【1年生】4月〜6月 <<11話〜20話>>
蘇我乃々愛は心臓病を患っている
神のうどん。
そう呼称されるこのうどんは、大袈裟だとか人による。そういう見解すら真っ向からぶち壊す鈍重な波動の衝撃を残していった。
これを、この幸福感を、多幸感をどう言い表せばいいかわからず俺はほっと一息吐いて言葉を吐いた。
「今日…みんなと出会えて良かったよ」
「……どうしたの、華園くん」
米田くんはそんな俺の発言に、満足気にお腹をさすりながら不思議そうに問うていた。
「いや、なんというか、美味くて、うどんが。みんなと会えてなかったら多分このまま寮に向かってどこかの売店でご飯済ましていたと思うから」
「あー…なるほどね」
クスクスと、米田くんは笑う。
「僕も気持ちとしては一緒かな。今日は棚ぼたって感じで、偶々誘われたから来ただけで学食に来る気はなかったから」
「じゃあ幸運だな」
「……だね、幸運」
拳を突き出せば返ってくる拳。なんとなくこうしたくてやってみたが「案外乗ってくれるものなんだ」というちょっとした気づきと驚きを感じた。
そうして向けられた米田くんの瞳。その先にある食器の中身を見て驚いていた。
「てか、華園くんもう食べ終わったんだ」
「……え?」
そう言われて自身の食器に目を向けると、全部からだった。何が起きているのか訳が分からず見渡すが、犯人らしき人間はいない。それに、なんと言うかお腹いっぱい。お腹を見れば張っていた。
「ほっぺにホイップクリームついてるし」
「えどこ」
「ここ、右頬」
米田くんの一言で、あぁガムシャラに食べちゃったんだなと理解する。そして、米田くんが自身の右頬を指差して教えてくれたので拭ってみると、人差し指に人肌で溶けたホイップが乗っかっていた。
ほっぺも指も、少しベタつく。
「あぁほんとだ、いつのまに」
「もしかしたら神のうどんに頭持ってかれてたのかもね。だから他の食べた物の感想すら抱けなかったとか」
「……いや、真面目にありそうで困る。てかそれだー。心地が天国だったし、うどんに連れてかれたねこれは」
「そ、そこまで、かなぁ」
「実際さっきまでうどんを食べてた記憶しかないからね。出汁に浸った麺、後になるほどに柔らかさが出てきて食感の変化もあるし味わい方も変わってくるしーー」
「う、うん。そ、そうなんだ。美味しかったもんねほんとに」
「うん。本当に、美味しかった。100万点、100点満点中」
「それは凄いなぁ」
米田くんは肩まである背もたれに凭れ掛かり、お腹をまた摩る。俺もおんなじように満足に膨らむ腹を撫で、ふぅと上に向けた首。
見上げる先は明るいブラウンの天井。
物思いにふけて一言、俺は言う。
「今日から4年間みんなと一緒かぁ、楽しみだな、なんか」
そんな言葉に古賀くんが口を拭きながら呟いた。
「上手くいけば4年間一緒やけど、お前らと4年は濃いなぁ」
満足げな顔。目を瞑り、今にも幸せに死にそうな姿で弱々しい。もはや外から見るてると死体のようだった。けど死体は死体でも動く死体だ。
ぬったりと挙げられた腕、の先っぽ。
一本の人差し指を立てる古賀くん。
「あっあれなぁー、別に嫌ってわけじゃ無いからなー。単純に濃そうやなぁってだけ」
ついで。
「そうね…」
蘇我さんも口元を拭き、いつの間にか掛けていた紙エプロンを折り畳みながら言った。
「私としてもこの馴染みやすさのあるグループは好きね。とても心地良いわ。これからも仲良くしてもらえると嬉しい」
そう、言った。
蘇我さんが。
どんな言葉にもびっくりマークがついていた蘇我さんが。蘇我さんが…!
「「蘇我さんが普通に喋ってる」」
「お、おい灰田っ、はいだー! 緊急事態だ蘇我が! 蘇我が普通に喋ってる!」
「やめて、私食べるの好きだけど小口なの。まだ無理」
「…お前火山が噴火してもご飯食べてそうやな」
蘇我さん自身、食事中はマナーとして喋らないと言っていた。今はそのお金持ち状態、マナーの維持の名残りがある状態なんだろうか。
静かな蘇我さんはすっごい清楚というか、所作といい、花のようだ。
「そうだ、皆んなに伝え忘れてた事があるの」
灰田さん以外の注目が集まる中、グループウィコネを通して送られてきたメッセージ。デバイスが新着メッセージがあるとの事で開いてみるとそれは画像だった。
内容は…。
「あれ、見れない…?」
画像として表示された画面をタップするも、そもそも黒く塗りつぶされており、触っても反応しない、
「食事中に見せるものでもないから食べ終わったらもう一度時間を作っていただきたいの」
言葉遣いもどこかお淑やか。
そんな蘇我さんの心遣いに米田くんは「焦らされるともどかしいなぁ」と呟いた。
そのつぶやきには同意見だ。
「俺も米田くんと一緒。なんか気になる」
すると、古賀くんはその波に乗るように口を開いた。
「蘇我ぁ、俺を含めた3対1の構図、どう戦う」
イタヅラな笑みと言葉遣いの古賀くんを目の前に、蘇我さんは顔色ひとつ変えず一言。
「…じゃあ資料だけ開示するわね。詳しい話は後で」
それから暫くして。
灰田さんが食事を終えた。
少し休憩させてと辛そうに顔を抑える灰田さんであったが、流石にこの話は急ぐべきだと言う事で俺たちは早々に学食を退室した。
その足で向かった先は巨大な庭園。
空気が澄んでいて食後の苦しさも紛れるだろうと言う気遣いからだった。
青空満開、漂う白く薄い雲。
草垣から顔を覗かせる綺麗な花々、花壇に咲くもの、地面に根を生やして顔を出すもの。植えられた花々は管理が行き届いており生き生きとしている。
そんな花々を嗜む為に敷かれた道は、庭園の中心部に円形の道がどっしりと居座っていて、そこから十時に道が伸びている。
庭園の草花は区画ごとに違っていて、見て回るのも楽しそうだ。良い香りもするしとても落ち着く。
けれど今回はそんなつもりで来たわけでは無い。
屋根付きの休憩場所。木でできた長椅子が数席。
近くには自動販売機が三つ立っていた。
「ほら! 食後にはこれよ!!」
カツカツと茶色のローファーを鳴らしながら歩いてくる蘇我さんは、元通りの声色で両脇のポケットからジュースを取り出した。
「ぁーCCレモンかぁ、小さいやつ初めてだ」
「お、米田ぁちっさいからって侮るなよ、半分くらいでしゃっくりが出るぞ」
「へぇ………」
そうなんだ、と身構える事なく栓を開けてグビグビと中身を喉に落とし込んでいく米田くんーー途端、カッ! と言う効果音を鳴らす勢いで目を見開き咳き込んだ!古賀くんは「ぁーあー」と優しく米田くんの背中を撫でる。
「ひっく」
「ほーらでた。即落ち2コマやで」
「小さくてもひっく、侮るとひっく、痛い目にあうねっ…でもっ、すっきりするっ」
どこか漫才みたいな光景。
そして各々の口に注がれていくCCレモン。
レモンの強い香りと味わい深くもスッキリとした風味。甘すぎない味付けは炭酸の爽快感を更に高め上げ、不快感なく喉と口の中を綺麗に潤してくれる。
ただ、灰田さんだけは少し開ける余裕はなさそうだった。
「ねぇ、心臓病ってほんとなの」
灰田さんの目は強く、蘇我さんに向けられる。
向けられた先にいる蘇我さんはしゃがみながら小さな花を愛でていた。
そこだけ切り取ったら、お嬢様と言っても誰も何も疑わないんだろうけど。
「ええほんとよ!」
声が御転婆過ぎるんだよなぁ。
確かに蘇我さんと俺たちの距離は少し離れているのだけれど。だから声量で丁度良いまであるんだけど。
でも、それは流石に花にとっては一大事だろ。
いやぁ耳がなくてよかったね、花さんや。
「そんな下世話な冗談私がする訳ないわ! 私は心臓病を持ってて昔から治療をしているわ!」
「ちょっ、ちょっと待ってというか薬は!? 蘇我さんちゃんと飲んだ!?」
薬。
これは薬を常飲していれば簡単に治るような物ではない。どちらかといえば進行を遅らせる対処の一つでしかないと言える。しかし、飲むと飲まないとでは大違い。
薬を飲んだ様子のない蘇我さんを気にかけるのは至極当然だった。
「もちろん飲んだわ! 薬なんて飲んでるとこ見せれないからみんなの前で飲んでいないだけよ!」
「………そう…。なら…いいの」
灰田さんはそんな蘇我さんの言い方に不満を感じたのか、少し渋い顔をしている。
灰田さんの様子を一瞥する蘇我さん。
それからすぐ目線を外し、声を上げた。
「それでだけど! 画像の資料にも書いてる通り9月と11月に出席できない日が多くなるわ! 問題点は特に11月かしら! クラス対抗戦の期間、恐らく最終日以外参加できないわね! こればっかりは手術の予定日だから謝ることしかできないわ! 穴埋めは勿論するわよ!」
穴埋め。その言葉を聞いて灰田さんよりも先に古賀くんが声を上げる。
「いや穴埋めとかいらんやろ、たかが学校行事に」
そう言いながら立ち上がり、椅子に座ろうとしない蘇我さんを無理やり椅子の上に押し込む古賀くん。それに反抗せず流されるままに座った蘇我さんだったが、言葉はーー
「褒賞があるじゃない!」
ーー反抗的だった。
流石にと、古賀くんは呆れた様子。深くため息をつくと「アホか、褒賞と人の命を天秤にかけてケチつけられるかよ」と腰に手を当てながら言った。
蘇我さんはそんな古賀くんの一言に牙を向けることはなかった。
「…確かに…それもそうね。ごめん虎宇治!」
「おん」
しかし、心臓病…。
心不全と記載されているそれの症状は、繰り返しやすかったり、発生からの死亡率が目をつぶれないくらい高かったりしている。
昔からという事は、かなり蘇我さんの体が疲弊しているのではないか。
そう思い、知恵の師匠である灰田さんに見解を話す。
「そう、よね…。私としてもあんまり良くない感じがするわ。医者じゃないから詳しくはわからないけど」
コソコソとお互いの耳元で話す俺たち。
米田くんを隣に挟んでいると言うのに、どうやら聞こえてしまっていたらしい。
「2人とも! いやみんな! 安心しなさい! 次のお医者様は世界最高レベルの能力医療を行うお医者様よ! 今回はそんな中でも過去の状態に復元! いや! 巻き戻す能力をもってるお医者様も来てくださるから次で入院は最後になる予定よ!」
とても強気で、このまま病にふせそうにもない、意志の強い顔と声。威張る姿に病弱さはない。
まるでそれはこの庭園に咲く花々のように元気で、満開で、枯れる事を知らない。そんな強さ。
背に携える太陽の輝きが、更に彼女を強く見せる。
「予定…ね……」
灰田さんは含みのある言い方で蘇我さんを見つめた。
そもそもこんな病、今にでも手術をしていないとダメなのではないのだろうか。
そんな心配があがるが、外に出る事を許されているという事はまだその心配は薄いという事なのかもしれない。が、例えそうだとしても「もしも」は無くならないと思う。
もしかしたら明日にでも病が強く出てきて入院ということになるんじゃないか。
もしかしたら今倒れてしまうんじゃないか。
もしかしたら次の瞬間死んでしまうんじゃないか。
症状から考えうる最悪を、元気で明るい蘇我さんといえど想像しないなんてありえない。
だからこそ思う。
今こうして何もつけず、何もされず、自由に歩いてることが怖くないのか、と。
そう思って口に出しそうになるが下手に聞くものでもないと、俺は口をつぐむ。
「完治する11月まではかなりしわ寄せが行くけど、その次には最高戦力として舞い戻ってくるわ!」
「んんんん! なんか揚げ足取りで悪い! 一瞬でも舞ってくれるな! 縁起が悪くみえるから取り敢えず歩いて帰ってこい!」
古賀くん、たまらず一言入れた。
「わかったわ! 歩くわ!」
うーんそして聞き分けのいい蘇我さん。
「とにかく私から言える事はこの予定がある事! 後は戦力的な面での話! 自己紹介の時に能力の7割で発揮できる結果を伝えたわよね! あれがこの体で無理なく出せる限界の力よ! それ以上は苦しいし…ちょっと怖いわね! 仮想戦闘なら問題ないのだけれど、肉体だとか能力、連携の鍛錬の時は全然私は使い物にならないわ! 言ってしまえば道端で跳ねるコンビニ袋ね! 生産性も、将来的価値も高まらない。コマとしても今後のメンバーとしても、ほんと組み込みづらくて申し訳ないわ!」
なんの悪気もなしに吐かれた、蘇我さんの気持ち100%の言葉。流石にその言葉達が自分自身に向けている物だとしても、聞かされている側は気分は良くなかった。みんな空気の色を淀ませて口をキュッと閉じている。
ただ。
灰田さんだけは蘇我さんに向かって口を開いた。
それは嘆きだった。
「なんでそんな言い方するの! 別に自分を卑下する言い方しなくていいじゃない! 別に、別に蘇我さんの事ただのコマだとか思ってないし病気があってめんどくさいなとか全然微塵も思ってない! 普通に蘇我さんの現状を踏まえて考えていくだけなのになんでそんな変な言い方するのよ! そんな言い分を聞かされるこっちの身にもなってよ! 心底気分が悪いわ!」
心臓がキュッと閉まるような、灰田さんの叫び声。その全文、丸々俺は肯定したい気分だった。なんだったらここに居るみんな、思ってる事だと思う。
けど。
「そう。でも最終的には戦力面の話は避けて通れないわ!」
蘇我さんは1人だけの歩幅を維持して走り去っていく。
「それに、早いうちにネガティブベースの見解も挟んでおかないと後々で不満にもなりやすいわ!」
「だ、だからって…」
「これに関しては私自身の見解よ! それに実情と相違ないのだからいいじゃない!」
「いやだからそう言うのを聞きたいんじゃないの! もうあんな言い方しないでって話なの!」
「私が使い物にならないのは本当の事でしょ!」
「あぁ…! もういいっ!」
蘇我さんは走り切った。
どこかこだわりのある言葉ぶり、元より我が強い所があるが、更に譲れないとなると相手に食い下がる隙すら与えてくれない。
そこは少しワガママであり、感情の籠った言葉すら寄せ付けない意志の固さは蘇我さんの快活な声色に反してとても淡々とした印象があった。
どこか冷たいなと思ってしまう。
灰田さんはとても不満げな表情を浮かべて1人、いく先も言わずどこかへ行った。
その後をいち早く古賀くんが追おうとしたが、蘇我さんが古賀くんの腕をギュッと掴み、足を止めさせる。
「何か質問があれば受けつけるわ!」
古賀くんは蘇我さんの魔の手から逃げ延びようと、けれど優しく手を振り解こうとするがビクともしない様子。こりゃダメだと諦めた古賀くんは不服な面持ちで椅子に座った。
ぎしっと長椅子が唸る。
「質問ってなんの質問だよ」
「なんでもいいわ!」
なんでもいい、なんて言われたら余計何を聞いていいか分からない。
みんな静かに問いを考える。
そんな中を香りは漂っていた。
花の香りが鼻腔を登る。
そして、そんな香りの流れを断ち切るように一吹の強い風がビューッと棚引いた。その風に乗って1枚の花弁が目の前を舞う。それは流れに乗ってあっという間に過ぎ去った。
静寂を支配する風や草花、自然の音。
それを切り裂いたのは米田くんだった。
「……なんと、いうか」
どこか言いにくそうな口ぶり。
少ししどろもどろ。みんなの目線にちょっとばかしたじろぎつつも、聞こうと決めたのだろう。
米田くんは言った。
「実は蘇我さんの口調って…強がりだったり……するのかなぁって…」
瞬間空気がカチッと凍った。
オイオイそれはないだろ! と、特に古賀くんの目が訴えかけていた。しかし、そんな凍りかけた空気をただただ明るい声が溶かしていった。
「高慢ちき風な口調は生まれつきよ!」
「「「あぁ自覚はあるんだ…」」」
即答だ。
「てか米田、そういうのは聞くもんじゃねぇぞ。例えそうかもと思っても」
「う、うんそうだよね。…蘇我さんごめんね……」
「全然気にしていないわ! むしろ直に聞いてくれる方がありがたいわね! みんなもドシドシ聞いてちょうだい! みんなマッパである事こそが蘇我ファミリーよ!」
あぁ、蘇我さんはどんな時でも蘇我さんなんだろう。
そう思わせてくれる一幕だった。
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