異変

 

 結局、アイスを食べたあと、聡子と別れた由佳たちは、二人並んで通りを歩いた。


 踏切まで来たが、列車は通らず、そのまま線路を通り過ぎる。


 正面に見える幽霊階段を見上げ、歩いていたとき、明路が付いてきていないと気がついた。


 少し遅れて、足を止め、振り返る。


 明路が真っ直ぐにこちらを見つめた。


 どきりとする間もなく、小さな口を開く。


「ねえ、由佳。


 ――今から、うちに来る?」




 大抵の男がそうであるように。


 女の子の自宅に呼ばれると緊張する。


 ……が、まあ、今は自分も女だから、特に意味はないか。


 由佳は、そう溜息をついた。


 案の定、明路は行きつけの駄菓子屋で菓子を買って帰ろうなどと、呑気なことを言い、回り道をした。


 途中、遠くなった階段を見上げる。


 雨が降ってないせいか、あの霊の気配はない。


 階段を登っていく黒い人影が見えるだけだ。


 小さくしか見えないそれは、明らかに生きた人間で、ほっと息をつく。


「あのちっちゃいカステラが食べたいな。

 砂糖がまぶしてあるやつ」

と言うと、明路が、私も、と笑う。


 その屈託のない笑顔のせいか、余計、気になった。


 先程、自分を誘ったときの明路の顔が妙な決意をはらんでいたことが――。




「お邪魔します」


「あら~。

 由佳ちゃん、いらっしゃい」

と言う声がキッチン方面からした。


 安定した世界にほっとする。


「由佳、紅茶持ってくから先上がってて」


 うん、と返事をしてから気づいた。


 玄関に違和感がある。


 そういえば、よく自分を出迎えてくれていた、明路の祖父の姿がない――。




 息が止まりそうな夕暮れ。


 長く伸びた影が列車に轢かれる。


 それをただ黙って見ていた。


 最初は自分の。


 次は人の。


 まだ開かない踏切を見ながら、明路は言った。


「なにやってんですか、今日は。

 ウロウロウロウロ」


「落ち着かないんだ」

と男は言う。


「クビになりますよ。

 相変わらずのヘタレですね」


 振り返り放った辛辣な言葉にも、

「お前の言う『相変わらず』が、僕にはわからないが」

と冷静に返してくる。


「貴方は警察に居てくれなきゃ困るんですよ」


 額に軽く指を当て、何やら考え込もうとしていた和彦は顔を上げ、言った。


「それも予言か?」


「本当に信じてるんですか?

 私の予見」


 少し嗤って、明路は問う。


 和彦はそれには答えず、

「お前は馬鹿か」

と言った。


「そのお前の言う予見の世界では、今日、あいつと話したことが、お前の記憶の突破口となるはずだったんだろう。


 これでお前は完全に劉生を切り離したわけだ」


 和彦の不満の原因はわかる気がした。


 未来が予見から離れ過ぎる。


 予測不可能な状態になると、対処に困ると、和彦は言っているのだ。


「だって、劉生さんの顔を見てたら、巻き込んだら悪いかなって。

 それに、もう彼から、『私の名前』を取り上げてますから」


 私には近づけない、と言うと、和彦は、


「お前、まさか劉生を好きなんじゃないだろうな?」

と言い出す。


 まさかってなんだ、と思った。


「それを言うなら、そもそも、貴方に接触した時点で、私の見た未来から、大きく外れてるんですよ」


 和彦は顔を近づけ、

「逆ギレか?」

と脅すように言ってくる。


 全部お前が始めたことだろう、と言いたいのだ。


 雲のように垂れ込める木々の下。


 傘を差したその人物は、


『佐々木明路――』


 そう静かに私の名を呼んだ。


 あの日、和彦に手紙を送った。


『お前が、佐々木明路か』


 彼は、幽霊階段の上から自分を身見下ろし、問うてきた。

 胡散臭げに。


 当たり前だ。

 何処の誰とも知らない小娘から、いきなり意味不明の手紙が届いたのだ。


 最初は昔、自分が関わった事件の関係者が厭がらせの手紙を送ってきたのかと思ったと言う。


『たいして現場に出てないくせに』

と言うと、和彦は、少し言葉を止め、


『……それでも恨みを買うことはある』

と言った。


 あのとき、彼と接触できたことで、劉生を切り離しても大丈夫だと判断したのだ。


「そうだ。

 聡子が貴方を格好いいとか言ってましたよ」


「何故、そこで笑う」


「どっちかって言うと、可愛いかなあと思うんですが」


 お前、幾つだ!? という目で睨まれる。


 出逢ってからずっとこうだ。


 まあ、前もそうだったのだから、変わりない未来がやってきているということか。


 彼との事に関してだけは。


「貴方が話に乗って来るかどうかは賭けだったんですよ」


「僕のせいか?

 劉生を切り離したのは、僕が話に乗ったからだと言うのか。


 確かに、にわかには信じがたい話だった。


 手紙を破って捨てる可能性の方が高かっただろう。


 なのに、何故、僕に送ってきた」


「貴方が一番馬鹿じゃなくて、一番信用できるからですよ」


「信用できる?」

と和彦は鼻で笑うが。


「昌生さんを守るためなら、貴方は敵とだって手を組む人ですから」


 敵とはもちろん、自分のことだ。


「貴方と私だけでいいんですよ、真実を知るのは」


 すべてを知って、あくせくするのは――


「悪党だけでいい」


 そう呟くと、

「……服部由佳もだろ?」

と言う。


「あいつ、外す必要あるのか。

 あれこそ一番の悪党だろう」


「貴方は余計なこと、考えなくていいんですよ。

 それより、思い出してくださいよ。


 貴方が誰を殺したのか」


 鼻で嗤っていた和彦の表情が止まる。


「由佳の結界に呑まれて、都合よく忘れている貴方の記憶を取り戻してください」


「本当に僕には容赦ないな」


「救えないから。

 私には、貴方も昌生さんも、過去の罪からは救えないから。


 だから」


 予知の世界で口に出したことを、今、心の中で思う。


 犯した罪からは救えない。


 その心も私などには救えない。


 でも、せめて、あの未来からだけは救いたいから。


「だが、思い出したところで、僕は自首してはいけないんだろう?

 僕は警察に居なければならない」


「居なければならないんじゃなくて、居るんですよ、貴方は」


 素っ気なく告げた口調に、和彦は、うん? という顔をした。


 だが、今、その理由を答える気にはなれなかった。


 和彦さん。


 不安なのは、貴方だけじゃない。



 私は、恐らく、忘れている。


 何か、大切なことを。



 どうして……?



 その理由が、今はわからない――。

 





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