第12話 湖の絵画(12、湖)


ある日の夕方。

家に誰か来たので玄関まで来た僕は、ぎょっとした。三和土のところに、知らないお爺さんが立っている。

「絵を置きに参りましてな」

「絵?」

お爺さんは我が物顔で、三和土の段差に腰掛けた。手には、卒業証書とか賞状くらいの大きさの風呂敷包み。それをさっさと解いて行く。それから手招きされ、仕方なく近付いて屈む。

「こちらです」

「湖……」

出て来たのは、湖の絵画だった。油絵だろうか。水彩でないことは分かる。紅葉の美しい木々に囲まれた、大きな湖だ。どこの湖かまでは分からない。お爺さんは、徐ろに口を開く。

「ここは“うず”という湖でしてな。人柱として埋められた人間の首が、未だに彷徨い出るという言い伝えが残る場所なのですよ」

「へえ。そうなんですか」

また首だ。お爺さんは湖を指差しながら、続ける。

「この、湖の真ん中にね。首が目まで出して、岸にいる人間をこうじっと、睨むのだとか。水面に髪が揺れてねぇ。気味悪いそうですよ」

それを聞きながら、僕はおやと思う。さっきまでと、絵が違うような。水面の白波の様子は、細かく描かれていただろうか。ただ、青一色だったと思ったけど。絵を注視していると、湖の様子が変わって来た。水面に少しずつ、何か現れる。黒い山。それが人間の頭部だと分かるまで、そんなに掛からなかった。お爺さんの話通り、湖から迫り上がって来た人の顔が、水面から目まで出してじっと何かを睨んでいる。これは。

「目が合ってしまうと、この湖に引きずり込まれるという話もありましてな。こんなに美しい湖なんですけどね」

絵の中の目が、じろりと動く。僕は絵を見たまま動けない。絵の中の目線が動く。目が合ってしまう。

とーー

「横入りの癖に、随分好き勝手するじゃあないか」

絵の上に、豊ノ介さんが降りて来た。長い艷やかな髪が、絵を覆って隠してしまう。お爺さんは驚きもせず、突然現れた生首を見ている。

「ほう。この家には人しか居ないと思っておりましたが、そういうことですか」

豊ノ介さんが浮かび上がると、湖にはもう、何も居なかった。お爺さんは黙って、再び絵画を風呂敷に包む。豊ノ介さんはからから笑う。

「そうそう。とっとと帰りな。この子はやらないよ」

お爺さんは僕と豊ノ介さんを交互に見て、ほう、と息を吐き出す。

「残念なことです。お邪魔しましたね」

お爺さんは一礼して、家から出て行った。訳が分からず、思わず豊ノ介さんを見る。

「今の、何だったんでしょう」

「通り魔みたいなもんだろ。もう来なさそうだし、忘れなよ。ーーああ、でも」

ようやく立ち上がった僕を、豊ノ介さんが怖いような笑顔で見る。

「あれと目が合わなくて良かったねェ。いろいろ喰ってるみたいだからさ。合っちまってたら、あたしでもどうなるか知らないよ」

後は、居間へ向かってしまった。僕は、玄関を振り向く。そういえば、来た時も入った時も。戸が開いた音や気配は、あっただろうか。考えかけて、もうお爺さんも絵画も無いなら良いか、と思い直し、僕も居間へ向かう。施錠はしっかり確認した。

埋め湖が実在するかどうかは、怖いから調べないことにする。





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