の者たちと相談して、彼女をある場所に閉じ込めていた。

 ところが、自力で出てきたのか誰かに出してもらったのか。自由になったアーテーは、邪魔者のエルピスや他の者を攻撃して、現実世界の葉子へ干渉しようとした。


「次のターゲットは、あなたでした」 


 何らかの理由から、女神アーテーは葉子に目を付けたようだった。


「ということは、私の前にもいたのね? 同じように異世界に行った人が……」

「ええ」


 少年は短く返答すると、葉子はその場で立ち止まった。腕に抱かれているスズランが、「どうしたの?」と言いたげに彼女を見上げている。


(フローラちゃんは、私が過労で死ぬ前に、助けてくれたんだよね?)


 彼女はあの夜、初めて女神と出会ったことを思い出していた。


『あなたは、遅かれ早かれ過労死する運命なのです。そうなる前に私は、あなたを救いたいと考えています』


 あのときのフローラの言葉が、彼女の頭の中に響いた。慈悲深く、葉子を優しく包み込んでくれるような雰囲気が、あの女神にはあった。

 前を歩いていた少年が振り返って、慌てて戻ってきた。


「詳しいことは追々話します。藤山葉子さん。どうか、僕たちを信じてください」

「エルピス君……」


 思えば、初対面であるはずなのにアーテーは自分の名前も境遇も知っていた。


「実は、あの家周辺も夜になると魔物がうろつきます。決して安全な場所とは言えません。何かあれば、あなたの為にアーテーが魔法で追い払うでしょうが……」


 葉子は、自分が騙されていたことにショックを受けた。自然と口数も少なくなると、そのあとは黙ってエルピスに続いた。

 こうして二人と一匹は森を抜けて、街道に出るとそのまま街に入り、宿屋へ向かった。


「申し訳ございません。本日は満室でして……」


 宿屋の受付でそう言われたときは、葉子もエルピスもがっかりした。


「申し訳ありません!」


 宿から出るなりエルピスが謝った。今にも土下座しそうな勢いだ。

 彼女は、「今日は野宿で大丈夫よ」と返答した。


「そういう訳にもいきませんよ。女性一人では危ないし、それに街道にも魔物が出ないということはありませんから」

「大丈夫! 私は大丈夫! いざとなれば逃げるから!」


 変にテンションが高い葉子を見ながら、少年は困り顔になった。先ほどの話で気落ちしているのは間違いない。今は明るい所で彼女の心も体も、落ち着かせる方がいいと思ったのだ。


「本当なら、僕がお世話になっている所に連れて行きたいのですが、今日は都合が悪くて。それにそろそろ戻らないと……」


 今度はエルピスがおろおろしだした。今にも泣き出しそうになっているので、葉子が宥めていると――。


「エルちゃ~ん!」


 どこからか男性の声が聞こえた。

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