第四章 旧校舎

旧校舎

 


 わしゃ、嘘は好きじゃないんじゃがのう。


 老人は前を歩いて行く明路の背を見ながら溜息をつく。


 なんかこの嬢ちゃんには言いづらいのう。


 さっき、明路に問われ、何も見えないと言ったが、それは嘘だった。


 保健室の戸口のところで、いきなり着物姿の男女の間に立たされた。


 あっという間に彼らが明路を取り巻いていたからだ。


 ありゃ、なんじゃ?


 うつろな眼をした彼らはただ、明路だけを見つめ、彼女の腕や脚におのが手を絡めようと必死に縋りついていた。


 明路はそれに気づかぬように彼らを振り落とし、歩いているが。


 今、最後の男が明路の足首から手を離す瞬間、痛ましげにその姿をちらと見ていた。


 おかしな霊に情けは禁物だ。


 明路は頭では、それをよくわかっているのだろう。


 まあ、わしもおかしな霊の一人じゃが。


 苦笑する。


 こうして、冷静に見ると、彼らは女神にすがる哀れな魂にしか見えないが。


 だが――


 人の良さそうな顔をした明路の、その魂からは、時折、血の匂いがしていた。




 あーあ。


 窓から緑の杜を眺めながら、町田は大きく伸びをした。


 校舎の向こうに広がっているのは木ばかりのつまらない光景だ。


 母親なんかは、あそこは神聖な杜なのよ、と言っていたが。


 いやいや、そんなものより、あれだけの空間、木を伐採して、グラウンドにすれば、部活で場所取りの小競り合いをすることもなくなるのに。


 そんな罰当たりなことを考えていた。


 それか、隣に女子校でも作ってくんねえかな。


 欠伸をし、視線を男ばかりの教室に戻すと、四条が珍しく、机について、何かをしている。


「おい」

と机に手を置き、言うと、四条は顔を上げた。


「なにやってんだよ?」


 そう言いながら、その手許を覗き込む。


「宿題だよ~。

 今日の分、やってなくってさ~」


 爽やかな体育会系の笑顔を浮かべ、四条は言う。


 開かれたままのノートを凝視し、自分は、


「……へー」

と言った。


 後でその話を誰かにしたかもしれない。


 だが、どのみち、誰も覚えてはいなかった。



 今見たものは、なんだったのか。


 そんなことを考えながら、町田は廊下を歩いていた。


 今、降ってはいないのに、木造校舎は雨の匂いを吸い込んで、湿気とともに、それらを廊下に充満させていた。


 すると、向こうから、白っぽい機械を押しながら、誰かがやってきた。


 すぐ側を通っていったので、軽く頭を下げてみたが。


 向こうは、こちらが目に入っていないようで、真っ直ぐ正面を見たまま、進んでいく。


 その人物が何者なのか、町田は知っていた。


 小学校のときも見た。


 だけど、六年間で一度だけだ。


 なんだか、最近、頻繁に見てないか?


 小首を傾げ、振り返る。


 白衣の男は、油が足らないのか、キィキィと音を立てる機械を押して行く――。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る