第二畜 異世界カフェなろうブチ切れ
――目を開けるとそこには、中世西欧風の街並が広がっていた。立っているのは広場か。
辺りを行き交う人々もみな西洋人風で、今は祭りか何かの後片づけをしているらしい。
自身の身体を見回せばやはり、肌の色も着ている服も周囲と遜色のない、西洋人男児のそれへと変じていた。歳はおよそ十六くらいか、また随分と若いな。
しかし俺は、はじめての異世界転生への驚きを描写する気分ではまったくなかった。
「あんの‼ 労基死神野郎ぁ‼ 社務に精励したい俺をいつも邪魔立てしやがってぁ‼」
唐突な労基への怒りをぶちまける俺にビクつく周囲を見かねてか、頭の中に声が響く。
『落ち着きなさい神の子よ。というかなぜ社畜の味方の筈の労基へ激怒しているのですか』
「社是は正義‼ 労基は悪‼ 昔からそう学ばせられるのが普通でしょうがあぁ‼」
『……。はるばる異世界まで転生してきたのに、あなたの洗脳は解けないんですね……』
無事、再建なった会社を心の中へ確認し、俺が胸を撫でおろしていると。もうひとつ、澄んだ女の声が聞こえてきた。
《俺は眼を開けた。どうやら――ここが異世界が。目の前の広場へのしかかるように迫る建築物の数々はどこかドイツ風で、広場の真ん中、何か櫓のようなものの解体作業を行う人々も西洋人によく似た容姿だった。あらためてここは異世界なのだなと思い知らされる》
「えっと――神様? どこからか、事実と異なる俺の心理描写が聞こえてくるんですが?」
『ああ、紹介が遅れましたね――』
《……こちらです》
振り返ると、そこには楚々とした佇まいの金髪美女が微笑んでいた。中世西欧風の街並みによく調和した、朽葉色のメイド服を身に付けている。歳は少し上、二十歳くらいか。
その整った容貌に笑みを深めると、スカートの両端をつまんで深々とお辞儀する。
『例の書籍化にあたっては。彼女が、ゴーストライターを務めることになる――』
《はじめまして。このたび代筆のお仕事を賜りました「ナローデ・家建」と申します》
(え。本って俺とか神様が書くわけじゃないんですか。ゴーストライター使うんだ……)
『――また執筆上、異世界ではつねに彼女と行動を共にする事になる。頼りにしなさい』
《先程のような、読者への配慮やモデルケースの規範に欠けた主人公ムーブがみとめられた時は。適宜、私の文章にて「いいように」変換して参りますので……悪しからず》
主人公が主人公らしくない時は作者に「修正」されるらしい。それなんてディストピア。
女性は口を噤んだままこちらを見ているが、なぜかその言葉は脳内へ伝わってくる。
《――ちなみに。ペンネームですからね?》
どうやら伝わるのは双方向で、すげえ名前、と思ったのもきっちり伝わっていたらしい。
俺はすたすたすたと歩み寄り、女性の頬にぺたりと手を置いた。
「……ひゃっ⁉」
「あ。異世界のお供でゴーストライターっつっても、ちゃんと実体はあるんですね」
存外に可愛らしい悲鳴を上げる女性は頬を押さえ、当惑の表情で飛びすさった。どうやら、ほぼ脊髄反射で動く限りは意思も何も伝わらないらしい(考えず働くのは慣れている)。
《お仕事紹介して頂いておいて何ですが神様、この人距離感おかしくないですか?》
(しっかり聞こえてますからね、えっと……なろう……ナローデイエタテルさん?)
『距離感なき神の子よ。取材と執筆(と矯正)を同時並行してもらうため、彼女もあなたと同じくこの異世界ナロラディアへと転生させました。が、執筆の区切りや、編集会議、調査の折など、彼女だけ現実へ一時離脱することがあるでしょう』
どれだけ異世界で過ごしても現実では一晩しか経過しないんじゃなかったのかよ。
『あなたと同様、彼女も外見通りの齢ではない、その道のプロフェッショナルです。既に本を何冊も出していますが、現実世界に居なければできない調整や調査もあるのですよ』
(なろう作家でも調査とかするんだ……)
《今。――何か、失礼な事を考えませんでしたか?》
美女の笑顔より発散される圧が一段階高まり、俺はなろう作家へと向き直った。
ともあれ。自伝の代筆者とはいえ、思考が伝わるのは恥ずかしい。急に虚ろな目となり、無の境地を追究しはじめた俺を見て、美女は上品に口許を押さえくすくすと笑った。
《思考の伝達はたしかに便利ですけど。慣れるまで、このまま少し――お話してみます?》
美女に、初々しい、と笑われるのは恥ずかしい。
若い人に、歳のわりに不慣れだな、と思われるのはもっと恥ずかしい。
なので早速、使いこなしてみることにした。
(いい歳してなろう作家でしかも恥ずかしいペンネームって結構キツくないですか?)
《速攻、口にしづらい質問をぶつけてくるのやめて下さい。あとぶち殺されたいんですか》
初対面の軽いジャブにガチの殺気を返してきた美女へ、俺はそっと地雷原から足を抜く。
(なろう作家で稼いで家まで建てたんですか?)
《質問が若干ソフトにはなりましたが初対面の人に訊く内容じゃないですからね、それ?》
にこり、と牽制の笑みを浮かべると、金髪美女はなぜか腰に手を当て、胸を張った。
《――億》
(すげえ‼ ナローデ先生すげええ‼ 現代のなろうカンドリーム‼)
しがない薄給社畜の俺は札束の洪水の前にもはやひれ伏すしかない。流れるような動きで土下座を決めた俺を、金髪美女は勝ち誇った笑みで見下ろしている。
『ナローデ。さすがに見栄を張り過ぎです――あなたはそこまで稼いでいないでしょう?』
神様の暴露を受け、なろう作家の嘘で固めた楼閣は砂塵のごとく崩れ去った。
「……まあ、裏方の話はこれくらいで。それよりも、主役――貴方の話をしましょう?」
俺が夢を壊された少年の瞳で見上げていると、子供の夢の破壊者はやや気まずげに手指を組み替え、そして、まるで機嫌を取るように笑顔を向けてくる。
俺の話をすればいいのかな、社畜の話なんて何も面白くないぞ、ともじもじしていると、唇に指を当て少し考えたナローデは、俺の正面にまっすぐ立ち、可愛らしく小首を傾げた。
「それではまず……筆者として、主人公へお聞きします。――
――あなたは異世界へやってきました。まず最初に、やってみたい事は何ですか?」
優しく問いかけた美女メイドは、黄金の髪を波打たせ、答えを待つように微笑んでいる。
俺は視界にひろがる高層木造建築群を見渡し、異世界の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
澄んだ朝の空気に混ざる煙と燻製の香。田舎の野焼きを思わせるそれは、つねに忙しい社畜脳内時計の動きを鈍らせる。ゆっくりと流れる時間の中、俺は長い長い溜息をついた。
「はああぁぁ~~――……。……とりあえず、疲れました」
「いきなり疲れたんですか⁉ まだ何もしていないのに⁉」
いやいきなり知らない場所来たら普通はそうなるわ、と常識を語る目で質問者を見返すが、ナローデはまるで、拾った金塊をドブに捨てる奴を見る目でこちらを見返してくる。
動きがゆるやかになった脳内時計を二、三発殴って元に戻す。
「質問されたのは、まず最初にやってみたい事、でしたっけ。……休みたいんですが」
「いきなり休みたいんですか⁉ まだ何もしていないのに⁉」
これじゃ疲れた社畜じゃなく老人だよ、と叫ぶナローデは、はて。何に怒っているのか。
あのねえ、いままで何冊も本書いてきましたけどねえ、と前置きして作家はつづける。
「ふつうの異世界転生者は、もう会社いかなくていいんだヒャッハーって走り回ったり、金持たずに屋台の串焼肉食べたり、冒険者ギルドに迷惑かけたりするもんでしょうが……」
「……それ全員、最終的に捕まってません?」
はて。初手でまず前科持ちになるのが、異世界転生者のたしなみなのだろうか。
「おじさん、いい年した社会人だから。前科付けにいくのはちょっと……」
「とりあえず前科つけろって言ってんじゃないですよずっと帰属してた社会から解放されたんだから少しは若々しくはしゃいで下さいよ!」
なろう作家がキレ始めた。芥川の羅生門ってアレ異世界転生ものだったのかな。(ちがう)
「話聞いてんですか!」
「……ちゃんと聞いていますよ。じゃあ、えっと――
わ……わぁ~~い。やったー、異世界だー」
「棒読みで無理やり仕方なく喜んでみせるのやめて下さいよ!」
「え、ダメですか。それじゃあうーん、えっと――」
題:異世界をたたえる詩 作:1ねん2くみ30ばん 波多良けい
異世界はすごいなあ
異世界は異なる世界だ
異世界は本当にすごいなあ
ぼくには とてもできない
「学校の課題で無理やり書かされたような心のこもってないポエムやめて下さいよ!」
「注文が多いなあ……ま、社畜としてはその受注過多、燃えてきましたが?(キリッ)」
「貴方もう社畜じゃないんですよ! 社畜性を引っ込めて主人公性を出して下さいよ!」
「え、でも。うーん……じゃあ一体どうすればいいって言うんですか、カントク?」
その一言に、はっと弾かれたように美しい口許へ手をあてるナローデ。
監督と呼ばれて初めて、作家は主人公へ演技を強要していた事に気づいたようだった。
「わたくしとした事が――大変、失礼致しました。物語は舞台じゃない。台本に忠実な役者などいらない。大根は大根のまま。ただ大地へ根付けばいい。……そうでした」
「なんか今すごい罵倒されたような気がするんですが」
「失礼しましたね大根。そんな事ありませんよ大根。あなたはあなたのままでいい。
……そうですね。とりあえず、ゆっくり落ち着いて考える時間も必要でしょう」
演技力の低さをこき下ろしつつ、美女はエプロンドレスの前に組む片手を持ち上げた。
「――さ。休みたい、でしたっけ。では提案ですが、あちらのテラス席へ移動しませんか?」
示した指先には、広場の隅、椅子とテーブルの並ぶオープンテラスめいた一角がある。
なんか自分なりの美学に沿う振る舞いなのか。急に建設的になり、先程までの荒れっぷりも綺麗に畳んだ美女は、淑女としての仮面を被り直すと。俺の手を取ってそのままテラス席へ連行しかけ――ふと、その足を停める。
なんなんだと見守っていると、一度手を離し、そして手のひらを上に向け固まった。
(? ――金くれ?)
《エスコートですよ雰囲気で察して下さいよこの中世西欧風世界の常識ですよ!》
銭ゲバと思われていたく憤慨している銭ゲバだったが、その面は澄んだ美貌のままだし、また差し出した指先も白魚のように美しい。仕方なく、美術品のようなその手より指を一本だけ拝借すると、俺は適当な席へ連れてゆき椅子を引き着席を促した。マナーめんどい。
無言で着席するナローデだが、なぜかこの短時間で顔が真っ赤になっている。
《……あの。何で、小指と小指からめて恋人繋ぎで席まで連れてきたんですかね……》
(え。いや……何か。ずっと先手取られっ放しだから、何かやり返さなくっちゃと思って)
《主導権の握り合いとかどうでもいいんですよ普通にエスコートして下さいよ!》
優しく絡み合う小指は、へし折る勢いでもぎ離された。痛い。
店員らしき若い兄ちゃんが店の奥から出てきて、胡乱げな顔つきになる。若造と美女メイドの組み合わせはまあ珍しいか。座るなりテーブルに突っ伏し金髪に埋もれてぶつぶつ言うナローデは注文する気配がないので(怖い)、とりあえず指を立て「ニッヒ(二つ)」と適当に注文しておいた。まあなんか飲み物持ってくるだろう。
ぱん、という音に首を戻せば、ちょうどナローデが己の両頬を叩いているところだった。元の顔色に戻ったところをみると、復活らしい。
「……これからは。あなたのペースに巻き込まれないよう、気をつけます」
仕事中みたいな顔つきになったが、メイド服姿の金髪美女なので不真面目感が凄い。
「――さて。あなたのお望み通り、こうして休みましたが――」
「えっ待ってまだ座ってから十秒も経ってないよ⁉」
頼んだ飲み物も来てないよ‼と店の奥に目をやると、ちょうど兄ちゃんが木製の水入れをふたつ持ってくるところだった。提供早すぎでは。
「……あれ飲んだらお休み終了ですからね」
「いやいや社畜より休み短くない⁉ 勤怠管理厳し過ぎない⁉」
「異世界転生したばかりなんですから体力気力満タンなのが普通なんですよ!
なのに何であなたは速攻疲れてるんですか!」
「いやおじさん生活半径の外に出たらまず休憩するから……」
家と会社の往復生活に理解のないなろう作家である。ひょっとして普段から異世界を(脳内で)駆け巡ってるから、どこ行っても全然疲れないのか。それはそれですげえな、と思いつつ、兄ちゃんの差し出してくる水入れを受け取る。取っ手が付いているんだな。
中の液体は黒く陽を跳ね返していた。早速ひとくち飲み込んでみて、思い切りむせる。
「ゴファッ――酒じゃん! これ!」
「盛大にむせないで下さいよ……黒ビールですね」
よく見ればジョッキである水入れを両手で持ち、上品にちびちび味わっているナローデ。
「ごはっ、ごほっ――なんでいきなり酒持ってくるんだこの喫茶店は……?」
「そもそも、喫茶店じゃないからだと思いますよ?」
ええー、とナローデが目線で促す方を見ると、確かに店の入り口上に酒樽を模した看板が揺れている。ここ酒場だったのかよ。にしても。
「昼間から酒出すんかよ……」
「昼間から酒飲むんかよ、とあちらは思ってるでしょうね」
ジョッキを置いて去った兄ちゃんはカウンター奥でグラスを磨きつつ、朝酒とは豪勢だな金持ちめ、みたいな目でこっちを見ている。違う。そういうつもりじゃなかったんだ。
つくづくうまく噛み合わない、と目線を落とすと、ジョッキの中からは、やや落ち込んだ表情の気品ある美少年がこちらを見返していた。というか水面に映った俺である。
「え、これ俺……?」
ぺたぺた顔を触る俺を、いまさらか、といった表情で金髪美女メイドが見ている。
美形の顔をいじくり回すのに飽き顔から手を離すと、ナローデがまた卓上へ突っ伏した。
とりあえず黒ビールらしき液体をすする。酒精が強く酒の回りは早いが、雑味が強いな。
転生しても体質は変わらないものか、美少年の顔はすぐに赤くなったが、飲み終えたら即休憩終了という残酷な事実を思い出した俺は、残りを舐めるようにゆっくり味わう。
「美少年になっても、酒入っても、なにひとつ変わらないんですか……」
金髪の山よりそんな呟きが聞こえてきた気がするが、むろん意味がわからない。
「――わたくし」
豪奢な黄金の山奥より女のうめくような声が響く。怪談かな。
「あなたと初めて会ってからずうっと感じていたんですけど。……あなた。異世界転生してる自覚、全然ないですよね?」
金髪美女メイドの口調はまるで問い詰めるようで、ちょっと大昔の新人研修を思い出す。
「ああ――まあ。今んとこ、なろう作家と知り合って喫茶店入った……くらいの実感しか」
ゴッ、と机に頭を打ち付ける音が聞こえてきて怖い。酔ってないかこの人。
「アレですかね? わたくしが悪いんですかね? 元の世界の人間が一緒に居るから、異世界来た雰囲気が全然出ないんですかね? わたくし早速ですけど席外しましょうか?」
「えっ……それは一緒に居てょ……心細いし……」
「なんで神様相手に一切物怖じせず喋れるのに妙なところで内弁慶なんですかねぇ⁉」
勢い良く顔を上げるナローデ。金髪が広がりさながら獅子である。
「……もうわかりました! あなたの自発性自主性の発揮を待っていましたが、これは待つだけ無駄ですね! ここからは当初の想定通り、プランBでいく事にします!」
黄金の獅子はどこかヤケクソめいた咆哮を放ち始めた。プランButikireかな。
「さて! 波多良さん! 異世界といえば――そう、【スキル】ですよね!」
「お、おう……」
「降って沸いたような便利な力で、努力も苦労もなしに成果獲得! 栄耀栄華! 雨霰!」
「どうしたんですか急に……」
「ここが異世界であるという証拠を見せるため! まずわたくしがスキルを使います!」
「アッハイ……」
「みごと発動したなら拍手喝采! 異世界実感! 主人公始動! お願いしますねえ!」
「いやそんな事言われてもご期待に沿えるかどうか……」
雄々しく黄金の髪を振り乱す獅子が、スキル発動の輝きに包まれる。
「スキル発動! こんなくだりにまた原稿用紙二十枚もかけちゃって! 【編集会議】!」
妙なスキル発動呪文だなと考えながら、俺の意識は謎の出版社へ吸い込まれていった。
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