日常
窓が開いていた。
教室のある階の廊下。
雨は止んでいるようだが、水の匂いを含んだ風が、細長いそこを吹き抜けていた。
明路は、窓の向こう、旧校舎を見上げながら、窓の桟を指で弾いて歩く。
その指先が止まった。
窓に手をつき、同じように、林の向こうに覗く校舎を眺めている人物に遭遇したからだ。
すぐ傍で足を止め、言う。
「何か居るの?」
ずっと見てるみたいだけど―― と言うと、
「いや、別に」
と言い、由佳は振り向いた。
桟に両手をついている彼は、
「何処行ってたの?」
と訊いてくる。
その細いが筋肉質な腕を見ながら、どう見ても、男の腕だよな、と思っていた。
幾ら繊細で奇麗でも、やはり何かが違う気がする。
よくこれに騙されていたものだ、と自分で思った。
何か気が迷っていたに違いない。
由佳の手が桟を離れた。
「行こう。
授業始まるよ」
うん、と頷き、横を歩いた。
「ねえ、由佳、一人でトイレに行ったんでしょ。
座敷童、出た?」
「出るわけないじゃない」
そんな話をしながら、女ばかりの校舎の中を歩く。
食後に古文の授業。
究極眠くなるな、と明路は教科書を握り締め、欠伸を噛み殺す。
ちらと見ると、斜め後ろの由佳は、立てた教科書に顔を突っ込み、欠伸していた。
思わず笑ってしまう。
「うひゃっ」
「ひゃっ」
突然上がった声に、抑揚なく続いていた教師の朗読が止まった。
軽く禿げた小柄な教師は、誰だとばかりに室内を見回している。
明路は首筋に手をやり、そっと後ろを顧みる。
さっき、何かひやっとするものが、うなじの辺りを撫でるように通っていったのだ。
見れば、由佳も同じように、首に手をやり、廊下の方を見ている。
「先生」
と明路は手を挙げた。
あまり積極的に手を挙げることなどない自分が挙げたことに、教師は驚いているようだった。
「すみません。
気分が悪いので、保健室に行って来てもいいですか?」
ちょっとシャキシャキ言い過ぎたかな、と思ったが、今まで真面目にやってきたことが幸いしたのか。
「一人で行けるか?」
と疑うどころか心配して送り出してくれた。
由佳の視線が自分を追うように動いていた。
廊下に出た明路を軽く腰を屈めた老人が出迎える。
人好きのする笑顔だ。
初対面のはずなのに懐かしいその顔を見ながら、明路は、
「こんにちは」
と呼びかけた。
「お待ちしてました」
老人が不思議そうな顔をする。
この老人の現れるときが、由佳の作り出した結界に大きな亀裂が入るときだと知っていた。
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