第六畜 貴族の瘦せ我慢と現代人の貴種失格(ぐぬぬパート)

「さて――この手紙によるとケスパー・ハタラー。

貴殿はどうしてこの私の前へ通されたか……果たして理解しているかね?」


 眼の前で重厚なデスクに座るのは、渋い西洋人男性。先程の自己紹介によるとフリードリヒ・フォン・ヴェセニヒ騎士爵という貴族で、屋敷どころか町そのものの主らしい。

 さらに言えば昨日炎と手紙をぶつけ合った激闘の相手、あの鎧の中身らしい。

 もっと言えば俺が大量にばら撒いた手紙に書かれていた宛名、その人らしい。

 大きな屋敷の奥、執務室めいた大きな書斎。老樫の机へ両肘を置き、組んだ手に顎を乗せたまま、騎士爵は部屋の中央に起立する俺とナローデを眺めやっていた。


「くっ……理解……して……いるかね……?」


 そして何故か、今にも意識を失い倒れようとしていた。

デスクの傍らには姿勢よく佇む老執事と、そして床に積まれた開封済手紙の山がある。


「あのう――話よりもまず休んで頂いた方が良いのでは。……えっと、執事さん?」


 見かねた俺が呼びかけると、老執事はハンカチを取り出し、そっと涙を拭った。


「――何と。おいたわしや」


 そのまま何やら感涙にむせび始める。


「若様は昨日あれだけ大量にばら撒かれた手紙を『私宛ての手紙ならば目を通さねば』と可能な限り回収を命じ、昨夜よりずっと――開封熟読を続けておいでなのです」

「倒れそうなのは寝不足のせいかよ‼」

「くっ……なんということだ……内容全部一緒とは……」

「二、三枚開封した時点で察しろよ! 几帳面か!」


 ノリで突っ込んでしまった俺に、瀕死の貴族は譲れぬ誇りがあるのだと眼を光らせる。


「この町を預かる貴族として、絶対にそんな真似はできぬ……! 民を守る騎士たる己へ宛てられた文だというならば、例え一通たりとて、取りこぼしてはならぬのだ……!」

「いや皆結構持ち帰ってましたよ。――ああわかった融通利かないんですねこの人」


 俺が水を向けると傍らの老執事はついうっかり頷きかけ、危ういところで踏み留まり、そして取ってつけたような怒りを失礼な小僧へと向けてきた。


「……若様の民に対する深甚なる思い遣りを何と心得るか! 小わっぱ!」

「昨日その若様に出会い頭ド派手に銃で撃たれた民なんですが……」

「それは儂も見ておったわ! おぬしが人々を脅かしておったからであろうが!」

「自分ただ手紙撒いてただけなんですが……」

「――止めよ、二人とも」


 振り返れば、机の上の騎士爵の瞳はすでに冷静さを取り戻している。眠気に勝ったか。

 組んだ手を離し、掲げた手の内にあらわれるのは一枚の手紙である。


「……貴殿からの手紙は。こうして、確かに受け取った」


 俺はむしろ、デスク脇の手紙の山の方へ目をやった。受け取り過ぎな気もするが。


「……そして、手紙の内容も理解した。わが連隊へ従軍を望むとか。

かつてここまで――筆を尽くし、従軍を熱烈に希望する者が居たであろうか?」


 騎士爵もまた手紙の山へ目を落とし、そして、窓の外の街並みを愛おしげに眺めやる。

 いや別に軍隊入りたいわけじゃないんすよ、そもそも自分その手紙の内容ぜんぜん知らなかったんすよ、とはとても言い出しにくい雰囲気になってしまった。


「――が。貴殿の従軍は、認められぬ」


 窓より目を戻した騎士爵は、はっきりとそう宣告した。


「今や。この辺境にさえ覇王軍の残党がたむろし、野伏せり追いはぎの類と一体となって、町の周辺で志なき悪逆非道の限りを尽くしている。民を護る手の足りぬ現状、竜騎士である私に拮抗するほどの魔力の持ち主なら――むしろこちらから従軍を願うべきではある」


 平和そうに見えたこの田舎町も一歩外に出れば地獄らしい。みな呑気そうに見えたが。


「さらに言えば。わが戦列に加わるに必要な条件は、実力・身元・経歴――その三つの証を立てられる者に限る、と定めている。

……昨日の広場での戦いで示した通り、貴殿の実力はまず申し分ないだろう。

……また、それだけの魔力量を有するなら。まず間違いなく高位貴族の出身であろう。隠されて育った貴殿が親の顔さえ知らずとも、身元を示すものが何もなくとも、領主たる私が身元引受人となりさえすれば何ら問題はない」


 そこで一度言葉を切り、騎士爵はこちらの瞳をまっすぐに見返してきた。


「――さて、ケスパー・ハタラー。

 監禁されていた貴殿に貴族としての素養がなくとも、今の話を前提として答えて欲しい。

……貴族の証とはいったい何であろうか?

貴殿は、何をもって貴族であると考える?」


 俺はよく考えもせず、浅い傷跡と、たった今聞いたばかりの理屈をなぞって答えた。


「――そりゃあ、俺は出所不明な手紙ひとつしか持ってなかったわけですし?

 魔力の多さが高位貴族の証というのなら。この血で、証を立てるしかないでしょう」

「ブルーブラッド(貴族の血)……その宝玉こそ貴族の証。――それが答えかね?」


 俺は頷いた。逆に、野性児が英雄の実子だとか、DNA以外どうやって証明するんだよ。


「――残念ながら答えは否だ。血の尊さは、存在そのものの尊さと等しくはない」


 どこか残念そうに、騎士爵は首を振った。


「高貴な血筋へ胡坐をかき。悪逆非道を繰り返し。民を苦しめる外道の血など尊くはない。それでは――町の外へ跳梁跋扈する山賊くずれと、何ら変わりはしない」


 視線を向けた街並みが、静けさの奥へ何かを隠しているように見えてくる。


「貴族はその行いの尊さによって貴族たり得るのだ。――民を護るからこそ貴族だ」


 どこか空々しく聞こえたその正論は、悪党に包囲された町に響くせいだろうか。


「しかるに。ケスパー・ハタラー……最後の条件たる経歴。――貴殿の行いはどうか?」


 声は糾弾する響きを帯びていたが、非難するという程に熱を帯びてはいなかった。


「いたずらに民を騒がせ。警吏へ手向かい。一連の騒擾にて大勢の人々をおびやかした。店舗や商品を壊され、禽獣に逃げられ、経済的な損を被った者もいる。

 ――貴殿の行いはおおよそ、貴族と呼ぶにも相応しくなければ。

 ――また、従軍を許可しうるほどに潔白な経歴とも言えぬ」


 まあ、領主に追及されて当然の前科三犯である。いやこれ三犯で済んでなくないか。


「よって――身元引受も従軍も、いずれも許可できない」


 この町を治める貴族という重職より、改めての不採用通知が下された。


「貴殿の益々の――ご清栄ご活躍を、心よりご祈念申し上げる」

 

 きっちりお祈りメールまで頂いた。就活時のトラウマが蘇って心にくるんだからやめろ。

 話は終わりと騎士爵が目顔で促すと、傍らの執事が出口へ案内しようと歩み出てくる。

 あの小さい塔……牢獄へ戻れ、という事だろう。拘束も見張りもつけなかったのは多分、どうせ町の外へは逃げられやしないし、また、町中で騒ぎを起こしてもすぐ軍が出てきて昨日のようにとっちめられるだけだぞ、という共通認識の確認の意味もあったのだろう。

 罪人は罪人らしく、宿なしは宿なしらしく、あの牢獄で大人しくしてろというわけか。

 促され、横のナローデが踵を返そうとする。ちらとこちらを振り向いた面は、ホラ言った通り全ルート潰れてたでしょ、と言わんばかりの呆れ顔である。

 騎士爵にも老執事にも見えぬ角度でぱちんと瞬きを寄越し、窓の外、遠い山並みへ一瞬投げた視線は――あれは、ひとまず町を出ましょうか、波多良さんの魔力があれば強引に突破もできるでしょ、とかそのへんの意味のメッセージだろう。いや普通に思考伝達使えばいいのに。

 だが。俺にとって、まだ話は終わりではなかった。

 俺はまっすぐに机上の騎士爵を見返す。


「俺の行いが青い血に相応しければ。人々が俺を認めてくれれば。――その時は、考え直してくれるんですか?」

「貴殿。……一体、何を考えている?」


 俺の発言がひどく軽薄なものに聞こえたか。騎士爵は眉をひそめる。


「信用を取り戻そうというのかね? ひとつ教えよう、カスパー・ハタラー――一夜にして失った信頼は、おなじく一夜にして取り戻せるものではないのだよ。

 信頼という果実は。日々精勤につとめ、常に誠実に振舞ってようやく、結実を迎える」


 そんな常識、社畜歴の長い俺には説くまでもない。積み上げた仕事こそが社畜をつくる。

 無言で踵を返し背を向けた俺を、騎士爵の声が追いかけてくる。


「……。どうやら、貴殿の魔力特性は『所持品を多重複製する』という物のようだが――」


 続く言葉からは揶揄の調子すら消え、もはや明確な警告の響きを帯びていた。


「――今度はその魔力で。金銭でも複製し、民へばら撒きでもするつもりかね?

 あらかじめ言っておくが。そんな安易な行為で、真の信頼を取り戻せると思わぬことだ。

 もし貴殿が金をばら撒いて民の許しを得たところで――私が認める事は絶対にない。

 ……それだけは、よく肝に銘じておきたまえ」

「――そんな事しませんよ」


 即答した俺の背中へ、ではどうする気だ、という視線が突き刺さる。


「――『仕事のヘマは仕事で返す』。当たり前のことです」


 俺の答えに、騎士爵は盛大な哄笑をもって応じた。


「ほう! 世も知らぬまま育てられた貴殿が、その青白い面と細腕で、まっとうに働いて民の信用を取り戻そうというのかね! これは驚いた!」


 ナローデは横で顔をしかめていたが。からかうような騎士爵のその声は、俺にはむしろ、監禁少年を心配しているように聞こえた。さきほど従軍を却下し牢獄に戻れと促したのも、単にひ弱な俺を過酷な現実から護る為だったんじゃないかとさえ思えてくる。


「――待て。待ちたまえ。後学の為ひとつ教えてくれ、ケスパー・ハタラー」


 笑い混じりの騎士爵の声。


「今の『仕事のヘマは仕事で返す』という格言は――いったい、どんな書物に書かれていたのかね? 何の教えだ?」


 きっと、世の中知らない小僧の口から出る言葉とも思えない以上、監禁中読んだ本にあった借り物の知識だろう、とでも考えているに違いない。だが。


「……はるか東の海の果て――『シャチク』の教えです」


 残念。経験に裏打ちされた至言にして、血と汗をまとう労働者の肉声なんだな、これが。

 俺はそのまま振り返らず、ナローデを半ば引きずるように屋敷を後にした。




 失礼な野性児が去った後。老執事の憤慨する執務室で、騎士爵はひとり呟く。


「『シャチク』……東の海の果てには。そんな宗教があるというのか……」


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