終章 未来――

未来

 

 

 今日も遅刻気味だ。


 そんなことを思いながら、走っていた。


 こんな遠い学校に通わなければよかったのだが、親の希望で、この辺りで一番の進学校に入れられたのだから、仕方がない。


 明日こそ、学校の近くにアパート借りる話を切り出そうと思いながら、急いでいると、住宅街に人だかりがあった。


 なんだ? と思い、足を緩める。


 人垣の向こうに、黄色いテープが張られ、その前に警官が立っている。


 なんだろうな、と思いながら、通り過ぎた。


「おはよう、服部くん」

とクラスの女の子が声をかけてきた。


「ああ、おはよう」


 彼女も遠方から通っているので、同じ電車だったはずだが、ゆったりと歩いてきている。


 野次馬連中に気を取られているうちに、追いつかれたらしい。


 マイペースな彼女に合わせるように、ゆっくり歩き出す。


 少し茶がかった長い髪に、愛くるしい瞳をした少女だ。


 神崎葵。


 好みというわけではないが、なんとなく心惹かれる。


「何か事件かな」

と彼女は言った。


 軽やかな声質だが、口調にはあまり浮かれたところはない。


「さあね。

 特に興味ないし」

と言いながら並んで歩く。


 少し格好つけて、そう言っているところもあった。


 事件に興味がないわけではない。


 刑事ドラマ、好きだしな、と思いながら、もう一度振り返って、ぎくりとした。


 何に驚いたのか、自分でもすぐにはわからなかった。


 その人は景色の中に溶け込んでいたから。


 野次馬たちの頭の向こうに、ちらりと見えた人影。


 事件現場に一人の女が立っていた。


 ちょっとぼんやりと。

 

 

 

「服部ー、珈琲飲みに行かねえ?」


 放課後、友人が声をかけてきた。

 鞄を机に置いたまま、振り返る。


 別の友人が、

「珈琲飲みに行くんじゃなくて見舞いだって」

と笑っていた。


 どうやら、この間骨折した友人の見舞いついでに、病院の中のチェーン店で珈琲を飲もうという話らしい。


 どっちがメインなんだか、と苦笑する。


「すまん。

 後で行けたら行く。


 ちょっと寄るところがあるんだ」


「薄情だな、服部」


 落ち着いた大人の声に顔を上げると、担任の眉村が立っていた。


「先生も行こうかと思ってたんだが」

と言う。


「間に合えば、後で行きますよ」

と答えて、鞄を取る。


 気さくな眉村とは気が合うし、話も合う。

 なんだか兄のような存在だった。


 出て行くとき、神崎葵がこちらを見ているのに気づいていた。




 門を出たときから、段々足が速くなっていた。

 今朝の事件現場に向かう。


 まだテープは張られていたが、誰も居なかった。


 まあ、そんなもんか、と地面に描かれたヒトガタを見ながら立ち尽くしていると、奥の四つ辻から誰か現れた。


 緩くウェーブのついた長い髪。

 ちょっと手入れが雑な感じだ。


 いきなりその場に座り込むと、地面を観察し始める。


 黒いコートと黒い髪で、なんだかホラー映画の登場人物のようにも見える。


 鼓動が不思議に速くなりながら、声をかけた。


「あの――」


 彼女は思ったより素早い動きでこちらを振り返った。


 息が止まる。


 色素の薄い綺麗な顔をした女だった。


 顔立ちは少し幼く、一体、幾つなのかわからない感じだ。


「さっき、現場に居ましたよね」


 テープの内側に居たから、事件の関係者か、警察の人間だろうと当たりをつけながら、話しかける。


 彼女はコートのポケットに手を入れ、立ち上がる。

 端正な顔とは裏腹に、ぼんやりとした印象だ。


「……刑事さん?」


 時折見せる視線の鋭さに、そうではないかと予想しながら、訊いてみた。


「そうよ。

 君は?」


「ああいえ、朝、此処で何かあったみたいなので、なんだったのかなと思って」


「殺人事件」


 そこで言葉が終わる。


 さすが警察、詳しく説明してくれるような、サービス精神はないようだ。


「なにしてるんですか?」

「何か残ってないかなあと思って」


「もう朝、調べたんですよね?

 鑑識の人とか」


「それでも、何かあるかもと思ったの。

 現場百回って言うでしょ」


「ああ、よくドラマとか推理小説とかで、そう言ってますよね。

 警察でも、実際にそう言われてるんですか?」


「本で読んだの」


 ……大丈夫かな、この人、とそのときは思ったが、のちに聞いたところによると、結構な遣り手の女刑事らしかった。


 彼女は黙って、地面を見つめている。


 遺留物を探していると言ったが、その茶色い瞳は、人とは違う何かを探しているように見えた。


 そのままの体勢で、

「君、名前、なんて言うの?」

と訊いてくる。


 まさか、話しかけてくるとは思わなかったので、少し戸惑いながら、答えた。


「……え、あ。

 服部……服部、れんです」


 ふうん、という顔をする。

 訊いておいて、どうでも良さそうだ。


 まあ、なんというか、あまり周囲のことに興味のなさそうな感じだ。


 そのまま、また高そうなコートが汚れるのも構わずに座り込む。

 刑事って儲かるのかな、とそのコートを見ながら思っていたが。


 そういえば、こっちの名前を訊くだけ訊いておいて、自分は言わないのか、と思ったので、それをそのまま口にした。


 すると、彼女は、ああ、という顔をして言う。


「あける――」


「え?」


「佐々木、明路」


 心の奥深く、何処かで――


 心臓とか違う何処かで、何かが反応した気がした。


 そんなこちらの表情に気づいたように、女刑事は顔をしかめる。


 立ち上がり、

「じゃあ」

と言った。


 そのとき、自分の後ろに深い青色の大きな車が着いた。


 降りて来た男は、明路を見るなり、

「こんなところで何をしている」

と叱り始める。


「すみません」

と全然すまなくもなさそうに言った明路は、


「目撃者から話を聞いていました」

と断りもなく、指差してくる。


 俺、何も見てないしっ。


 どうやら、男は彼女の上司のようだった。

 勝手な行動を取り、ふらふらしている彼女をいさめに来たようだ。


 頭ごなしに、怒鳴りつけている。


 だが、明路はどうひいき目に見ても、聞いていない。


「あのー、みなと部長」


 呑気にも感じられる口調でそう呼びかけ、睨みつけられていた。

 しかし、全く懲りている様子はない。


 男は、言いたいだけ言って、

「乗れ」

と彼女に言う。


「厭です」


 即座に出た彼女の言葉に、男はもう車に戻りかけていた足を止めた。

 当てが外れた顔だった。


「もう少し、此処に居て、それから帰ります。

 そのあとは、二度と来ません」


 何故か明路はそういう言い方をした。


 現場に二度と来ないってどんな刑事だ。

 現場百回じゃなかったのか、と思っていると、湊という男は、


「勝手にしろ」

と言い捨て、後部座席に乗った。


 そのまま、車は行ってしまう。


「よかったんですか?」


 別に、と言い、彼女は相変わらず、ポケットに手を入れたまま、立っている。

 そのとき、背後から、かしましい声がした。


「服部くんっ」

と呼びかけられる。


 げ、と思った。

 クラスで最も騒々しい女たちだったからだ。


 そして、そんな彼女らと正反対だから気が合うのか、わりといつも一緒に居る神崎葵もやってきた。


「今朝、此処で事件があったんだってね」

矢来未來やらい みくが言う。


「私、そういえば、今朝、見たんだけど――」


 彼女の話に、自分は明路の前に未來を突き出した。


「刑事さん、こいつ、何か見たらしいよ」

「えっ、この人、刑事さんなの?」


「えー、格好いいっ」


 刑事が格好いいのか、明路が格好いいのか、謎だが。


 まあ、どっちもかな、と思いながら聞いていた。


 明路はこの集団を厭がるかと思ったが、意外にうまく話を合わせている。


 先程までとは違う笑顔で話を聞いていた。


 なんか、これはこれで馴染んでんな、と思う。


 服装が見えなければ、明路もまた、高校生に見えなくもない。


 この人、どんな学生だったのかな、とぼんやり思った。


 彼女たちの方は、あまり出逢うことのない女刑事、しかも美人を前に、舞い上がっていた。


 従妹がいつか言っていた。


 女同士でも、運転していて、可愛い子が脇道からお辞儀しながら、入れて、と出て来ると、笑顔で入れてしまうと。


 そんな感じなのかな、と思いながら見ていた。


 明路は頷きながら、真摯に聞いているが、メモのひとつも取ってはいなかった。


 ふと気づくと、葵だけ、その群れに入っておらず、後ろの方に立っていた。


「神崎は話聞かなくていいのか?」


「別にいいわ。

 女に興味はないから」

と葵は切って捨てるように言う。


 いや、そういう意味じゃないんだが……。


 可愛い顔に反して、関心のないものにはきついので、入学早々、手ひどく振られた男が居ると聞いたが、ほんと、そんな感じだった。


 そのまま黙って立っているのも気詰まりだったので、


「じゃあ、さっき来た部長とやらの方が好みだったかな」

と言うと、


「見えたけど。

 好みじゃないわ」

と葵は切って捨てるように言う。


「少し年齢はいってそうだけど、格好よかったじゃないか」

と言うと、こちらを見て、鼻で嗤う。


「格好いい?」

と。


「服部くんは、男の人にもモテそうだから、気をつけてね」

とロクでもないことを言い出した。


 反応に困り、苦笑いしていたが、明路がこちらを見ているのに気づく。


 葵はすっとその場を離れ、一人駅に向かい、歩き出した。


「おい、お前ら、神崎帰るってよ」

と女子たちに声をかけると、


「ええーっ!?」


「ちょっと待ってよ、葵っ。

 あっ、刑事さんっ、あとでまた思い出したら、連絡するんで、連絡先教えてくださいっ」


 ナイスだ、矢来、と思っている間に、明路は名刺らしきものを彼女に渡していた。


 彼女たちは葵を追って行く。

 明路に未練がましく手を振りながら。


 明路は、残った自分に、

「君は行かないの? 服部くん」

と訊いてくる。


「なんか俺に対しては棘がありません?」


 彼女たちに対するような親しみやすい態度は自分には見せてくれないな、と思いながら問うと、明路は何故か額に指先を当て、少し考えるような素振りをしてから言った。


「君の、名前が嫌いなの」


 そんな持って産まれたものをどうしようもない。


 なんだか大人げないことを言う人だ、と思いながら見ていると、

「じゃあ、またね、服部くん」

と手を上げ、行こうとする。


「え、『また』?」

と、つい声に出して訊いていた。


 明路は振り返り、


「また逢うわ。

 別に逢いたいわけじゃないけど。


 また逢うの。

 きっとそう」

と言う。


 わからないことを言う人だ。


 そう思いながら、一歩、踏み出そうとしてやめた。


 そのまま地面を見つめていると、行ったかと思った明路が、こちらを見ていた。


「どうかしたの?」

と少し硬い口調で訊いてくる。


「いえ――

 別に」

と言ったが、嘘だった。


「そう。

 じゃあね。

 怪我したお友達によろしく」

と明路が言う。


 矢来たちが言ったのだろうか、と思った。


 グラウンドで怪我した間抜けな友人の話を。


 かつて、旧校舎があったという場所には、サッカーのグラウンドがある。


 焼け落ちたという旧校舎のあとに新たなグラウンドを作ったとき、各部で取り合ったらしいが。


 その部活中に友人は怪我したのだ。


 いきなり、人影がグラウンドの真ん中に現れたからとか莫迦なことを言っていた。


 白衣を着た医者だったと彼は言う。


 本当に莫迦なことを。


 あれはいつも居る。


 妙な機械を押しながら、歩いている。


 今更気づいて驚くなんて、愚の骨頂だ、そんなことを思いながら、


 明路が消えたあと、その場に膝をつき、地面に手を当ててまた。



 服部少年と別れ、ぼんやり歩いていた明路は、少し先に車が止まっていることに気がついた。


 ドアが開く。


 無言で乗り込むと、中に居る人物から、少し離れて座った。


「なんで言わなかった」

と湊が言う。


「何をです?」

「今日のこと、わかっていたんじゃないのか?」


「事件のことですか?」


 彼は溜息をついただけだった。

 そのまま、窓に頬杖をついて、外を見ている。


 駅に向かって歩く未來やその友人たちと道が交差した。


 明路は軽く目を閉じる。


 闇も眠るのも嫌いだ。


 また見なくてもいいものを見てしまう気がするから――。



『逃げて……


  明路、やめ……』



 それでも、明路は目を閉じていた。


 この街ごと、その視界から消すかのように――。




                  完



 

 ※「続続・幽霊階段」に続きます。

 





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続・幽霊階段 櫻井彰斗(菱沼あゆ・あゆみん) @akito1

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