序章 ②

 いつもは帰りの日比谷線で大きなスーツケースやブランド物やディズニーランドやヨドバシカメラの紙袋を抱えた我が物顔のインバウンドを見ると、日本が安く見られ、安く買い叩かれているような気分になり、心の中で毒つき、静かに殺意を抱き、拳を震わせて憤慨するものだが、聴こえてくるのが仕事をしているような気分になるアメリカンイングリッシュや厚釜しく鉈でも切れないような北京語や柔らかさがなく、人を問い詰めるような朝鮮語ではないとわかると、少しだけイライラが収まるのはいつものことだが、だからと言って、その対象外の異国の言葉が今日一日の勤労や叱責や惨めさを労ってくれるようなことなどまずない。清らかな水のように優しく流れるタイ語だって話している内容が下らなかったら意味がない。

 外に媚び、内を疲弊させるのは政府も民間も同じだ。

 たとえ一万個功績や功徳を積んでも、たった一個の失敗や心得違いや落ち度を徹底的に責め立てられるのが真っ当な日本人が属する日本社会だ。そんなことがわからないほど俺は純情ではない。俺のような何の才能もない人間は冷たさに慣れることと逃げ道や寄り道を用意することを覚えないととても生きていけない。

 それにしても疲れる。

 とことん追い詰められる。

 まるで懲役だ。

 だから、この頃、生きるのがつらい。

 どこでもいい。現実逃避がしたい。

 そういう時、俺は決まってスマホを取り出し、グーグルマップのアプリを開き、人差し指で地図をスワイプさせ、行ってみたい街や過去に行った美味しかった御飯屋さんや絶景なんかに疑似旅行を楽しみ、写真や口コミを見て、巧いこと苦痛から逃れようとするのだが、今日の俺はなぜか富士山を超え、京大阪と地元広島を通り過ぎ、関門海峡を渡り、大好きな博多や沖縄や台湾にも目もくれず、インドシナ半島に入り、二つほど国境を越えて、先程、封印したはずのタイバンコクのカオサン通りをを目指した。

 自分でもなぜだかわからなかったが、この半年というもの、それほどまでに人の優しさであるとか、微笑みであるとか、あそこにいれば当然のように存在したものに渇望していたところに今日、刹那に感じたあの懐かしい感覚が固く閉ざして鍵を下したはずのあの頃へと通じる扉を開けてしまったのかもしれない。

 クロントーイ市場からまっすぐラマ四世通りからファランポーン駅とヤワラー通り(中華街)を抜け、マハチャイ通りを北上し、民主記念塔が見えたら、カオサンは目と鼻の先だ。午前中の涼しい時間にカオサンからヤワラーはよく歩いたので、覚えているものだ。

 タナオ通りまで来ると、これ以上の深入りは禁物なのではないかと思った。

「МPツアー」も「竹亭」も「チャイディマッサージ」も「レックさんラーメン」ももうここには存在しない。森さんは十二年前に死んでしまったし、橋本さんと大河原さんはそれぞれタイ人の奥さんの地元に引っ込んでしまったし、レックさんはアユタヤだ。何より今のカオサンはタイ人のおしゃれ目の若い子たちが外人と触れ合ったり、おしゃれ目のバーやカフェやレストランに集まるようなまさに六本木を彷彿とさせる糞みたいな街に成り下がってしまったからだ。

 いいから引き返すんだ。

 心の声は明瞭だったが、俺は一か所だけ確認したい場所があり、そこだけわかったらアプリを閉じるつもりだった。

 その場所は存在した。

 カオサンから一本狭い路地に入ったところにある「チェリーゲストハウス」だ。

 エアコンも鍵も防音もない一泊百バーツの小汚い宿だったが、俺は何年かここを定宿にして、近隣諸国を旅したり、惰性に何週間も遊び惚けて過ごしたりした。おばちゃんの六十歳の誕生日は俺たちで祝ったんだった。

 四半世紀も前の話。

 それに場所は残っているものの、口コミはないし、グーグルの写真だけでは営業しているのかどうかもわからない。

 そうこうしているうちに中目黒駅に着いたので逃避の時間は終わった。 


  

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

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