第三章 迷い込んだ霊

保健室

  

 

 外に出て来た由佳がしばらく話して、トイレに行ったあと。


 明路は老人と二人、保健室に向かっていた。


「すまんねえ、嬢ちゃん」


 肩を貸す明路に老人が言う。


「いえいえ。

 ところで、今、おっしゃったお堂なんですが。


 お地蔵様が祀ってあったとか?」


「そうそう。

 可愛らしい女の子がの。


 住んどったんじゃ」


 老人は頷くように首を振る。


 可愛らしい女の子……か。


 目を閉じ、考え込む明路に、老人は言った。


「何を迷っておるんじゃ?」


 その言葉に明路は、静かに目を開けた。


 老人ではない、その更に向こうの、特に何もない廊下を見ながら呟く。


「いろいろと、小粒に試してはみたんですよ。

 でも、気がついたら、また、同じレールに乗っている」


 老人の生身ではない肉体の向こうに伸びる長い廊下。


 それはいつか見た未来のように揺らぎない。


「……このままじゃ、また、みんな死ぬ」


 この間、あの人とすれ違った。

 でも、話しかけなかった。


 いっそ、関わるまいかと思っている。


 だが、こちらが避けようとしても出逢うこともあるかもしれない。


 ならば、いっそ、予定より早く出逢ってみたら、どうだろう?


 老人はこちらの言葉の意味はわからないのだろうに、黙って聞いてくれている。


「すみません。

 おかしなことを言って」


「いや、いいんじゃ」


 そう言いながら、老人の話はゆっくりと滑って行って。


 やがて、また一緒になった――。




 まただ。


 また、元のレールに戻ってしまった。


 明路は、何度も読んだ本を目にしたときのように、軽く話を聞き飛ばす。


「学校はこんなとこにはなかったはずじゃが」


 ぼそりと老人が言った。


「杜の向こうにあったんじゃがのう」


 そう。

 それは旧校舎だ。


 そして、あそこには――。


「先生にでも訊いてみましょうね」


 そう言い、保健室の戸を引き開ける。


「先生ー」


 呼びかけてみたが、返事はない。


 当たり前か、と明路は笑った。


 養護教諭は、一日の半分を旧校舎で過ごしているのだから。


「ともかく、此処で少しお休みになってください」


 そう言い、外に出た。

 杜の向こうにある校舎。


 その鬱蒼とした空間を思い浮かべながら、明路は覚悟を決めて、もう一度、保健室に視線を戻した。


 目の前に、大勢の人間が立っている。


 全員が、かなり着崩した感じの着物を着ており、うつろな目で、一点を見つめている。


 一点。


 そう。


 この顔を――。


 彼らに取り巻かれながら、明路は言った。


「貴方たちは凄いわ。

 迷いなくやってくる」


 こんなに姿が変わったのに、物ともせずに。


「或る意味、貴方たちが一番、ピュアなのかもしれないわね。

 私さえ、しっかりしていれば、自分たちは助かったと思っているのよね」


 それは、どれほどの信頼か。


「ごめんなさい――」


 そう、明路は言った。


 その言葉が彼らに届かないと知りながら。




『嬢ちゃん。


 人の想いは何よりも強いんじゃ――』






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