本編 ⑥
森さんとは積もる話もあったし、色々と質問したいことや助言を受けたいこともあったが、突然の珍客のおかげでお互い少し白けてしまったので、失礼し、隣のミニツアーの岩見さんに会釈し、バイヨンビルを出ようとしたところで南国の突き抜けた青い空によく合う白いワンピースを着たいい匂いのする女優の一色紗英とすれ違った。最初はその風貌からタイ人の若い女の子だと思ったが、この頃のカオサンに遊びに来るような物好きはまだいなかったし、後年、森さんが一色紗英来店時の話をよくされていたので、本物だと確信したが、今も昔も別に好きな女優さんではないので、「すれ違った」以上でもなければ以下でもないし、出戻ってミーハーになるつもりもない(内田有紀ならナンパしたかもしれないが…)。
まだ太陽は猛威を振るっている。
というよりもあれから小一時間も経っていなかったようで、日本ならばウキウキウォッチングの正午過ぎと言ったところ。酒も飯も中途半端なので、エアコンの効いたヤワラーの「和成豊」かピンカオ橋向こうのパタデパートのフードコートまで歩こうかと思ったが、この炎天下での三十分以上の徒歩移動は行軍乃至は自殺行為なので、ここから徒歩十分ほどのプラアティット通りの「ココチャオプラヤ」を目指した。
途中、テラスゲストハウスの前を通ったが、前述の通り、この頃はまだ知り合いでも友人でもないジミー金村さんに会う勇気はなく、眩しそうに目を細めて異国の空を見つめ、「ジミーさん。どうかこれからも死後もよい旅を」と割と真剣に祈った。
俺が今いる九十九年頃のプラアティット通りと言えば、まだタイ人にも日本人にも存在を知られる前で、暇そうなファランが点在していた程度で、現在みたいにカフェやレストランは予約しないと席がないなんてことはなく、俺はあまり誰とも会いたくない時は安部屋で引きこもるよりも「ココチャオプラヤ」で日がな一日チャオプラヤ川を見ることを好んだ。
改築してすっかりお洒落になった今と違って、エアコン席はないものの、高床式の板張りの床と川へと吹き抜けたテラス席が気持ちよく、よく冷えたシンハビールを飲みながらのんびりしていると、自然と呼吸が悠久のメコンの流れに合ってきて、同時にバンコクの時間の流れに身を任せる術がわかってくる。
またここはこの数年後にロイカートン(タイの灯篭流し)の幻想のような一夜をタイ人の彼女と過ごした、俺にとっては少し甘く、ロマンティックな思い出で少し誇らしいような照れくさいような場所でもある。あの時の夜の川を埋め尽くした幾千も幾万とも流れる美しい灯篭の群れの記憶と雑念も言葉もなく川が流れるように自然に交わした甘い口づけは忘れようにも忘れられない。
俺はシンハの大瓶と暑いので、つまみにクンチェナムプラー(エビのナムプラー漬け)とヤムウンセン(春雨のサラダ)を頼んだ。いずれも冷菜だが、辛いのでビールが進む。流石にこの暑さでトムヤムクンを汗かきかき啜る気にはなれない。
氷を張ったグラスにシンハビールを注ぎ、一気に飲み干す。まだこの頃は今のようにアルコール分五パーセントではなく、かなり高めだったので、氷で割ると丁度良いのど越しと酔い心地になる。クンチェナムプラーをつまむと、すっぱいと塩辛いの後に唐辛子の辛さが刺さり、更にビールを欲する。
木漏れ日というには暑すぎるほどの天国が降ってくる。
そんなもの俺にはもう関係ないと諦め、自ら放棄したものを思い出しそうになる。
一息ついて川を見る。
やっと見えてきた。
太陽を浴びて黄金と銀の中間くらいの色のゆったりとした漣が心を解す。広島育ち故、川のある生活が当たり前だった俺には濁流ですら有難いし、俺の運気そのものを落としていたような悪意や嫉みや僻みがこの川の底に沈んでゆき、まだ名のない新しい生命が祝福されているのを感じる。
果たしてあの生活でこんなに安らぐ時間があっただろうか?なぜこんな時間を過ごすことすら許されていないような境遇に甘んじていなければならないのだろうか?どこで選択肢を間違えたのか?或いは、皮肉で苛烈な籤ばかり引かされるのか?
当然ながら、川は何も答えてくれない。
答えなどはじめからないし、知る必要もない。
俺はただこんなシンプルで幸福な時が欲しかっただけなのだ。
冷たいビール。刺激的なあて。心地よく涼しげなタイポップス。流れる川。熱風に揺れる向こう岸。嘘でもいい優しい笑顔。間延びしたタイ語。生暖かいが汗ばんだ素肌を愛撫してゆく風。甘い果物の匂い。穏やかな熱帯の午後。短くてもいい緩やかな人生。やがて訪れる午睡と黄昏。
たったそれだけ。
ここにいれば何も難しくないはずだ。
六本木の馬鹿どもとは永遠に相容れない俺の幸福なのだ。
金で買える幸福と言えばそれまでだが、あいつらのように我慾と実利と他に対する思いやりのなさで曇ったそれと一緒にしてもらっては困る。あれらは後何年かすれば罪状が白日の下に暴かれ、望まない姿に代わってしまう類の脆いものだし、それを失えば、奴らの存在価値なんてなくなる。
嗚呼。もののあはれ
そして、川が流れるという普遍。
どうか常しえであれ。
俺は一瞬でも構わないし、きっと狂った夢の一幕に過ぎない。
あの頃はそんなことなど考えもしなかったし、癒しなども求めず、ただ川を見詰めていただけだった。それこそ、無垢な幼児の祈りのように生きていくうえで自然と積み重なった垢や汚穢と言った余計なものが何もなかった。このようにあの頃に戻れても、あの頃の境地にまでは戻れない。随分と知らなくていいものを知り、心を偽ってやりたくもないことをやってきたからな。「下らない」と思っても、降りることもできず、作り笑いを貼り付けてきたからな。
でも、それでいい。
あの暮らしを経て、現在、チャオプラヤ川を見ていると幸福が何かということがよくわかった。
それは言葉でも物質でもないことは確かだ。
誰かにわかってくれなんて言う必要もない。
きっと煉獄に戻った時には忘れてしまうかもしれないし、思い出す時間すら与えられないのだろう。
俺は微睡み、チャオプラヤ川を渡る風になって、あの頃へと流れてゆくだろう。
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