第五章 記憶

踏切

 

 

 まだ雨は降っていた。


 だが、西側が少し明るくなっている。


 雲の向こうに金色の光が僅かに見えた。


 この世ならぬものが漂っていそうなその光景を眩しく見、奇麗だな、と明路は一瞬思ったが、足を止めることなく、その場所に向かって駆ける。


 滅多に下りないくせに、一度下りたら、なかなか上がらない遮断機が下りていて、仕方なく踏切で足を止めた。


 此処へ来るまで何度かそうしたように、後ろを振り返ってみる。


 今にも追いついてきそうな気がしたからだ。


 一度、通りすぎた未来が――。


 目を細め、遠い記憶の果てを追うように、見据えていた。


 横に居たサラリーマン風の若い男が傘を肩に挟んで、何かメモを取ろうと手帳を広げるという無理な体勢のまま、更に背後を振り返っていた。


 案の定、傘は落ちかける。


「うわっ」

と声を上げ、手帳を持った手で傘を押さえていた。


 なんとなく目が合う。


 苦笑いしながら男は、手帳をポケットに突っ込んでいたが、


「あれ? 君?」

と再び顔を上げかけた。


「――こんにちは」


 彼を見つめ、明路は言った。


 やがて、側を長い貨物が通り、何も聞こえなくなった。


 


 雨だ……。


 また同じことを明路は思う。


 あの階段下に立っていた。


 小雨が降る中、塀から伸びた木々が濡れた葉を重く階段に向かい垂らしていた。


 さっきまで居た踏切を振り返る。


 だが、そこには人の気配もなく、ただ見慣れた狭い住宅街の道があるだけだった。


 雨で色の変わったコンクリートの段を黒のローファーで踏むと、場所によっては、結構派手に水が跳ね上がった。


 階段途中で足を止める。


 あの場所だ。


 今は濡れているだけのそこは、ところどころコンクリートが剥げたように色が変わっている。


 意識を集中してみた。


 だが、血の痕は浮かび上がって来ない。


 コンクリートの隙間から飛び出している雑草を見ながら明路は言った。


「どうかしましたか?」


 先程から、階段上に立つ誰かがこちらを見下ろしているのに気づいていた。


 雲のように垂れ込める木々の下。


 傘を差したその人物は、


「佐々木明路――」


 そう静かに自分の名を呼ぶ。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る