最終話

 子供のように「行かないで!」と泣き喚きながら目覚めた場所は、あの頃のカオサンではなく、底辺の巣窟で、日付も変わって午前一時を過ぎているので、隣の部屋のクソガキも小さな鼾をかいていて、しんとした孤独にも似た闇夜が拡がっている。

 あれはいったい何だったんだ?

 夢と言うにはあまりにも華やかで、曖昧な箇所が少なく、それでいて切ない夏の夜空のカンバスを彩る一瞬の打ち上げ花火のような夢だった。

「あの頃のカオサンだったなぁ…」

 俺は、窓辺に置いたトリスの業務用ボトルを呷り、昨日一日何も食べていなくて、腹の虫がだらしなく鳴いているので、最後の一個のキットカットと多分、賞味期限が三日ほど過ぎているカットフルーツを齧る。これで部屋にある食糧は二合ほどの米と醤油とごっつ盛りの焼きそばに付いている辛子マヨだけになってしまったが、不思議とひもじい気持ちにはならない。きっと夢の余韻だろう。

 それまで俺にとってのカオサンとは、若い頃のいい加減に生きた日々の記憶の一片であり、誰かに語らい、伝えていくことなど恥ずかしいものだと思っていたし、それは今もあまり変わらないが、俺の中ではあの「当たり前の中にあった幸福」に気付けたのは、この耐えるばかりで余裕のない暮らしあってこそのものだろう。

 働くという術すら知らない藝術家のキリギリスは、飢えて、瘦せ細って、朝から晩まで額に汗して労働する蟻を嘲笑いながら、声高らかに歌い、好き勝手に生きた愛しげな盛夏を想いながら冬に死ぬだけの話だ。

 俺はそれを必要以上に悲劇として捉えていたが、「因果応報」とも言うべきごく当たり前のことなのだ。

 俺は、厳冬に死ぬキリギリスなのだ。

 ユキエさんは、俺に気を遣ってか「希望のようなもの」をいくつも言い残したかったみたいだが、俺のことは俺が一番よくわかっている。あんな楽園の日々を何の努力もせずに享受した人間が今更、幸福だの名誉だの家族だの普通の暮らしだのを求めるのは厚釜しく、そんな願いは唾棄されるべきものなのだ。

 俺は何も世捨て人になったわけはない。ただ冷静な目でバランスシートを見てそう言っているにすぎない。

 いい時代に生まれ、いい時代に酒や旅や女を覚えたものの、いつしか運命が斜陽し、辺境へ辺境へと追われ、手に入れたものなど何ひとつなかったことを思い知った。そう言う意味では己や日本の落日を見ずにすんだ森さんやジミーさんはまだ幸せ者と言えるのかもしれない。特にジミーさんに至っては肥えたキリギリスのまま逃げ切ったわけだから、勝利者とも言えるかもしれない。

 そんなことを言うとユキエさんが悲しむ。お袋を悲しませても心は痛まないが、あの人の笑顔の残照が俺が悲運や死に向かうことを拒む。それなのに、自己肯定の低い俺はどうしても「自分を労わる」ということができない。

「ユキエさん。俺は、あなたが思っているような善人ではない。あんなものは地獄に落ちたくないが故の偽善だ」

 俺は又、痩せ我慢をする。

 何も変わらない現実。

 輝いていたカオサン。

 輝いていたように見えた日々。

 もう戻ることも取り戻すこともできない。

 だけど、懐かしい夢だった。

 たったひと夜の美しい夢。

 キリギリスの息も絶え絶えの人生はただ続く。


                                                了

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あの頃 野田詠月 @boggie999

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