曽根田山の神のうどん 1

「あ、西条さん」

「…ん? あ! 華園くん!!!」


橋田先生のオリエンテーションは少し終わる時間が早かった。他のどのクラスよりも早く、下校時は静かに帰れと注意を受ける。


しかしみんな、そんな下校の促しとは裏腹に一直線である場所に向かっていた。それは我が蘇我ファミリーも同じだ。ただ、俺は少し西条さんに用があった為、皆んなに後で追いかけると伝えて廊下で待っていた。


トコトコと駆け寄る西条さん。俺は帰宅する人の邪魔にならないようにと窓際に寄ると、西条さんもそれに合わせて身を寄せてくれた。


「華園くんホログラマー持ってたんですね」

「あ、これは貸し出してもらってるんですよ。やっぱりないと周りに置いて行かれてしまうからって話で」

「まぁ確かに連絡とか資料配布とかはもう殆ど紙でやってないですからね…」


お互い壁に背を預け手前だけ見ている。

目はどうも合わせきれない。


「そうらしいんですよ。……それで、まぁその、ホログラマーも持った事だし、西条さんとも仲良くしたいなって思いまして…その、連絡先交換したいなぁって思いまして。はい」


様子を伺いながらぎこちなく語る。

そんな俺の言葉に西条さんは嬉しそうな表情を弾けさせた。目があった。


「うん! いいよいいよ! 是非是非!!」


とてもウキウキとした西条さん。さっそくと近距離登録を用いて交換すると、ハートの絵文字付きで『西条翼ですっよろしくねっ♡』とメッセージが届く。


だがこのハート、俺は知っている。

女の子はただデコる為、単調になりがちな文字に彩りを持たせるために使うものなのだと…!

文字でのやり取りでも可愛さは重要視されているのだと理解している!


『こちらこそよろしくです! 華園昇也です!』


なんとか目線タップで文字を打ち切り、ふぅっと息を吐くと「なんか可愛いですね」とおもしろそうに笑う西条さんと目があった。ミディアムのブラウンヘアが可愛く揺れている。


「あっ。そうだあのね華園くんっ」

「正直西条さんともうちょっと話したいんだけどぉ、うん、なに?」


お互い話そうとして言葉が重なり合う。

俺は西条さんの話を優先しようと問うてみたが。


「…もしかして急いでる…感じ?」

「ぁー……うん。…ちょっと、蘇我ファミリーでご飯会があって…」


そう理由を話すと西条さんは。


「え、そ、え、蘇我ふぁみ。…え?」

「あぁごめんっうちのグループ名…みたい、なんだ。保健室から帰ってきたらなんか決まってて…」

「え、保健室!? 何かあったんですか!」

「いや、俺実は物覚え苦手でして…頭使いすぎて倒れちゃったんです、はは」


そんな俺の恥ずかしい部分を曝け出してみたが、西条さんは笑わなかった。どちらかといえば少し心配そうに、大丈夫? と声をかけてくれるーーと思っていたんだけれども、少し想像と違っていた。


「そうなんだ…華園くん頑張ったんだねっ、すっごくいいと思うっ。苦手克服って大変だもんねっ、うんすごくいいっ」

「そうかなぁ」

「そうだよっ、お疲れ様っ」


な、なんだろう。


(嬉しい!)


それにこの気持ち…すごく癒される。のと、なんか西条さんをみてたらドキドキしてきた。

なんですかこれ。


「褒めてもらえるなら一段と頑張んなきゃだなぁ、辛いけど」

「辛いことの先にはいい事あるよっ、努力なら特にっ。…あっ、ごめんなさい。急いでるんだったよね、ごめんね」

「うんん全然。また話しましょ」

「うんっ。それに、ウィコネあるしいつでも話せますからねっ」


そう言った西条さんの言葉の中にあった一つのワード。これがなんなのかわからず首を傾げると、すぐに察してくれたんだろう。さっき連絡先を交換したウィーコネクトの略称だと教えてくれた。


「ウィコネって言えるのか…言いやすいな……。ありがとう、じゃあまた後で連絡します!」


俺は話し終えてすぐ、会いに行かなくてはいけない人の場所に向かった。


「うん! また後でって…速いなぁ」


西条翼はそんな華園昇也を見届けて、思っていた。


(華園くん……腕の筋肉、ムキムキってよりカチカチって感じですごかったし、脚もすごいんだろうなぁって思ってたけど脚早いって事はすごいんだろうなぁ。筋肉フェチにはたまらないなぁ、今度脚とか腹筋とか見せて…いや流石に私気持ち悪いな。うん、ちょっと、うん。こう言う時は自分がされたらって考えて……うん。出来ないし嫌だから、思考の第一フェーズの時点で「腹筋見せてください」とお願いすることを「しない」を選択します。はい私、欲望に飲まれない飲まれない。偉いぞ私)


西条翼は、そう。

とても筋肉フェチだった。


ーーー


「いやぁすまなかった。ここ数年ホログラマーの貸し出しなんてなくって鍵の保管場所を変えてたみたいなんだ。ほんっとうにすまなかった、オリエンテーションとか少し置いてけぼりだったろ」


急いでやってきたのは、今朝方お世話になった場所。ドア前の立札を見ると生徒指導室と書いており、目的地に間違いはない。実際、会いたかった人はここにいた。相川先生だ。


「いえ、クラスの人皆んないい人で色々助けてもらいました」

「おぉそうか! いいクラスに恵まれたか。それはよかった…。例年、もちろんいいクラスの割合が多いんだけど、やっぱり1クラスくらいはやんちゃだったり、馬が合わなくてみんな仲が悪いクラスも出てくるんだ。だから先生心配してるんだけど、1-10は問題なさそうで何よりだよ」

「幸運だと思ってます」

「だね、これは間違いなく幸運だ。よかったな」

「はいっ! …あ、あとこれ、お礼に」


そう言いながらポケットから取り出したのは2本の缶コーヒー。朝の一件とホログラマー、二つのことでお世話になったから、と言うわけではなく単純に。


「甘いのと苦いの、どっちがいいかわからなくて。ブラックとカフェオレです」

「おぉ〜気がきくねぇ、ありがとう是非どっちも貰うよ。俺はねどっちもいけからね」

「それならよかったです。ではちょっと急いでるので…」

「わかった。これ、ありがとね」


そうコーヒー二つを軽く持ち上げて相川先生は言った。そのまま円満に退出し、蘇我ファミリーの元へ向かえる……と思っていたのだが。

突然、空気がズドンと重くなった。少し呼吸が止まる。先生の目を見ると余計圧力がかかった。

まだ何も言っていない。言われていない。のに、足がもう動かない。とてつもなく重い。


「あ、あの、な、なにか俺に用が…あったり……」

「あぁ。一言だけな」

「な、なんでしょう」

「廊下は、あんま走るなよ」


とても高圧的な言い回しでも、威嚇するような言い方でもない。むしろ優しげで怖くない言い方。なのに、なにこれ怖い! 心臓の底が震え怯えている。


「き、気をつけます」

「うむ、よろしい」


その一言で張り詰めた空気は鳴りを潜めた。


「ふぅ……」


パタンと、ゆっくりスライド式のドアを閉め、息を吐く。


生徒指導室までの道のりは走ってはいたけど、この階に降りた頃には早歩きにしていた。なのにどうしてなんだ。どこから気づかれていたんだろうか。


「んー…」


まぁそれを考えても仕方ない。

とにかく急ごう、早歩きで。


て、事で。


「ごめん皆んな待たせー!」

「おっきたきた」


古賀くんはそんな俺を見て、ピンク色の整理券を5枚はためかせて嬉しそうにしていた。


向かった先は学園食堂1号館。

教室棟用学園食堂は時間的にも人が集まりやすく、作る時間や席の確保から4号館まで用意しているらしい。


俺たちがいた教室棟の一階、案内に従って歩けば食堂への専用の大きなドアが設置している。

そこから先の道はU字に枝分かれしており、そのU時の内側に食堂がある。左に1、2号館。右に3、4号館といった並びだ。


各号館の真向かい、つまりはU字の外側はガラス張りのテラスになっている。テラスにも大きめの出入り口がついており、ドアを潜ればバルコニーに出ることができる。


日差しが当たりやすいらしく、夏以外にはもってこいの場所なんだとか。


色調は植物や濃いめの茶色い木材などで整えられており開放的。吹き抜けの2階席もあり、かなり大きな食堂となっている。これで一つの号館だ。

この大きさじゃあ足りないという事に驚きを隠せない。


そんなお上りさん前回の様子で辺りを見渡す俺に、古賀くんは腕を回して整理券をパタパタと棚引かせた。


「いやぁまじでハッシー神だわ」

「ハッシー……?」


聞き馴染みのない言葉に首を傾げると、灰田さんが注釈を入れてくれた。


「橋田先生、うちの担任の」

「あぁなるほど。…まぁどのクラスよりも早く終わったしね」


そう答える俺に、古賀は分かってないなぁといった風に目をいやらしく細めていう。


「それもあるけどよぉ、言っただろー。こーれ」

「えっと…そ、そね、ギャル曽根いや違う。曽根野…」

「ギャル曽根ちゃうはっ…てか懐かしいなギャル曽根。てちゃうねん! 曽根田山の神うどんな!」

「そうそれ」


古賀くん、教室の時よりもテンションが高そうだ。

実際語る口調は饒舌じょうぜつそのもの。


「新入生歓迎祝いって事で各館トップのバイターが料理を振る舞ってくれるんやけどな、やっぱ曽根田山のだけは知名度も質も段違いなんよ。やから整理券は12:30からなんやけどな、今は12:40で、整理券自体はものの2分で完売してん。こんなんハッシーおらんかったら無理やったって。いやマジハッシー神、ありがとうハッシー、心の底から愛してるハッシー、ありがとうハッシー」


あぁほんとに嬉しいんだろうなとわかる。ここまで感情的に人に感謝をする人なんて中々見ないし、それ程までに気分が高揚しているのもテンションと鼻歌と体の力の入り具合から伝わってくる。


(うん、だからもうやめてほしい。痛い。痛いんだって…だからもう!)


「古賀くん! 首が痛いので力緩めろください!」

「華園くん敬語と命令形ぐちゃくちゃだよ…」

「おっとわりぃ、つい力が…」


古賀くんはまじすまんと両手を合わせて頭を下げる。金髪と黒毛のメッシュ、太陽光が少し反射して眩しい。そんな古賀くんの過剰な反応だったが、意外にも灰田さんは仕方ないと頷いていた。


「まぁでも古賀くんの気持ちはわかるわ。私も学園入ったら一度は食べてみたいと思ってたし。食べられず学園生活終わったってSNSで言ってた学園生いたりで機会なんてそうそうないはずだったから嬉しい限りなのよね」

「その通りね! 私も正直こんなに早く曽根田山の神のうどんを食べられるとは思ってなかった!」

「僕もまぁ食べてみたいなぁとは思ってたから。とはいえ人の首を絞めるくらい力は入ってないけど」

「いやごめんやん」


よくよくみんなの様子を観察してみると、それぞれ様子の変化があった。凄く…なんというか目がギラギラしている。ちょっと呼吸の速さも早い? 少し興奮気味。ごくりと下る喉の動きがあった灰田さん。

食欲がそれを期待しているのもあって増しているんだろうか。お昼時という事もあるし、そういう事だろう。


(皆んなそんなになるまで楽しみだなんて、どんなうどんなんだ…? うどんが美味しいって難しくないか? 出汁が美味いのかな、コシが強い…?)


味の想像がつかない。

でも多分、この【想像がつかない】という感情が、食欲への好奇心を高めるスパイスになってるんだろうなという事は推察できた。


(曽根田山の神のうどん、楽しみだ)


そんな華園のあっけらかんとした頭。

その前に並ぶ、4人の頭の中。


鼻歌にとどまらず今にも歌い出してしまいそうな「古賀」。腰に当てた指はピアノを叩くように動いている。


元気いっぱいと言った表情を浮かべる「蘇我」の靴の中を見てみると、指でインソールをリズム良く叩いていた。よくみると手もだ。ブレザーの中に入れている指が比喩的にいうとピタんピタんと跳ねている!


「米田」もそんな2人の内内の喜びようと同じで、楽しそうに小刻みに身体が動いている。そしてアホ毛がプルンプルン跳ねている。


しかし、「灰田」だけは、全員の欲求を三線以上離して画していた。


(あぁああ!! やったやったやったやったぁ!! え、夢? 夢じゃない! ねぇ夢じゃないって誰か言ってー! 嬉しいはしゃぎたい飛び跳ねたいわぁ嬉しいダメ嬉しい! ずっと食べたかった! みんな死ぬほど美味しいとかハードルガン上げしてて懐疑的だったけどあのSNS辛口四天王とミシュランの人が総じて「あれはヤバい」って言うくらいだもん! 辛口四天王とは舌が似てるからわかるの! あの人たちが「ヤバい」って言うって事はほんとにやばいの! 不味いを隠すための言葉じゃなくて美味いって意味でほんとにやばいの! あぁもうなにほんともうなに! 嬉しい楽しいお腹すいた! 朝ごはん少なくしておいて正解だった! …実は美味しいものを食べたい時は完全な空腹よりもほんの少しの空腹が大事ってのを知らない人が多いわ! 何故なら味わうという余裕を! 食欲が! 味覚と! 食べる速度を! バグらせて! 味を満足に堪能できなくするから! それを知ってて使いこなす私って天っ才!! 私すごい! あぁお腹すいた! 蘇我ファミリーさいこー!!!! 橋田先生大好き!!)


以上、空白・感嘆符含む462文字の独白。

灰田は特別口数が多いわけではなく、なんだったら何処か済ました顔をしているが、大体こういう感情を持ち合わせている。

それが灰田抄子という女である。

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