第5話 夜の海旅(5、旅)
揺れる波の音で目を開けた。
左肩に重みを感じて見てみれば、生首の豊ノ介さんが乗っている。白い顔の中で唯一紅い唇が、美しく弧を描く。
「気付いたかい?旭」
言われて辺りを見てみると、知らない浜辺だった。夜の海。月明かりが明るくて、夜だけれど寄せる穏やかな波が見えた。はて、僕は何でこんなところにいるのだろうか。
「ここは何処ですか?豊ノ介さん」
「さあてねェ。あたしにも分からんよ」
聞こえるのは、心地良い風と波の音だけ。僕ら以外、誰もいないようだった。
「とりあえず歩いてみなよ」
「じゃあ……」
波打ち際を歩いてみることにする。歩いても心地良く、いくらでも歩けるような気になった。しばらく行くと、何か見えて来る。小舟。中に男性が一人立っていた。僕らを見て、声を掛けて来る。
「乗りますか?」
「乗ろうじゃないか」
豊ノ介さんが答え、急かされて、僕は考える間も無く小舟に乗る。男性は着物姿。布が掛かっていて顔は分からないが、船頭のようで、舟は直ぐ動き出した。月明かりの照る水面は、どこまでも穏やかだ。
「良い晩だねェ、旭」
「肩から降りないんですか?」
「意外と楽なことに気付いた」
こちらは意外と重いので気付かないで欲しかったけど、ご機嫌だし面倒なので何も言わないことにする。夜の海は果てしなく、何も見えない。夜と海の真ん中に僕らだけしかいないのが、怖いような寂しいような、変な気持ちになる。
「この舟は、どこに向かうんですか?」
船頭さんに聞いても、微かに首を傾げられるだけ。
「このまま真っ直ぐサ」
それだけ言うと、豊ノ介さんは後は笑うだけで、何も言ってくれない。真っ直ぐ。本当に良いのだろうか、それで。胸の奥が、何だかざわざわしてくる。明るく照る月を見上げた時、突然声が聞こえた。
“右だ”
叔父さんの声。どこかにいるのかと思って辺りを見渡したけど、何処にもいない。僕は声を出していた。
「右の方へ行ってくれませんか?」
船頭さんは一つ頷くと、あっさり右へ進んでくれる。
「へえ」
豊ノ介さんは酷く綺麗な顔で笑う。その後もちょくちょく、右だの左だの、叔父さんの声が降って来て、その通りに舟を進めてもらう。ゆっくりだし、周りは何もないから進路が変わっているのか分からないしで、妙に緊張した。随分長いこと海の上にいたと思ったけど、舟がようやく岸に着く。
「弥命だね」
怖いような笑顔になって、豊ノ介さんが僕の顔を覗き込む。答えずにいると、彼は大袈裟な溜息をつく。
「せっかく良い旅になるはずだったんだけどねェ」
良い旅って。舟から降りて砂浜に足を付けた途端、視界が真っ暗になった。
「ーーあ」
「よお。舟旅ご苦労さん」
目を開けたら、不敵に笑う叔父さんが飛び込んで来た。青い髪に、左耳に揺れる金魚、白地に青い水流が派手に描かれた柄シャツ姿。相変わらず情報が多い。起き上がったら、家の縁側だった。あの海と同じ月が、僕と叔父さんを照らしている。あの海は、小舟での道行きは、夢だったのだろうか。
「ーーありがとうございます。叔父さんの道案内で、帰れました」
「さてな。全部旭が決めたんだろ」
そう言いながら、叔父さんは僕の側にあった香立てのまだ微かに煙を燻らせている御香を、ポキリと真っ二つに折った。『海』とだけ書かれた青い箱も置いてある。御香の箱かな。
「御香?これは?」
聞いても、叔父さんは答えてくれない。代わりに、苛立った目で折った御香を見下ろしている。
「あの首は後で締める」
そういえば豊ノ介さんがいないなと思ったけど、もう叔父さんが聞けるような状態じゃないから、結局何も言わなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます