9 一触即発
「フローラちゃん。私は行けない」
だが、それはお構いなしという風に金髪の女は彼女の腕を掴むと、ぐいっと引き寄せた。
「葉子さんに危険が迫っています! 奴らがあなたに接触してくるのは、もう時間の問題です。すでに小賢しいエルピスがあなたを惑わせるために現れました。だから、私と一緒にこちらにきてください」
「う、嘘! あの子はあなたに邪魔されたと言ってたわ。本来はあなたの役目じゃなかったって! あなたは本当に私を助け――」
「ああ、葉子さん……。やはり、これではいけませんね」
フローラは微笑むと、血相を変えている葉子を抱きしめた。
「私を友達と言ってくれて嬉しかった……。ですが、私は葉子さんが欲しいです。あなたとは恋人になりたいのです。あなたが他の奴に取られるのは絶対嫌です。だから私、そうなる前に――」
そのとき、葉子はどこからかざわめきが聞こえると思った。それは彼女の背後からだろうか。
薄桃色の艶やかな唇が、葉子の耳元で囁いた。
「あなたを私だけの人形にしますね?」
金髪の女が口元に笑みを浮かべたその瞬間、葉子の意識が薄れていった――。
街明かりに照らされて、フローラはご機嫌に鼻歌を歌っている。
葉子は彼女に手を繋がれながら街中を歩いていたが、先ほどからぼんやりしている状態だった。また、頭痛と耳鳴りが酷く、目も虚ろだった。
二人は街の入り口から街道へ向かった。
道案内の看板が立っている手前で金髪の女は立ち止まると、葉子に背を向けてブツブツ何かを呟き始めた。彼女には何の言葉なのか分からなかった。
「藤山葉子、そんな所で何しているの?」
ふいに、葉子を呼ぶ者がいた。
「今の時間帯は、魔物が活発だから危ない。街に戻ってきなさいよ」
街の入口には、先ほどの男が立っている。
しかし、葉子は男へ見向きもせず、返事をしなかった。何故なら今の彼女は、フローラに付き従う人形そのものだったからだ。
フローラは男に気付いていないようで、くすくす笑うと葉子へ向き直った。
「踊りましょう、葉子さん」
金髪の女は葉子の頬に口づけをすると、一緒にワルツを踊り始める。
葉子はマリオネットのように、彼女の動きに合わせて踊っていたが、「はい、アーテー様……」と呟いた途端、膝を折った。
「葉子さん、踊るのが上手ですぅ。うふ、そろそろ馴染んできました?」
「あの小娘……まさか傀儡状態に!?」
紫髪の男は舌打ちすると、葉子へ向かって走り出した。
「藤山葉子!」
「え?」
突然見知らぬ男がこちらに走って来ることに、金髪の女は驚いた。
「誰ですか、あなたは? 私たちの邪魔をしないでくれません?」
フローラは言うやいなや、隠し持っていたナイフを、ロングスカートのスリット部分から出すと右手で構えた。彼女の左手は、葉子の右手と繋いだままだ。
男は足を蹴って飛び上がると、高く引き上げた左足をフローラの右手に、かかと落としした。その衝撃で色白の手からナイフが落とされた。フローラの右手が赤く腫れる。
次に彼は、葉子の手を繋いでいる彼女の左手を解く。自身の背中側へ素早く引き入れると、葉子の額に右手をかざした。
「我、汝を解呪する――ディスペル」
紫髪の男が唱えた瞬間、もやが晴れたように、葉子の意識が戻った。
「ふあっ!?」
彼女は目をしばたたかせると、「あれ? 私、何で街の外に……?」と辺りを見渡した。
「きゃあっ! この暴漢! 痛いですぅ……!!」
金髪の女は右手の痛みと、突然見知らぬ男に葉子を奪われたことで、泣き声を上げている。
「葉子さん! 葉子さんがっ……!! 何なの、お前っ!」
殺気のこもった目が紫髪の男に向けられた。葉子はフローラの叫び声で、男の存在に気付いた。
(この人、エルピス君の知り合いの……)
彼が何故ここにいるのか。葉子は今の状況を飲み込めず、呆気にとられた。
(さっきは嫌味っぽくて、素っ気ない態度だったのに。あの後、この人は家に帰ったんじゃないの? それに、私はどうして、フローラちゃんとここにいたのかしら……)
この男が一体何を考えているのか、どうして自分はここにいるのか……。
彼女が考え込んでいると、男はばつが悪そうに言った。
「あの子を送った後、用事を済ませて広場に戻ったの。あんたが気になってさ……」
彼曰く、泣き続けるエルピスを
一晩くらい大丈夫かと思い、家へ戻ろうとしたところ、街道の方へフラフラ歩いている葉子を見つけた。隣には見知らぬ女がいたので、気になって後を追った。
「遠目で見ていてあんたの様子が何か変だと思ったら、状態異常にかかっていたの。あの女の仕業だった。それは解除したから安心して」
「私にそんな記憶はないけど、そっか。だからフローラちゃんといたのね……。というか」
(解除って……この人、魔法か何かを使えるの? わざわざ追いかけてきて、私を助けてくれた?)
葉子は男へ視線を向ける。
「さっきは悪かった。あんたを一人残したのは私のミスだった。だから――」
「何ですか! この害虫……!! 私の葉子さんにベタベタ触らないでくれます?」
金髪の女があからさまに、男に対して不快感を滲ませた。
「不審者ですかストーカーですか? そうですね!? 葉子さんにまとわりつく、気持ち悪い害虫は、消えろ!!」
激昂した声で言い放つと、両手でナイフを構え、ブツブツ何かを言い始める。
葉子はそれが、攻撃魔法だと気付いたときには遅かった。
彼女のそばにいた男は、数メートル先まで吹き飛んでいた。彼は思いっきり地面へ転がると、うつ伏せのまま動かなかった。
「なっ……! あんた、何やってるの!?」
葉子の顔から血の気が引いた。
無抵抗の相手にいきなり魔法を放つなんて、間違いなく危険だ。彼女は慌てて男に駆け寄った。
背後から、「葉子さん?」とにじり寄ってくる気配が感じられる。
「ちょっと、あなた大丈夫!?」
葉子はうつ伏せだった男を仰向けにした。今の衝撃だろうか。彼はぐったりしており、頭と口元から血を流している。葉子は咄嗟に袖で拭った。
次に胸に耳を当てて心音を聞く。しかし男の心臓の音が、聞こえない。
「!! えっと……、心臓マッサージ!」
自分の目の前で人が死ぬ――。葉子は震える手で、男の胸を何度も押した。
フローラは、まるで汚物に触ったかのように手をはたく。
「葉子さん……。そんなゴミみたいな不審者といつ知り合ったのですか? いけませんよ? この世界は色々危ないのですから。これから私が一から百まで教えますからね?」
「危ないのはあなたもでしょ!? 自分を棚上げしてるんじゃない!」
葉子は叫ぶと、自分の周辺の砂をかき集める。
「フローラ! こっちに来たらこうだからね!?」
葉子は右手で砂を掴むと振りかぶり、フローラめがけて投げた。残念ながら、それは空振りに終わり、金髪の女にはかすりもしなかった。
「うふふ! 葉子さんったら。砂遊びですか?」
金髪の女が、葉子の前まで来るとしゃがんだ。
「大人しく私を受け入れなさい。そうすれば、あなたは永遠に幸せになります」
色白の手が、葉子の両頬を撫でる。
「さっきのが急に切れちゃったので驚きました……。なのでもう一回、かけておきますね? 今度は強めに――」
「んふふ……。不審者って、私が……? ふふ、ふは!」
乾いた笑い声が聞こえ、葉子は振り向いた。紫髪の男は口元に手を当てながら起き上がっていた。
「そこのお嬢さん……。永遠って、ある意味呪いみたいなものじゃないの? 私はそういうの――」
男はそこで口を結んだ。
葉子は、「よかった!」と言うと、彼の髪や服に付いた汚れを手で払った。その様子を見ていたフローラが嗚咽する。
「可哀そうな葉子さん……! その不審者に洗脳されちゃったんですね? ですが大丈夫です。私が呪いを解きますから! 私だけが葉子さんの味方です!」
(いつ、私は呪われたのよ……?)
心の中でつっこむ葉子へ、男は顔を向けると、
「ねえ、藤山葉子。ちょっと散らかっているけれど……あんたがいいのなら、今晩うちに泊まれば?」
「……! ありがとうございます!」
葉子はガッツポーズをして立ち上がると飛び跳ねた。男は葉子を、まるで小動物を見るような目で見つめた。
二人を見ていた金髪の女は唇を噛むと、発狂した。
「この不審者!! いい加減、私たちを早く帰らせてください!! どうして邪魔するのです! 次は手足をもぎますから、安心して死んでくださいね!? 葉子さん、待っていてください! すぐにその男を殺します!!」
「フローラちゃん、その発言物騒すぎるんだけど!?」
葉子はおろおろしながら、男の服の裾を掴んだ。
「何かやばいよ、あれ! 逃げる?」
金髪の女の背後から、ザワザワと囁き声が聞こえる。それらはやがて、ケタケタと笑い声を上げ始めた。
「さあ、闇に踊れ――!」
フローラが咆哮すると同時に、何かがその場に現れようと、
そこで紫髪の男が立ち上がった。
葉子は不安になりながら、彼の後ろ姿を見つめる。
そのとき、葉子の耳にキン、という音が聞こえた。例えるなら金属の音だろうか。葉子は何となく、今の音の発生源は男からだと思った。
金髪の女へ照準を合わせた瞬間、男の双眸が鋭く光った。
フローラが違和感に気付いたときには、すでに彼女の身体の半分は地面に吸い込まれていた。
「嘘……!? あの不審者、いつの間に魔法を――」
まるで穴に落ちるように、金髪の女の姿が掻き消えた。
葉子は驚くと、フローラがいた場所へ走った。地面を足で蹴って確かめてみたが、穴が開いている様子も人が落ちるような状態でもなかった。戸惑いながら、彼を見つめる。
「あの子、面倒くさいから追い払った」
「へ?」
「今頃どこかで転んでいるかもねぇ……。背後の厄介そうな奴も引っ込んだと思う」
「そ、そうなの? あれって何だったの?」
「あの子の眷属かな? 安心しなさい。フローラちゃんとやらは、しばらく貴女に絡んでこないから」
しばらく、という言葉が気になったので、葉子は質問しようとした。すると紫髪の男は踵を返すと街の方向を指した。
「それじゃあ、帰りましょうか」
葉子は釈然としないまま、彼とともに街へ戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます