第七章 朝

新校舎

  

「今日は付いてくんのか?」


 門を出たところで、塀の上から肩に飛び乗ってきた猫に向かい、服部由佳は話しかける。


 返事はない。


 気まぐれな奴め、と思いながら、その細い身体を見た。


 そういえば、昔に比べて、やせたような気がするな、と思った。


 化け猫でも老け込んだりするんだろうかな。


 なんとなく肩から下ろし、腕に抱いてみた。


 その方が温かいかと思ったのだが、ふしゃーっと威嚇される。


 やっぱり猫の気持ちはわからん、と思いながら、朝の光に瞬きしながら、あの階段下に出た。


 階段の上、木々の向こうから自分を見下ろしている人物が居る。


 手を合わせ、こちらと目を合わすと、祈るように頭を下げる。


 明路の祖父だった。


 どういうことだ……。


 鞄を握る手がこわばる。

 



 朝、曲がり角の向こうから、鼻歌が聞こえた。


 そこしか知らないのか、同じフレーズを繰り返している。


 じゃあ、歌うな、と言いたいところだが、気分的にはわかる。


 そこだけ、頭に焼きついて離れないのだ。


 まるで、店舗で延々と流れ続けるCMソングのように。


 角を曲がってきた鼻歌男は、真正面に立ちはだかる形になったこちらに驚き、うわっ、と声を上げた。


「四条くん、おはよう」


「えっ!?

 あっ、おはようございますっ」


 だから、何故、敬語。


 そして、今日も覚えていないようだ。


 昨日、私たちにあんなひどい目に遭わされたくせになあ、と明路は思う。


「四条くん、今日も付き合ってよ」

「えっ? 『今日も』?」


「放課後、この辺で待ってるから」


 それだけ言って行こうとすると、いや、ちょっと待って待って、と四条は追いかけてくる。


 明路の肩を掴んできた。


「ちょっと待って。

 何をするの?」


「とりあえず、人探しかな」

「人探し?」


「サラリーマンの人を探してるのよ」


 明路がそう言うと、四条はますます、困った顔をする。




「あら、おはよう、由佳」


 新校舎の正門前に、一人の少女が立っていた。


 腕を組み、不機嫌そうに門に背を預けていた彼女は、ジロリと明路を見る。


 その顔つきや、仕草を見、


 最早、女装の意味はないのでは……と明路は思う。


「おはよう」


 明路はそう繰り返してみた。


 だが、それには応えずに、

「明路、話がある」


 そう言い、『彼』は門柱から背を起こした。




 由佳に促され、裏の林に行く。


 そこは、旧校舎との境になる場所だった。


 結界の前に立つ彼は、『ゆか』の仮面を脱ぎ捨てて言う。


「明路。

 腹を割って話そう」


 明路が無言で見返していると、


「そう警戒するな」

由佳よしかは言う。


 いや、するだろ……。


「まず訊きたい。

 何故、俺の封印が効かなくなった」


「効いてるわよ。

 私は毎日、記憶を無くしてる」


 そう言いながら、その綺麗な顔と女物の制服で、『俺』とか言われると、同性でもショックだなと思っていた。


 私が『綺麗な顔』と言うのも変か。


 自分が捨てた顔だ――


 そう思いながら、由佳の顔を見つめる。


「毎日、忘れて、毎日、思い出してるの」


 まだ何か言いかけた由佳の言葉を塞ぐように明路は言った。


「今度は、私の番よ。

 何故、腹を割る気になったの?」


 由佳は小さく口を開きかけてやめる。


 その顔を見、明路は、

「……誰か私を裏切った?」

と訊いてみた。


 だが、四条はさっき別れたばかりだし。

 彼こそ毎日、忘れている。


 和彦さんが裏切るとは思えないしな、と明路が思ったとき、由佳が俯きがちに、ボソリと言った。


「裏切るとか。

 そんな物騒なことを言うな。


 なんのために俺は……」


 そんな顔をしないで欲しい、と明路は思う。


『次はもう、好きにならないかも――』


 あのときのあの人はもう居ない。


 あの時間を共に過ごしたあの人はもう居ない。


 永遠に、現れない。


 こうして、私がすべてを消し去ってしまったから。


 すべてが始まる前に。


「おにいさま」


 明路は、わざと由佳をそう呼んだ。


 もう何を隠しても無駄なのだ。


 そう彼に悟らせるために。





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