第十一畜 聖夜竜の宣誓

「……見たまえ、ケスパー・ハタラー」


 あれから半日弱の時が流れ。めまぐるしい後始末の中、治療により回復した騎士爵は、失った屋敷の正面、薔薇庭園の先に天幕を立てた。ここを仮の指揮所とするつもりらしい。

 天幕はもうひとつ立てられていて、そちらは俺とナローデの仮の宿と定められた。

騎士爵の指示により残敵掃討のため、町の安全確認と周辺の森の巡回をようやく終え、戻ってきたのがついさっきである。敵はすべて倒されたか逃走したようで、ついに一人の賊影も見かけることはなかった。まあ……こんな、魔力の塊みたいな赤黒い甲冑騎馬が闊歩していたらそりゃ、誰だって逃げ出すか。

 騎士爵に急ぎ報告を終えたのち。下馬したいと念じると、『遺産』一式は虚空に吸い込まれるようにして消え、そうして俺の手には一本の鍵が握られていた。

 俺は真鍮の鍵を見つめる。これがマエストロジンガー(歌匠)か。

 おそらく、この鍵を虚空に向かって捻る時、かの歌の扉は開かれるのだろう。

 戦場に絶唱するドラム、ヴァイオリン、トランペット。

 あの歌の正体に俺はひとつだけ、心当たりがあった。

ひとたびその調べを耳にすればどういうわけか、会社の玄関口を思い出す。


(……あの曲、あの歌は――きっと)

《デスマーチ、とかつまんない事言わないで下さいよ》


 オチを奪って、ナローデの思考言語が割り込んできた。


(いや、デスマーチは幾度も経験してるけど、そう言えば一度も聴いたことないなあって)

《あんなクラシックみたいなデスマーチがあってたまるもんですか》


 え。デスマーチはデスをもたらすマーチではないのか。なら俺の推理で正解じゃないか。


《その理屈だと世の中の社畜全員死んでなきゃおかしいじゃないですか》


 はっはっはっ。一体何を言ってんですか。似たようなもんじゃないですか。


《ブラック企業の狂った常識押し付けないで下さいよ……。それより波多良さん、さっき向こうの方で騎士爵が何か言ってましたよ? 行かなくていいんですか?》

(あぁ今行きます。ん? そういやナローデさん今どこに居るんです? 仮設治療所?)

《わたくしは、ちょっと……まあ。――色々と準備があるもので》


 言葉を濁らせるナローデ。なんだろう、女性特有のアレコレかな《セクハラですよ波多良さん》はいすいませんでした。いや厳しい時代になったなぁ。ともあれ鍵を握ったまま、薔薇庭園を過ぎて天幕の先、屋敷正門の前へ佇む騎士爵の背中へ歩み寄ってゆく。

 領主館は町と地続きの小高い丘の上に建っているように見えたが。近づけば、正門の先は長い石段だけが町へと続いており、その周囲は絶壁となっていた。ちょっとした城塞のような造りだ。

 町並みからにょきにょきと頭を出す、特徴的な木造高層建築群……それよりも高い位置にあるこの正門からは、町全景と、そして町の周囲の様子がよく見渡せる。


「……あれだ」


 俺の足音で接近を察知したか、騎士爵は背を向けたまま、ある方向を指さした。

 いやぁ『見たまえ。あれが――君の護った町だ』とか言われて褒められちゃうんかな、なんか恥ずいなぁ……などとむず痒さに鼻をこすりつつ示された方角を見ると、想像とは全然違う光景が飛び込んできた。

 夜のナロンベルク。町全体は照明もないのに、ぼんやりと青白い光に浮き上がっている。まあそれはいい。気にはなるけど昨夜も見たものだし、そこは別に気にしなくていい。

 問題はその先にあるものだ。町を取り囲む森。昼間に野盗くずれを蹂躙した森。そしてついさっきまで見回りしてたはずの森。そこに――幾つもの、松明の光が見えた。場所的に小広場とかその辺りだ。遠目にさえ誰かが野営しているのがわかる。


「えぇ……さっき報告した通り、あの辺には人っ子一人いませんでしたよ……」

「おそらくは――身を隠していただけなのだろう」


 そして――遠く四方八方より。町の周囲の森を目掛け、いくつもの松明の光列が近づいてくるのが眼に入る。


「えええ……何ですかアレ。何でわざわざ夜中に大挙して近づいてくるんですか。……。いや、その、まさかとは思うんですが……」

「――そのまさか、だ」


 うーわマジか。俺は思わず失意体前屈の姿勢で大地に沈んだ。地底耐性やっぱり要るわ。

 ここへ来てまさかの「おかわり」である。つまりは、野営してる明かりも近づいてくる大量の松明も、あれらはすべてまた別の野盗くずれのもの、ということらしい。

じゃあ昼間の戦闘も陽が沈むまでしてた見回りも全部無駄じゃん……。

 わかりやすく強さを示す、示威行動をきっちり済ませたつもりだったのに……。


「『覇王の亡霊』の一党を蹴散らして。首魁も討ち取って。そのうえ、町と森の中を練り歩いて、ついに立ち向かう敵の一人も現れなかった。――ですよね? そのはずですよね?

 あいつら学習能力ないんすか……?」


 これだけはっきり強さを明示したのに。明日からもまた野盗退治の日々が続くのかー、と大地に沈みゆく俺を眺め、騎士爵は苦笑を返した。


「いや。奴らのような野盗くずれには、獲物の強さを測る――また別の指標があるのだ」

「……別の指標?」

「見たまえ、ケスパー・ハタラー。――このナロンベルクの町を」


 両手を広げる騎士爵の前には、青白い光に浮かぶ田舎町の夜景が広がっている。


「ずっと気になっていたんですが……照明もないのに、夜ずっと青白く光ってますよね?」

「うむ。この光は……竜眼(ドラグーン・アイ)という」


 ドラグーン・アイ。竜の眼ってことかな。竜の眼は、こんな青白い光を放つものなのか。


「町が夜に輝くのは、竜が人々の眠りを見守っているから――という言い伝えがある」


 へえ、異世界っぽい言い伝えだな、と頷きを返してみせると、騎士爵は首を振った。


「その言い伝えが真実かはわからぬが。町ごとの竜眼の輝きの強さには、法則があるのだ」


 口ぶりからすると、町ごとに、この青白い夜間照明の強さは異なるらしい。

 確かに。遥か遠く、闇の彼方へ目をやると……かすかに別都市らしき同色の光が見える。

 その輝きの強さはまちまちで、まるで漆黒の地平へ空の星をこぼしたようにも見えた。


「竜眼の輝きは、その都市に駐屯する竜騎士の数に……

 ――いや。『竜の宣誓』の誓約の遵守にこそ、比例するのだと言われている」


 単純な戦力評価の反映なのかと思ったら、また不思議ワードが出てきた。


「『竜の宣誓』て、それ何すか」

「『竜の宣誓』とは。竜騎士を拝命する際に立てる誓いのことだ。

 ――民を間断なく見つめ、民のため己が身を燃やし、民の安らかなる眠りを護る。

 まさに、人の世の夜に寄り添う、竜眼のごとく在ろうと務める宣誓だ」


 誇りをもって口にした騎士爵の顔を、俺は横目で覗いた。


「じゃあ。騎士爵もかつて、誓ったんですか?」

「無論だ」


 誇らしげな言葉はそこで途切れ、視線は空っぽの両手へと落ちる。


「……。私の力ではもはや、この町をこうして薄ぼんやりと輝かせることしかできぬ」


 風が騎士爵の身体を吹きすぎてゆくのを、俺はただ見ていた。

 力というのは魔力とかじゃなく、きっと力量のことを言っているのだろう。

 田舎の片隅でひとり、時勢に則さぬ理想を唱え続け、またその実現に尽力し続ける。

 それは治める町の人達からは理想の領主に見えたかも知れない。

 また、竜騎士の誓いとやらにも反しない行いだったのかも知れない。

 しかし。町の戦力はすり減らされ、竜騎士連隊は定数を割り込み、誓いを守るべき竜騎士の数も大幅に減ってしまった。

夜の町を包む竜眼の光はその光量を落とし。そして、町の輝きの弱さを見、楽に落とせると踏んだ盗賊たちを引き寄せ続け……こうして、敵勢に包囲される現状があるのだろう。

 理想の限界を、正しさの限界を、己が力量の限界を、そこで思い知ったに違いない。

 脳裏には、ひとりきりで足掻き続けた皇弟レオンの姿が重なる。


「そうだな。行いの結果だけ見れば……あのレオン様と、何も変わらないのかも知れん」


 俺の微妙な表情を読んだか、何を言っていいかわからない雰囲気を察したか。騎士爵はそう先回りすると、自虐の笑みを浮かべた。

 ここで主人公ならば、強く否定すべきところなのだろう。

 主人公として振舞うならば、正しさを信ずる事を止めてはならない、と言うべきだろう。


《……ちゃんとわかってるのなら、そうして下さいよ……?》

(――そんな事しませんよ?)


 どこから様子を見ているのか、ナローデの提案をそうはっきりと拒絶して。

 俺は自分の言うべき事だけを口にする。


「そうですね、騎士爵、いや将軍。あなたはもっと――偉い立場へ復帰するべきだ」

「……。いきなりの提案だが――それを決めるのは常に、私ではないのだよ」

「あれ?『竜の宣誓』でしたっけ。その一つ目、もう守れてないんじゃないですか?」


 ――民を間断なく見つめる。


 少し沈黙してから、はっとした顔で俺に振り向く騎士爵。


「この町だけの平和維持に努めてきた私は、もはや民を見ていない――そう言いたいのか」

「ちゃんとわかってるのなら、そうして下さいよ?」


 誰かさんの言葉を借りて答える俺に、騎士爵は顔を伏せ、口許より低く笑いを漏らす。


「つくづく手厳しいな、貴殿は……。まったく、世間を知らぬ幽閉児とはとても思えぬ」


 そりゃまあ、前世が社畜だし。楽園で純粋培養された隠し子とは対極に位置する存在だ。


「……すべて貴殿の言う通りだ。貴殿の言は正しい。

 だが私にはこのナロンベルクを守る領主としての任がある。亡き陛下より最後に命ぜられた大切な役目だ。忠誠のよすがを手放して……臣下を名乗れるはずもない」


 王は崩御し帝国はとっくに崩壊したらしいのに、騎士爵は未だに忠を尽くす気でいる。

 結局この人もレオンとそんな変わらないんだよな。旧主に縛られてるという意味で。

 まあ、こういう時こそ。ずっと幽閉されてて世間にしがらみのない、そして無縁な異世界に転生してきて全然しがらみのない――俺が、どうにかするべき局面ということだろう。




「わかりました! 

ではまず、騎士爵が何の心残りもなくお偉方への復帰を目指せるように。

 そして、この町の人々が襲われる心配を二度としなくて済むように。

 さらには、騎士爵が亡き覇王から命ぜられた役目より解き放たれ自由になるように。

 ぜんぶ――この俺が、何とかしてみせましょう!」




 俺の放った大言にぽかんと口を開けてから、騎士爵は腹を抱えて笑い出した。


「はは……はっはっはっはっは! あーっはっはっはっは!」


 いや笑いすぎじゃね。


「こんなに……こんなに笑ったのは、いつ以来だろう……。

 貴殿が……サーカスを催すため町へ来たという与太話は……本当だったかも知れんな」


 その誤解まだ解けてなかったのかよ。


「ひとつ教えよう、カスパー・ハタラー……。

 この問題は、ソーセージマルメターノのようには、簡単には丸め込めんぞ……?

 さて、どうする……?」


 いやアレはアレで作るの結構コツが要るんですけどね。まあいいや。

 騎士爵はきっと、能天気な町の人達を納得させるのとは訳が違うぞと言いたいんだろう。

 俺のやる事は変わらない。ただ顧客の喜ぶものをひとつでも多く、焼き続けるだけだ。


「……覇王が騎士爵をこの町へ帰したのって、ほぼ『遺産』を託したためだと思うんです。

 だから『遺産』さえ片付けば、覇王の意志はすべて果たしたと考えていいでしょう?」


 騎士爵の額に、苦悩の体現ともいうべき幾筋もの皺が刻まれる。いや怒ってんのかこれ。


「――それは任務放棄、ただの責務放棄である。貴族に相応しくない行いだ。責任も誇りも『遺産』そのものも、捨てるならいつでもできた。それをしないからこそ、貴族なのだ」


 この人がめんどくさい融通利かない人だっていうことは、こっちももう折り込み済みだ。


「つまり騎士爵が気にしてるのは、自分が託されたものを他人に押し付ける事ですよね?

 だったら答えは簡単です。他人じゃなくなればいい。

 ――俺を養子にしてください」


 今度こそ、騎士爵の口がひし形になった。


「……何もおかしな事はないでしょう。貴族の後ろ盾のない『隠し子』。

 従軍し、町の防衛に軍功を立てた――褒章としては妥当なところじゃないですか?」


 まあ。問題は、後ろ盾を得てじゃあ一体何をする気なのか、って点なんですけどね。

 ひし形が懸念や危惧や反論を繰り出す前に、更なるメリットを提示して畳みかける。


「俺が、ただの新入りの部下であるよりも。

 『遺産』を託された者の養子という立場なら、『遺産』を振るい続けて問題ないでしょう。

 貴方は絶大な力を振るう養子の義父として、この戦乱下に一定の影響力を持つはずです」


 なんか脳裏に呂布と丁原という二つの人名が浮かんできたが、無視する。


《……。呂布と董卓の間違いじゃないですかね》


 無視する。


「……恫喝で何かを手にしようなど――貴族の誇りにかけ、決して行うことはできぬ」


 相手を暴力で脅迫するのでは野盗崩れと何も変わらない、と騎士爵は拒絶する。


「……そうでしょうか? 今俺たちが行い、力を見せつけたのは野盗退治においてです。

 正義のもと刃を振るう限り、力の誇示にはなっても、恫喝にはなり得ないはずです」


 正義の体現者である限り、それを恫喝と非難するのは、悪党の自己紹介に他ならない。

 当然、悪党じゃない騎士爵は口を噤むしかない。納得してない顔はしてるけどな。


「騎士爵が理想的な権力者でいられるために、俺という手札をうまく利用してくださいよ。

 それに。俺は『遺産』の継承者みたいなのになったらしいですけど……亡き覇王、というか前継承者のように、世界統一の野望や野心などはまったくありません。

 正直、変に警戒されたくもないし、つまらない憶測で行動を制限されたり、常に監視されたり、無用な掣肘を加えられたくもないんですよ」


 このへんはナポレオン三世のwikiを思い出しながら話している。


「――ですから。俺という戦力を有することを利用して出世してもらう、その代わりに。

 騎士爵には貴族の後ろ盾、俺の庇護者として、俺が自由に働けるよう周囲に牽制をして欲しいんですよね」


 ナローデが何かに感心したように、へえー、とか言っている。


《波多良さん交渉とかできたんですね。会社の言うまま働くだけの人かと思ってました》

(腹芸できなきゃ社畜は無理ですよ。まあ誰かさんのお腹は黒過ぎて腹芸無理そうですが)

《お前のお腹もアザで真っ黒にしてやろうか……?》


 ひいぃ。腹パン姉貴怖い。


「ケスパー……本当に貴殿は。幽閉されていたととても思えぬ、世慣れぶりを示すのだな」


 感心半分疑い半分呆れ半分、みたいな複雑な顔で騎士爵が腕を組む。


「よい。もうよい。わかった、貴殿の申し出を受けよう。

 私が貴殿の義理親となれば。貴族の養子たる貴殿は、正義の名のもとに、その『遺産』を振るい続けることも叶おう。

 貴殿が私の養子となれば。かつて大陸統一を成しとげた、覇王が振るった絶大な力……『遺産』の適合者を身内に擁する私は、周囲のその力への敬遠と牽制から、相応の権力を取り戻す事にもなるだろう」


 なんか悲観的だなあこの人。貴族社会に幻滅して田舎に引っ込んでた部分もあんのかな。


「……だがその道が意味するものは帝国の復活に他ならない。周囲は当然そう見るだろう。

 ケスパー。貴殿の狙いは一体、何だ? レオン卿と己とは違う、とはっきり言えるのか?」


 隠さぬ疑念を瞳に宿し、騎士爵はまっすぐにこちらの眼を覗き込んでくる。

 『遺産』を何に使う気だ、と問うている。

 その懸念には多分――レオンが言った『異世界人』という素性も含まれているのだろう。

 しかし残念だったなぁ。

会社に縛られる社畜の俺は、神様から「好き勝手しなさい」と命ぜられ、この異世界へと解き放たれたが。

 同行するなろう作家もまた、俺が好き勝手に主人公ムーブするのを望んじゃいるが。


 俺は本当の意味で好き勝手する気はないんだよ。


 手の中に鍵を遊ばせながら、俺は答えた。


「……歌劇はね。まだ、途中なんだそうですよ?」

「? いったい何の話だ――いや」

「マエストロジンガー……『歌匠』の、訴えるところによると――です」


 皇帝の愚弟を相手に演じた戦場の絶唱はハイライトで、およそ終幕までには程遠い。

 音楽のごとく奏でられる戦闘音の連なりは、俺の脳内にそんな理解を叩きつけてきた。

 歌の匠はただ一心に。楽曲の完成、そして歌劇の終演を待ち望んている。


「終幕をみるまで。今度こそ、途中退出は許さない――そう、八つ当たりされましたよ?」


 苦笑いを浮かべてみせると。騎士爵は「途中退出」した奴に心当たりでもあったのか、渋面をつくった。

 まあ……亡き陛下とやらの事なんだろう。


「途中からの観劇にはなりますがね。まあ俺も――結末を見てみたくはなりましたよ?」


 それが理由じゃダメですか?と訊ねると、騎士爵の渋面がより一層ひどくなる。

 判断のつけられない与太話をされても、真面目な騎士爵としては困るだけなのだろう。

 そう思っていると、門柱へずっと背を預けていたか、急にパイセンさんが姿を現した。


「連隊長――いや、将軍閣下。……『歌匠』はずっと、歌い継ぐ者を待っておりやした」


 こいつの言う事は本当です、と申し添えるパイセンさんだが、担いでいる斧の刃が怖い。


「……パイセンさん? そこでずっと聞いてたんですか?

 そういえば。どうして『歌匠』のことに詳しいのか――教えてもらってませんでしたね」


 なぜかむき出しのままの斧の刃を光らせ、パイセンさんの唇に苦笑が掠める。


「……へっ。大した理由じゃねえよ。

 昔はな。俺の家系が、そいつ……『歌匠』の、代々の管理者だった、てだけの話だ。

 まあ、俺がまだガキの時分、盗賊に村ごと燃やされちまって――伝承の殆ども散逸したし、『歌匠』それ自身も、長らく所在が不明だったんだがな」


 終わりの見えぬ戦乱の世、ある時、『歌匠』を身に纏い燦然と現れたのが陛下だった――そう語るパイセンさんの口調は、英雄譚を語っているはずなのに……どこか重い。


「けどな――お前。……本当に、いいのか?」


 一瞬だけ誰かを探すよう眼を彷徨わせてから、パイセンさんは俺にそう訊ねてきた。

 言葉が足りないのは、言葉を伏せたのは、きっと家系の家則をいまなお守るためだろう。


「はい。もう決めたことです」


 気づかないような顔をして即答すると、パイセンさんはしばし瞑目する。


「ガキから随分大きくなっても。戦い続け力を得ても。管理者ってのは、ホント無力だな」


 その小さい呟きは俺ではなく、騎士爵の方へと向けられていて。二人は顔を見合わせ、何らかの共通認識に至ると、苦笑を向け合う。

 やがて二人は、揃えたように声を放った。


「――前管理者、家系承認」

「現管理者家系承認。これより――『歌匠』マエストロジンガーの指名歌手は、貴殿だ」


 二人の唱和に合わせ、俺の手中の鍵が輝き始める。




「「――匠の求むるまま。この世の終わりまで。歌い続けるがいい――」」




 二人が口にした物騒な文言は。はたして、機能解放の呪文なのか何なのか。

 だがまあ。社畜生活で事実上の死刑宣告を浴びまくる俺には、耳慣れたものでしかない。

 視界を埋め尽くした光がやむと、そこには機馬にまたがり甲冑を身に纏う俺がいる。

 しかしその全身に漲る魔力の猛りは、これまでとはとても比べ物にならない。

 これが……正当な後継者のみ振るう事を許される、『遺産』の真の力なのか。

 ブルル――鼻を鳴らす機馬の吐息にさえ、魔力光の歪みが見て取れる。


「……ああ。そういやぁ――」


 そんな俺を見上げて、パイセンさんはどこか愉快げに質問を投げてきた。


「さっき、お前さぁ―― 

 『この町の人々が襲われる心配を二度としなくて済むように。

  ぜんぶ――この俺が、何とかしてみせましょう!』

 とか言ってたよなぁ?

 でも普通に考えたらそれ、この町に住む俺らがずっと実現できずにいた事だろ。

 一挙に解決できる手でもあるってのか……どうする気だよ、オイ?」


 そう言って俺の背を叩くパイセンさんは笑顔で、もう答えが解っているらしい。

 俺は馬首を巡らせ、騎士爵へと向き直った。


「……答えはひとつです。俺が――この町の竜騎士になります」


 それを聞いた騎士爵は無言で、青白く浮き上がる夜景を眺めた。

 竜眼(ドラグーン・ライト)。夜の町を包むその輝きの強さが、野盗たちが獲物を見繕うための判断基準となっているのなら。

 単純に。強い竜騎士が町の戦力に加わればその輝きは増し、賊は判断を改めるはずだ。


「それは――もとより、こちらから依頼しようと考えていた事だ」


 深々と頭を下げる騎士爵。


「この町を守るため。どうか――非力な我らに成り代わり、見守る巨竜の瞳を与えてくれ」


 騎士爵の懇願を皮切りに。天幕の影より、つい先刻まで行動を共にしていた軍人や冒険者達が続々と姿を現した。それぞれ武器を持ち、にやにや笑いで近づいてくる。斧を担ぐパイセンさんも悪党の笑みでそこへ混ざる。

 とはいえ、唐突に襲い掛かってきたりするわけでもなく。皆は門から薔薇庭園、そして屋敷前へと続く道の両脇にそれぞれ列を作ると、向かい合い、そしてお互いの武器を頭上に掲げ、無数のアーチを作った。

 武器の切っ先の打ち合う音がいくつも連なり、遠ざかってゆくその先には――アーチの終点。黒く焦げた外壁の前へ佇む、白い薄物を被った、ほっそりとした人影がある。

 幾重ものフリルに彩られた純白のドレスに、目の細かいヴェール。どう見ても花嫁衣裳を身に纏い、恥じらうように面を伏せているのは……どう見てもナローデさんである。


(ナローデさん何やってんすか……。ていうか準備ってこれだったんですか……)

《波多良さんが巡回してる時に騎士爵から頼まれたんですよ。――ホラいいから早く》


 早く? 花嫁衣装に向かって主人公ムーブ? と首を傾げていると、騎士爵が促した。


「――さあ。誓いを立てんとする者よ。竜の花嫁より牙を授かり、竜の宣誓を為せ!」


 あー。あそこまで歩くのね、と理解して馬を進め、アーチにぶつかるよう進んでゆく。馬の進みに合わせて、行く手を塞ぐ交差する武器は再び一度打ち合わされたのちに引かれ、金属音とともにアーチは次々解かれてゆく。道脇の兵達がみな武器を胸に引き付ける中、遮るもののなくなった道を進み、そうして俺は白き花嫁の元へと辿り着いた。

 馬から降りると、ナローデさんは両手で捧げ持つ何かを差し出してきた。長銃だ。

 どうやらこれも属性銃らしいが、白を基調に装飾の施された儀礼銃のような造りで、やたら高価そうだ。あ。「竜の花嫁から牙を受け取り」とか言われていたから、これがその牙とやらにあたるのかも。白いし。銃は竜騎士にとっての攻撃手段で牙みたいなものだし。

 俺は右手で銃を受け取り、


(……で。次はたしか――宣誓だったっけ?)


そして左手で、ナローデの面を覆うヴェールを取ろうとする。


《⁉ ちょっ波多良さんいきなり何しようとしてんですか次は竜の宣誓でしょお⁉》


 両手で俺の腕を止め、ギリギリと全力でヴェールを剥ぎ取られる事に抵抗するナローデ。


(……え? 花嫁に対して誓いって言ったら、普通は――)

《違いますよ花嫁じゃなくて竜に宣誓するんですよ!ていうか竜の宣誓の内容ってさっきアナタ全部聞いてたじゃないですか!あの文言を!この銃を!天に向かって!一発一発!撃ちながら!ひとつひとつ!誓うんですよ!……はあ、はあ》

(なんだー紛らわしい……。そうならそうと教えといて下さいよ……。あービックリした)

《アナタがいきなりキスしてこようとしなきゃ普通に教えられたんですよ!ビックリしたのはこっちですよ!》


 急に掴み合いを始めた俺らを見て皆が笑っている。遠くの騎士爵はもう呆れ顔だ。


(で。このヴェールは別に、取らなくてもいいんですか?)ギリギリギリ

《何でそこまで花嫁のヴェール剥ぐ事に拘るんですか波多良さん……? えと、事前に受けた説明では、竜の花嫁役は人ではなく竜である象徴として面を隠すらしいんで、儀礼的な意味でもこのヴェールは取っちゃダメです。ていうか取らないで下さい。お願いします》


 懇願されたので、ちぇー、としぶしぶ引き下がる。

 そんな俺を見て戦慄しているナローデだったが。俺が右手の銃を真上に持ち上げると、ふわりと、左手に柔らかい感触とともに抱き着いてきた。


(えっと? ……ナローデさん?)

《いや、儀式の決まりなんですよ。騎士は花嫁を抱きながら宣誓を行うものだ、とか》


 ヴェールの奥の顔色がほんのり赤く染まる。ナローデはそのまま、ぎこちない動きで俺の左腕を自身の背中へ回し、そして掌を反対側の腰に添えさせた。

 ちょうど腰を抱き寄せている格好になる。無言のまま俯く花嫁に、俺もつい赤面する。


(……いやー。あっはっは。なんかこういうの。照れますねー?)

《ああもう何ですかこの空気!いいから波多良さん早く済ませて下さいよ!竜の宣誓!》


 あぁハイハイ。そっちね。


《そっち、って……⁉》


 俺は火照った顔を冷ますように夜空の星々を見上げた。

 満天の星は冴え冴えとした光を湛え、さながら人の子らを見守る群竜の瞳にも見える。

 天へ向け牙を剥く砲口より、誓いの咆哮が吹き上がるさまを、竜達は眺めているのか。


「天空の星竜達よ。聞き届け給え――」


 花嫁を抱いて銃口を星空へ向ける俺を、みなが見つめている。


「……今ここに誓う! 常に民を想い、民を間断なく見つめることを!」


 引き金を引くと、火属性弾が装填されていたか、人々を照らすように炎が噴き上がる。

 重い発砲の衝撃が、抱き寄せたナローデの身体にまで走り抜ける。


「……今ここに誓う! 常に民を守り、民のため己が身を燃やすことを!」


 ふたたび引き金を引くと、また火属性弾で、身体に燃え移りそうなほど大きな火球が膨れ上がると、遠く夜空まで撃ち上がった。

 身体を底から震わせる発砲の衝撃に、ナローデは面を伏せ耐えている。


「……今ここに誓う! 常に民を庇い、民の安らかなる眠りを護ることを!」


 みたび引き金を引けば、やっぱり火属性弾で。今度は青白い炎――まるで夜の寒さを和らげるような高温の炎が噴き上がり、冷たい大気を焦がした。

 発砲の衝撃にまたナローデの身体が震え、その唇から微かな声が漏れる。


「…………」


 騎士爵から聞いた「竜の宣誓」は三節までだったが、渡された属性銃は通常の四連弾倉。つまり――もう一発、弾が余っている。


(ええと……? 四つ目の誓いって聞いてないんですが? 何誓えばいいんすか?)

《……ああ。四つ目は特に決まってないらしくて、各人で自由に誓う習わしみたいですよ》


 最後だけ自由形かよ。こういう宣誓って大体、一番最後が一番重要なんじゃないのかよ。

 まあいいや。しきたりで何でもいいってんなら、本当に何でもいいか。適当に誓おう。

 俺は引き金に指を掛けた。


「……今ここに誓う! 竜の宣誓を共にした、竜の花嫁を終生――愛する事を!」

「ちょっアナタ一体何言ってんですかぁ⁉」


 ナローデが密着状態より恐るべき拳速で繰り出した殺意あふれる一撃は、密着状態ゆえ本来避けようもなかったが、しかし俺の発砲の衝撃で狙いが逸れ空を切った。ざまぁ。

 俺がざまぁ顔をキメる前にすぐさま二撃目が放たれ、甲冑を貫く衝撃がみぞおちまで浸透し俺はたまらず上体を折る。鎧貫きだと……古武術でも修めてんのかなろう作家ぁ……。

 わははははと皆の笑う声が聞こえる。ひゅーひゅーお熱いねえとか囃し立てる声も聞こえる。今回の竜の息吹はアツアツだぜえとかパイセンさんが言ってる。やかましいわ。


「⁉……波多良さん、あれ‼」


 バカめ。そんな手には引っかからんぞ。そうやって注意を引いて、今度は目潰しが飛んでくるんだろう。反則無しの古流武術めが……と警戒するも一向に殺気が飛んでこないため、顔面をガードしていた手をどけてみると。

驚愕の表情の花嫁の指さす先、町の夜景を浮き上がらせる光が、その輝きを強めてゆく。

 町を下から照らす光は強まると共に色味を増し、闇を圧した白い光は、昼の町とまるで遜色ないほどの明るさを家並みへともたらす。

 夜空を見上げれば、町全体から太い光の柱が立ち昇っているようにも見えた。

 それを認めると同時に。遠くから続々と近づき、町を包囲していたはずの赤い光――野盗群盗達の松明が、まるで蜘蛛の子を散らすように、町周辺より離れ去ってゆく。


「「やった……!」」


 これでもう、この町の人々は盗賊を恐れて暮らさなくて済む。

 狙い通りうまくいった歓喜に、思わず目の前のナローデと笑顔を向け合うと。

超至近距離という事を思い出したのか、ヴェールの奥の整った面が羞恥に染まる。


「あ」「あ」


 最初の「あ」は赤面するナローデが今更のように高速の目潰しを繰り出してきたもので、そして後半の「あ」は攻撃を察知した俺が甲冑の面頬を落とし防ごうとしたものである。

 しかし禁じ手一切なし古流武術アマゾネスは、しっかり二本の指を魔力で強化しており、そのたおやかな白魚のごとき指は高防御力を誇るはずの『遺産』の面頬のスリットを見事ブチ抜きこじ開け、そして綺麗に俺の両眼球へとヒットした。


「……ぐあああああ⁉ 目っ、目があっ‼」


 目を押さえのたうち回る俺をよそに。ナローデは乙女の顔で、二本の指を血振るいした。およそ乙女の所業じゃねえ。

 ていうか、町に光をもたらしたのに肝心の本人は光を奪われるってどうなんだよ。

きっちり残心まで済ませた古流武術目潰し女は、今度は回復魔法を使う事にしたのか。徐々に回復してゆく俺の視界には――なぜか、驚愕の表情の騎士爵が佇んでいる。


「同じだ……。自らの光を捧げ、町へ光をもたらした『聖ドラグノフ』の伝承と……」


 遠い目で呟くその様子からすると。どうも大昔、自らの眼を供物に『竜眼』の光量を上げた聖人でもいたらしい感じではあるが――いや今の光景まるで逆だったろ。町に光をもたらした功労者が「恥ずかしいから」て理由で光を奪われただけだったろ。

 しかし俺の感想とは正反対に。夜空の星々がまるで群竜の瞳のごとくきらめくと、空のあちこちから頭上の一点に向け、次々に力が集まってくる。えええ……今のじゃれ合いも聖人ムーブにカウントされちゃって本当にいいのかよ……。判定ガバ過ぎひん……。

 魔力のような生命力のような力が集まってゆく先には、火線――未だに上昇を続ける、一発の魔術弾がある。四発目……俺が一番最後に全魔力を籠め撃ち放った弾だ。

 そういえばこいつに永遠の愛を誓った弾でもあるな、と傍らの花嫁へ視線を落とすと、ナローデは何かを察知したか全身に殺気を纏わせた。およそ花嫁の振る舞いじゃねえ。


(――まあ、せっかく集まった力だ)


 俺が眼を閉じ、ひとつ願えば。

高く高く飛翔を続けていた魔術弾は、雷の如き轟音を響かせ、夜空に紅い華を咲かせる。


「わぁ……」


 夜空を見上げるナローデ。その白い貌にうっすらと、映す花火の紅が引かれる。

 人々の驚嘆を背景に、炸裂した魔術弾は大輪の花火と化して闇空を彩り、そして――無数の火箭へと変じ、地上で見守る無防備な人々の頭上へ降り注いでゆく。


「「「わ、わああああ⁉……え?」」」


 あわや惨劇と化す寸前。悲鳴を上げ頭を庇う皆をよそに、地上の人々を襲った火矢のごとき赤光はその眼前でかき消える。熱風だけがまるでからかうように額をかすめた。


「え。……今、何したんですか波多良さん」


 不思議そうに訊ねてくるナローデだが、腰に落とした正拳はきっちり握られており、どうやら返答次第では俺の肝臓が一発でオシャカになりそうな雰囲気ではある。


「えっ。……ナローデさんのお好きな、主人公ムーブを決めたんですが」


 お気に召しませんでしたか、と確認すると眉が変な方向へねじ曲がった。が、やがてナローデの視線は眼下の青白い町並み、広場の中央に残る、解体されかけた櫓を捉える。

 祭礼の痕跡。何かを思い出すような遠い瞳で、やんわりとうなずく。


「ああ――聖、聖……誰でしたっけねえ。もう忘れてしまいました。

 とにかく。――『聖霊降臨祭』の伝承に、合わせたんですね?」


 俺達が現れる直前までこの町で行われていたという祭の名前を、ナローデは口にした。

 もともと、『聖霊降臨節』という祭典名の謂れは、「人々の頭上へ光が降り注いだ」という奇跡の言い伝えから来ている。(俺らの歴史では)

 日本じゃマイナーなはずの祭典やその伝承に詳しいのは、なろう作家が物知りだからか。あるいは、意外にもミッション系出身とかだったりするのか。お嬢様口調だし。


「意外てなんですか」


 思考が漏れていた。さらば肝臓。


「ところで。……どうして波多良さんが、聖霊降臨祭の伝承なんて知ってるんですか?」


 逆に訊ねられた。まあ、作家ならともかく、ただの社畜が知ってるのは確かに変だよな。

 俺は眼前へ、光る画面を浮かび上がらせる。


「そこはもちろん。wikiで調べました!」

「だと思いましたよ……」


 ドヤ顔の俺に呆れ顔のナローデ。あれ。気を使って主人公ムーブしてあげたのになあ。


「奇跡だ!」「列聖申請をしろ!」「新たな聖人の誕生だ!」「聖ケスパー……」


 気づけば周囲は大変な騒ぎになっている。聖人とか大げさな。酒入ってないかこいつら。

 おい。そこの奴、いきなり人を拝み始めるのをやめろ。ちょっとおふざけしただけだろ。


「聖ケスパー……ぷふっ」

 

人の顔を見て笑うな吹くな古武術アマゾネス。


「聖霊の竜騎士……、いや、聖騎士……!」


 おいおい。騎士爵が真面目な顔でろくでもない事考え込んでるぞ。真面目くんが暴走するとろくな事ないんだから今すぐやめろ。いやなんで町の司祭を呼ぼうとする。やめろ。


「聖霊の竜騎士!」「聖騎士!」「聖騎士ケスパー!」「聖ケスパー!」


 まるで統一感のない歓呼の声に包まれながら、俺はどこからか集まってきた町の連中に押されるようにして騎士爵の前へと弾き出された。面倒事の気配を察知しすばやく逃げようとするナローデの腰をがっちり抱いたまま、司祭と騎士爵の前へむりやり二人で立つ。


「おやぁ?竜の花嫁がまだ儀式の最中にどこ行くんすかぁ?」「波多良さんてめえ……!」


 ささやきを交わし、いつかの酒場のリベンジを果たしてから。


「……ケスパー・ハタラー。大勢の目撃者が居る場でのこのような、奇跡の顕現により。――貴殿を通例通り、竜騎士へ叙任するわけにはいかなくなった」


 たぶん俺に授与するはずだった竜騎士徽章を、騎士爵はポッケにしまってしまう。ああ。


「そこでこちらの……町の司祭様を急ぎ、お呼びしたのだ」

「――ナロンベルク町附聖教会を預かる、司祭のリヒャルト・ワーグメーと申します」


 騎士爵の隣、痩せた身体を純白の僧衣に包む老人は、厳粛な面持ちで十字を切る。


「――ただいまの事象は確かに私自身も目に……いえ、拝見の誉に預かりました。奇跡認定、そしてあなたの列聖申請については町附教会の責務でもございますので、この老骨の身命を賭し、私から聖教会の方へ確実に報告申請させて頂きます」


 これだけの目撃者が居るのです、奇跡認定も列聖も確実でしょう、安心して下さい、と言わんばかりに微笑む司教だが、ものすごく要らない……そういう配慮要らない……!

 横のナローデはげんなり顔だ。どうするんですか波多良さん、と顔に書いてある。

未来に横たわる面倒事の数々を予見し、俺は一応の抵抗を試みてみることにした。


「あっ……あのう……俺普通に竜騎士になろうとしただけっていうか……今のってホラ……ただ単に、過去の聖人の、聖ドラグノフ、でしたっけ……ちょっとその人の真似をしただけっていうか……単なる真似っていうか……ホラ回復魔法で目もこの通り治りましたし……要するにフリだけだったのに、なんか、天の星々が力を貸してくれて……それで何となく願ったら、たまたまああなっただけっていうか……」


 だから奇跡でも聖人でもないです!と力説すると二人の眼が点になる。

 そして同時に笑い出した。


「ははははは!教えよう、ケスパー・ハタラー。――この世ではそれを、奇跡と呼ぶのだ」

「ふふ……そして。何となく奇跡を起こす、そのような方をこそ。――聖人と呼ぶのです」


 ダメだ。誤解は解けてくれそうになかった。


「そして――町附教会の責務は、もうひとつございましてな」

「民衆の守護者を名乗るに相応しき人物の審査と……そして、聖騎士の叙任である」


 ダメだ。四方八方熱狂する民衆に囲まれてて逃げ場がねえ。


「ケスパー・ハタラー。観念したまえ。これらは全て、貴殿の尊き行いの結果だろう?」

「ふふ……何も難しい事はございませんよ。さあ、跪いて聖別を受けるのです」


 笑顔の二人の眼は等しく、逃げ場などあるわけないだろうがと告げていた。

 こうして、クッソ寒い真夜中にクッソ冷たい聖水と何かの葉っぱを振りかけられ、そして冷たいパンとワインを丸呑みさせられ――どういうわけか俺は聖騎士となった。


「聖騎士!」「聖騎士ケスパー・ハタラー!」「聖竜騎士!」「聖★竜騎士!」


 おい。人の肩書に勝手に★とか入れるのやめろ。不真面目感あふれ出るだろうが。

 横の不真面目感あふれる金髪美女メイドは、やれやれと言いたげに肩をすくめている。

 人々の歓呼の声に包まれつつ、俺達――聖騎士と竜の花嫁は、今日の寝所と定められた天幕へ入り(というか人が多過ぎてどこにも行けなかった)疲れが出てそのまま就寝。

 天幕越しに響く人々の声は、その夜遅くまで絶えることがなかった。

 そして――




「あまりにも眩し過ぎて全っ然眠れない‼ 町から出ていけ‼」




 ――早くも翌朝、町から追放されるのであった。


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