第23話 白線上の白兎(23、白)
僕は片足を痛めていたが、それも随分良くなって来た。
まだ全くいつも通り、とはいかないけど、歩くのもそんなに苦ではなくなって来たから、散歩に出ることにした。
「おや、旭。どっか行くのかい?」
「散歩しようかと。足も良くなってきたので」
「じゃあ、あたしも行こうかね」
機嫌良く、生首の豊ノ介さんもついて来た。
外は暗くて、人気が無い。静かで、ゆっくり歩きたい僕には丁度良かった。
「ちゃんと歩けるみたいだね」
「ええ。走ったり、体重を掛けたりはまだ出来ないんですけど」
言っていると、不意に足が水溜まりのようなものに入る。足元を見て、驚いた。アスファルトに、人の頭部のようなものが沈んでいる。沈んでいる、というのは、アスファルトが何故か水のように波打っているからだ。
「見なよ、旭。生首の海だ」
「え、」
豊ノ介さんに言われて、初めて気付いた。道路、アスファルトに、無数の生首が半分沈んでいる。僕は今、道路の白線上にいるが、それ以外の場所は、海みたいで。生首たちが、小島のようになっている。
「これは……どうなってるんですか?」
豊ノ介さんを見たら、楽しそうに笑っていた。
「さあてねぇ。あたしにも分からんが。こりゃ無事に帰れるかね?」
怖いことを言う。確かに、今足場は不安定だ。これ、落ちたらどうなるのだろう。アスファルトの海に落ちて、視界が灰色になるまでを想像し、暗い気持ちになる。分からない。帰れないかもしれない。
足下に、生首が近付いて来て笑う。その拍子に、足がもつれた。身体が傾く。怪我した足には、まだ力が入らない。
思ったより持たなかったな、と妙に冷静な気持ちのまま、僕は目を閉じる。アスファルトの海は、どんな場所なのだろう。苦しくないと良いな。
一瞬の内にそんなことを考えていたけど、不意に身体が空で止まる。あれ?
「何やってんだ?旭」
よく知った声が後ろから聞こえて、僕は目を開ける。叔父さんに、後ろから抱き止められていた。
「……弥命叔父さん」
「立ち止まったと思ったら、横に倒れそうになってたぞ」
呆れたような叔父さんの言葉を聞きながら、豊ノ介さんが大笑いしている。見れば、アスファルトの海は、元通りになっていた。叔父さんも、固いアスファルトの地面に立っている。あれだけあった生首たちも、消えていた。いつもの、静かな夜。僕は、叔父さんの手を借りて立った後、豊ノ介さんを見上げる。
「……豊ノ介さん。今までの、まさか豊ノ介さんの幻術だったりとかは、」
豊ノ介さんは、目を細めてまた笑う。
「しないよ。今聞いたら、一瞬面白そうとは思ったが、あたしもただの散歩のつもりだったしねェ」
説明しろ、と目で訴えて来る叔父さんに、僕は一から説明する。
「ふうん。後ろから見てたが、何も無かったけどな」
最後まで聞いてくれた後で、いつもの調子で言う叔父さんに、僕は首を傾げた。
「僕がおかしかったんでしょうか」
「豊ノ介も見てんだろ」
言われて、そうだったと思い直す。叔父さんは、ぐるりと辺りを見渡した。
「なら、白線が無い場所は、生首渡って帰らないといけねぇのか。だりーな」
え。そんな、神話みたいな。
「……その発想はありませんでした。因幡の白兎じゃないんですから……嫌ですよ」
「生首も、毛毟るんかな」
叔父さんがくつくつと笑う。豊ノ介さんが顔をしかめた。
「そんな野蛮なこと、少なくともあたしは、しやしないよ。弥命であるまいに」
「てめぇ」
睨み合う叔父さんと豊ノ介さんを見ながら、僕は息をつく。
生首を渡って帰れるのか、それを試すことにならなくて、心底ホッとした。
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