第十畜 覇王残影葬送曲

「――まとめると。ここの敵は囮に過ぎず、本命は手薄となった町中心部を襲いに行った……そういうことだな?」


 俺を囲む形で馬を走らせる正竜騎士や冒険者の先輩方へ、俺は曖昧にうなずいた。


「何だ、その曖昧な肯定は」

「いや狙いは多分町そのものじゃなくて……何かを探してるように感じるんですが」

「……。狙っているのはおそらく――『覇王の遺産』だ」


 前を向いたまま断言した正竜騎士に、何ですかそれ、また別の敗走兵グループですか、と訊ねると苦笑が返ってくる。


「『覇王の遺産』は――領主様がかつて亡き覇王より託されたといわれる……何か、だ」


 何かって何だよ、と思うが、何かは誰にもわからないらしい。

 古参の正竜騎士の語るところによれば。

 騎士爵はかつて、今は亡き覇王の麾下として各地を転戦し、大陸統一に貢献した歴戦の勇士であるらしい。

 覇王軍にも重きを占め、覇王の腹心といってもいい立場にあり、在りし日の宮廷にて顕位顕官を極めていたというが……ある時急に、生まれ故郷である僻地――このナロンベルクの町だ――の領主を命ぜられ、元の騎士爵位に戻された上でこの田舎へ逼塞したという。

 突然の失脚に、覇王との不仲を噂するものも居たが……逆に、信頼できる腹心として、覇王から大切なものを託され目立たぬ田舎に隠れたのだ、という風説もまた流れた。

 それからほどなくして覇王は壮図半ばに非業の死を遂げ……残された遺産、財宝伝説だけが、黙して語らぬ騎士爵の周辺をうろつくことになった。

 そう――まるで覇王の亡霊のように。


「『覇王の亡霊』……」


 俺の呟きを拾った古参騎士は、重々しく頷きを返す。

 今町の外を包囲している『覇王の亡霊』とはそもそも、覇王逝去後、失われた絶対王権の復活と大帝国の再生を望んで、覇王の血縁者が分派させた一軍がその源流であるらしい。

 指導者の名は亡き覇王の末弟にあたるレオン・ヴォ・ナ・パルテ。未だ兄存命の頃より偉大な覇王ケポレオンとはおよそ似つかぬ愚弟と酷評されながらも、しかし偉大な兄を模倣した言動を繰り返し続け、「小ケポレオン」との異名を戴く暴君であるらしい。


「――覇王、ケポレオン……」


 伝説の覇者の名をつぶやく初陣の若造を優しい眼で見守っている古参騎士であったが。残念ながら俺が気になっているのは、名前の違和感だけである。ケポレオンて。

お話上手というか聞かせ上手というか、話運びがやけに滑らかな古参騎士に、もうこの人が主人公でいいんじゃないかな、という視線をナローデに送るも、奴は揺れる馬の背に器用に紙を押し付け高速で何かを書きなぐっていた。仕事中みたいな顔だ。いや仕事か。


「では――その小ケポレオンとやらは、やはり『覇王の遺産』を狙って……?」

「おそらくはな。それ以外に、奴がこの田舎町へと長々固執する理由など見当たらない。加えて、奴ならば覇王の腹心であった領主様のこともよく見知っているはずなのだ」


 古参騎士はうつむき、首を振る。


「……兄の跡を継げぬ愚弟でも、軍の掌握すらできぬ愚将でも――いや。むしろ、無能と呼ばれた日陰者だからこそ。大ケポレオンの名を継ぎ、そして『覇王の遺産』を奪取する事には……人一倍こだわるはずなのだ」


 なんだろう。この町の人達、全員歴史学者か何かかな。


「じゃあ問題は、『覇王の遺産』がはたして何か、って事になってくるんですが……」

「それはわからん。酒場の与太話程度ではあるが、一説には――戦場で幾度も先見の明を示していた覇王は。歴史の転換点を見通し、やがて過去となるべき遺物を、腹心たる騎士爵に預け、古い歴史の沈澱するこの町へ封じた……なんて話もあるが」


 なんで酒場でそんな話してんのかな。歴史学者の集う高級クラブかな。


「過去となるべき遺物、とは……一体何のことでしょう?」


 黒歴史とかかな。覇王の厨二時代とか。覇王(笑)。


「なぜそこで笑う? 正体は皆目わからんが。処分せず、腹心へと預けた以上、財宝に相当する価値を持つ何か――ではあるはずだ」

「そんな……ものではない……」


 道端から弱々しい声が響いて、俺は一団に停止を命じた。

 見れば町の入り口、石造りの古い門へ、傷だらけの老従士がもたれかかっている。


「……執事さん⁉ どうしたんですか⁉」

「……戻ってきたところで襲われた。わかっている、こんなのはただの時間稼ぎだ……」


 よく見ればあちこちの草むらに山賊風の男たちが倒れている。伏兵がいたのか。


「若様はご無事だ……ひとり、屋敷へ向かわれた……」


 傷だらけの老従士を苦労して馬に背負いあげると、ナローデが手のひらをかざし、傷口を魔法の光で照らす。みるみる内に傷が塞がってゆく。いや治癒魔法使えたんかい。


「騎士爵はひとりきりで――『覇王の遺産』てのを、取りに行ったんですか?」


 再び馬を走らせ、ぐったりと背にもたれる老従士に訊ねると、力ない声が返ってくる。


「ちがう……あれは封印しておくべきものだ……だからこそ若様へ託されたのだ……

 使わねば生きられぬと悟ってもなお、使わぬ選択をする若様だからこそ、選ばれた……

 それに。あれを使うことができる者など、もはや……」


 声が途切れる。意識を失ったらしい。

 封印すべきであり取りにも行かないのなら、じゃあ騎士爵は一体、何をしに行ったのか。

 視界を流れる町並みは静まり返っている。一見、何も起きていないように見える。

 行く手に聳え立つ領主館が見えた。が、門番の姿ひとつ見当たらないのはおかしい。

 その時。派手な破砕音とともに、館正面の重厚な二枚扉を突き破り、人影が転がり出た。兜の残骸らしき金属片をまき散らしつつ階段を転げ落ちると、薔薇の咲き乱れる庭園へ突っ込んで止まる。噴水の縁に手をかけ、血まみれの上体を緩慢に起こし、苦痛にゆがむその顔は――紛れもなく、騎士爵その人だった。

 騎士爵は鎧の破片をこぼしながらも立ち上がると、開け放たれたままの正面扉に向かい、その手に握る銃を持ち上げてみせた。瞳は警戒に窄められ、口は制止の声を紡ぐように見えたが――

 次の瞬間。屋敷の一階部分の窓という窓からまばゆい閃光が放たれたかと思うと、そのすべてが内側から吹き飛んだ。粉微塵になったガラスが霰のように降り注ぎ、薔薇の大海を揺らす。大穴と化した窓の痕跡は室内より大量の黒煙を立ち昇らせ、垣間に踊る火影と、ぱちぱちと何かが爆ぜる音を漏らしている。

 開け放たれた正面扉より。邸内の炎を逆光に背負って、一騎の竜騎士が歩み出る。

 その身に纏う全身甲冑はどこか機械的な色味を帯びながら、空を往くがごとき流線的なフォルム、至るところにあしらわれた竜の意匠、翼のごとく骨組みを有したマント――と、さながら竜そのものを模したかのような造形で、炎すら纏うように現れ出た。

 跨った騎馬を彩る馬鎧もまた、機械的で硬質、角張ったデザインで――どこか、大気筒のバイクを連想させた――さながら工業製品のようないでたちであったが。よくよく見れば馬鎧の下から覗く脚も生身のそれではなく、鋼鉄の蹄は一歩ごと金属音を響かせている。


「……ゴーレム……魔動機馬……!」


 気を失った老従士を自分の馬へ引き取り、庇いながら古参騎士がつぶやく。

 そうか。あれはたぶん、魔力で動く馬のようなものか。

 流れる魔力の輝きを全身から迸らせ。一歩一歩、石段を下りてゆく馬上の竜騎士の見つめる先は、もはや――薔薇の園に血を流し銃を構える騎士爵ではなく。

呆然と領主館の炎上を眺める、新たな闖入者の一団――その先頭に立つ、俺を見ている。

竜の顎が開かれたと思えばそれは、兜の面頬が上げられた音だった。魔力で動いている。

 面頬の下から現れたのは――やはり壮年の、金髪美丈夫の顔であった。騎士爵よりやや年下と見えるその人物の容貌は、どことなく俺に似ていた。首元に下げた十字架が揺れる。

 兜を外した俺の素顔を認め、その顔はひどく複雑そうに歪んだ。

目元は嫉視の陰険さをたたえながらも……その口許は、優越の笑みを形作っている。

この人物こそが――『小ケポレオン』レオン・ヴォ・ナ・パルテ、であるのだろう。


「部下から報告は聞いていた。お前が……ケスパー・ハタラー、だな」


 レオンは顔面をくしゃりと笑みに歪めた。その瞳が異様な輝きに包まれる。


「――『将軍はついに継承者を見つけた』。その【告解】は、にわかには信じがたかったが……やはり。兄上の遺産が、お前を選ぶなどあり得ない」


 瞳の輝きからすると、何らかのスキルを使っているらしい。言っている内容はひとつも理解できなかったが、将軍、と名を呼んだ時に目を向けたのは騎士爵だったように見えた。


「町の解囲作戦に。そのような軽装で放り出されている時点で。しょせんお前は、遺産に選ばれるほどの人物ではないのだ。そうだろう――将軍?」


 呼びかけた先の将軍こと騎士爵は、静かに歯噛みするばかりだ。


「兄亡き後、やっと継承者を見つけたはずの忠臣が……なにゆえ、遺産を葬ろうとした⁉」


 突然の激昂とともに、手に持ったなにかの先端へ光が灯る。鎧に騎馬と竜騎士のいでたちでありながら、その手に握られていたのは古風な馬上突撃槍だった。しかし鋼色の切っ先に宿る光は強大な魔力のそれで、おそらくはこの武器もまた『遺産』であるのだろう。

 円錐形の馬上槍が騎士爵を擬すと、光は魔力の散弾となり、標的の全身を襲った。

弾着の衝撃に吹き飛ばされ、噴水塔へ叩きつけられて、半ばめり込んで止まる騎士爵。

 訪れる沈黙。いまだ囀り続けているのは背後、爆炎を上げる領主館のみである。

 館の爆発は襲撃者のレオンではなく、騎士爵によるものであったのか。


「――」


 炎に照らされ、罪を指摘されてなお、騎士爵の表情は動かない。

 察するに。伏兵により敵の狙いが『覇王の遺産』の奪取と察知した騎士爵は。「封印すべきもの」と語られていたその『遺産』を確保するのではなく……処分しようとしたらしい。

 その結果がこの自宅爆破らしい。

 だが――目の前に佇立する、流れる魔力に脈動するがごとき、全身甲冑と魔道機馬は。


「……もっと早くこうしておけば良かったのだ……。

 『遺産』がこうしておれの手に収まったことは、つまり!

 【告解】の指し示す継承者は、お前ではなく! おれだった――という事だ!」


 彼方の俺に甲冑の手指をつきつけて、愚弟の哄笑は火の粉舞う空へ響いた。


「……レオン卿」


 割れた鎧より血と水をこぼしつつ、騎士爵は諦念に満ちる声で告げた。


「――ご自身のスキルが一体、何を伝えるものか。貴方はよくご存じの筈です……

 貴方のスキル【告解】は。『貴方にとって罪である』真実のみを、残酷にも伝える。

 つまり。貴方は継承者などでは――」

「うるさい黙れ、黙れぇっ‼」


 馬上槍が強烈に閃いたと思った刹那、騎士爵の立つ庭園へ無数の魔力弾が放たれ、弾着の爆風とあがる土煙に一帯は見えなくなった。


「この皇弟レオンへ向かい異を唱えるか!」


 もはや従う者のひとりも持たぬ皇弟陛下は、すでに失われた王権に胸を張る。


「将軍、お前も! スキルも!

 まだ――『兄上の死は自殺であった』などと、頑なに世迷い言をほざき続けるのかっ!」


 ……えっ? 俺は思わず息を飲んだ。スキルが伝える内容は、真実なのではないか。

 覇王は公の場で暗殺された――と、町の人は言っていた。それが自殺? どういう事だ?

 風が過ぎ、土煙がやむ。穴だらけになった薔薇庭園の中央、既に原型を留めぬ噴水の中央に、騎士爵は倒れ伏していた。半ば水に浸かったその身体より、震える腕が伸ばされる。


「なりません、レオン卿……その、『遺産』を使っては……」


 籠手に包まれたままの腕は力なく落ち、小さな水しぶきが跳ねた。

 動かない騎士爵を見下ろし。もはや諌止する者のひとりもいなくなった皇弟は、高らかに笑う。


「ははは……ははははは! このおれに小賢しくも意見するからこうなるのだ!

 ――さぁて。ケスパー・ハタラー?」


 愚弟の愉悦に満ちた笑みがこちらを向く。


「歴史とは! 勝者が紡ぎ、伝え、そして後世に残すものだ! 他ならぬ歴史こそが、そう教えてくれている!」


 突然はじまった歴史講釈だが、その主張に異論はない。歴史の語り手は常に勝者だ。


「……すなわち! 兄上はこのおれに皇位を譲る為、『ご勇退』なされたのだ! だから兄上の死は暗殺でも自殺でもない!

 『遺産』を簒奪した臣下を倒し、兄上の『遺産』を奪還したおれこそが歴史の勝者だ!

 たった今この瞬間より、この俺の語る言葉こそが歴史となるのだ!」


 愚弟の言っている事はその名に恥じぬ愚かしさではあったが――まあ、強引な力業で、他の全員の口を閉ざす事ができるなら、愚弟の主張が唯一の正史ともなり得るのだろう。

 そして愚弟は、失われた統一帝国の復活が成れば、そんな無茶さえ通せると言っている。


「……あんたにゃ、無理だ」


 気づけばそんな言葉が口をついて出ていた。

俺が喋る事など想定していなかったのか。目を丸くしたレオンは、高らかに笑い始める。


「『無理』⁉ 隠して育てられ表も歩けぬ不義の子が、光差す王道の何を知るというのか!

 どうやら……口が過ぎたようだな?『隠し子』よ。

 黙して歴史の暗闇へ立ち去るなら。命ひとつくらい見逃してやってもよかったが――」


 石段の上で、魔道機馬が二度、三度と地面を蹴る。


「おれの前へその薄汚い姿を晒し、耳障りな言を吐いた時点で、もはや見過ごせぬ。

 兄の遺産の整理も弟の務め。

 お前が何者かは知らぬ。知るつもりもない。伝説を汚し、兄上の負の遺産となる可能性のあるものは……全て滅するのみ。

 さあ――歴史に名も留め得ぬほど、面影すら残らぬ肉片と化すがいい!」


 長口上を述べ終えると、機馬を一度棹立ちさせ、そうして人馬は石段を飛び降りた。


「――ハァッ‼」


 拍車を機馬の腹へ打ち、勇ましい掛け声とともに、まっすぐ俺めがけて走り出す。

 レオンの満面の笑みを乗せたまま、機馬は疾走にうつるかと思われたが――


(魔力が……喰われていく)


 総身に血流のごとく魔力を走らせていた甲冑が、みるみる輝きを失ってゆく。

 速度を上げてゆくはずが、魔動機馬の動きは徐々に鈍くなってゆく。

 『遺産』が装備者より吸い上げる魔力の枯渇だな、と俺が察したあたりで、機馬に跨ったままの甲冑の前面すべてが、唐突に消失した。


「……な……っ⁉」


 魔力枯渇の気怠げな驚声を漏らしながら、馬上よりごろりと転げ落ちる生身のレオン。

 突撃の勢いのまま地面を転げてゆくが、速度が落ちていた為か大した怪我もないらしい。

 一方。動力源たる魔力を失って、動きを止めるはずの機馬は――そのままゆっくりと走り続け、やがて俺の眼前で止まると、そのまま両前足の膝を突いた。

 まるで跪くような姿勢で停止した機馬は、毅然と頭を起こしたままで。その馬頭の両脇に地面を踏みしめる具足は、直立の姿勢で固まる全身甲冑のものである。

 甲冑前半分が消失したままの全身甲冑は、色鮮やかな中身を覗かせていた。深紅のビロード、緩衝材のようなクッションの敷き詰められた甲冑内部は、さながら吸血鬼の棺のようだが。翼もつ竜のごとき形状も相まって、まるで竜の胎を思わせる。

 俺は眼前へと差し出された、竜の形をした深紅の寝床を見つめた。

 その寝床は、俺の脳内にある会社の正面玄関と、ぴったりと重なる気がした。


《……すいません全く解らないんで人間にもわかる言葉で表現してもらっていいですか》


 いいところなのに自分の仕事を優先するナローデはとりあえず放っておいて。

俺はもう一度、地を這うレオンへと向き直る。


「小ナポレオン。あんたにゃ――社畜は、無理だ」


 無責任。倫理感欠如。他責的。自己中心的。協調性皆無。指導拒絶。

 現実の会社であれば、試用期間三ヶ月すら保たないであろう新卒(しんぺい)だ。


「何……? 『シャチク』……?」


 魔力枯渇のためかひどく緩慢に身体を起こすレオンは、聞き慣れぬ語に首を傾げる。

 俺は何も答えず、目の前の深紅の寝床へと身をゆだねた。

 虚空より甲冑の前面部分が現れ、甲冑の閉じる音と共に俺の視界を赤く塞ぐ。

 会社の玄関口の匂いがする。毎朝出勤する時のあの、義務感と倦怠感とやる気のない混ぜになったような気分が頭を支配してゆく。

 完全にクリアになった頭で、俺は目を見開いた。


《すいません波多良さんもっと常人が納得できる流れでイベント進めてくれませんか》


 ナローデの懇願を無視し。俺は全身を流れる魔力と、甲冑の動きを確かめてゆく。

血流のように鎧の表面を流れる魔力は、まるで竜の肉体がそうであると言わんばかりに、竜を模した全身甲冑を淀みなく動作させてゆく。背中の翼めいた骨組みもちゃんと動く。

 それでいて魔力の消費は、想像に反してごく緩やかだった。しかしすぐ眼前には、『遺産』に吸い尽くされたであろう魔力枯渇により、地を這うレオンの姿がある。

 機馬がふたたび前足を起こせば、見下ろす者と見下ろされる者とが完全に入れ替わる。


「なぜだ……! なぜそんな奴を選ぶ、マエストロジンガー(歌匠)……!」


 地面より手を伸ばし呼び掛ける名は、きっと『遺産』の正式な名前なのだろう。


「王の喪失も知らず。下野の苦衷も知らず。城中に安穏と育てられ。今頃になって現れた、『隠し子』。お前が『継承者』であるなどと――認められるはずもない!」


 地に伏し見上げるレオンの瞳がまた複雑な色に輝き、そうして唇は笑みを刻んだ。


「何だと……。そうか、そうだったのか! お前……、この世界の人間ではないな⁉」


 いきなり見抜かれたのは、スキル『告解』とやらの効果によるものか。

 視線を交わす俺とナローデに、少し離れた所から味方兵達が視線を注ぐ。

めまぐるしく不思議な色に明滅する瞳は、いったい何処まで情報を読み取っているのか。


「なるほど……異世界の神とやらに招かれ、この世界へと図々しくも割り込んできたか!

 させぬ、させぬぞ! この世界は我らがものだ、世の覇権はこのおれのものだ!

 そもそも! 『遺産』を巡りみな争い苦しみ続けてきたのに。他所から来た、苦しみも知らぬ小僧が、下らぬ理由で全て攫っていくなど――世のすべての人が許すはずがない!」


 『遺産』に固執して、みなに迷惑をかけ続けてきたのは結局お前ひとりだろうが。

 そう思ったが、多分コイツの中では世の戦乱すら『遺産』争奪戦に過ぎないのだろう。

 どうせ言うだけ無駄なので俺は口を噤んでおく事にした。

 それに――レオンと他者とのとんでもない乖離については、どうせすぐに知れるのだ。


「お前たちは……お前たちはそれでもいいというのか⁉」


 奪った仮初めの力をまた奪われ。そのうえ、魔力枯渇で自ら戦うすべすら失って。とうとう――自分以外の人間を引き合いに出してこちらを攻撃し始めたレオンは、頭を巡らせ、味方につけるべき人間を物色し始めた。えええ……周りもう敵兵しかいないんですが。


「……お前! そう、お前だ! 確か――準騎士、ハイゼンベルク……だったな⁉」


 眼を輝かせ指をさされたのは、味方兵の後方。つい今しがた駆けつけてきたと思しき、一人の冒険者だった。包帯ぐるぐる巻きの重傷姿で、おっとり刀でこの場へ駆けつけてきたらしきその人物は――他でもない、パイセンさんである。パイセンて偽名だったんだ。

 指名されたパイセンさんは、微妙に嫌そうな顔で、みなの前へと歩み出てくる。


「お前のことはよぉく知っているぞ……覇王軍の古参中の古参。兄上の旗揚げ以来、その覇業にずっと貢献していながら。全土統一を成し遂げ、世が平和になった途端、『その存在が王の軍勢に相応しくない』『平和に相応しくない』などと言われ、栄光を奪われ地位を追われた突撃隊長。捨て扶持に名誉準騎士の位だけ投げ与えられ、元の野に暮らす身へと戻った、使い捨てにされた哀れな手駒よ」


 眉ひとつ動かさない当人を見るに、どうやらそんな過去があったというのは本当らしい。

 準騎士ハイゼンベルクことパイセンさんは、モヒカンをがしがしと掻いた。


「……別に。俺ぁ元々、平和になったら軍は辞めるつもりだったんだ。ただ、陛下が――」

「フン! 笑止! それは言い訳というものだ! 命を賭し戦争の勝利に貢献しながら、平和になった途端に不要と放り捨てられ、腹が立たぬ者などいるはずがない! 

戦が終わったのを見計らって隠れ場所より這い出し、当然のような顔で戦勝の分け前を掠め取って行こうとする――こいつのような人間は、絶対に許せぬはずであろうがっ⁉」


 上体を起こすレオンがその指を突き出す先は、俺である。

 その指先を見つめながら、パイセンさんはしばし黙ったままでいた。

 静かな声で、語り出す。


「……俺ぁな。別に、評価されたくて、陛下の許で戦ったわけじゃねえんだ。

 元々、戦で村を焼かれ野良に放り出され、食うために仕方なく冒険者やってただけだ。 世の中が平和になって皆が幸せに暮らせるんなら、この命を懸ける理由にゃ十分だった。

 でも、生まれついてのこの悪党ヅラだ。『平和な世の中にお前は相応しくねえ』って言われちゃ――そりゃ仕方ねえ。前より少し平和になった、元の野良へ帰るだけのこったろ」


 嘘だろ。パイセンさん聖人かよ。

 驚きの眼差しを悪党面へ向けると、周囲の味方もみな驚愕の表情を向けていた。

 まあヒャッハーとか汚物は消毒だとか普段から喚いてそうな印象だしなあ。


「……オイ⁉ 何だてめえら、俺がまともな事言うのがそんなに意外かぁ⁉」


 ゴホッゴホッ、いやいや、と言葉を濁し一斉に顔をそむける味方?達。

 恐らく過去も、この見た目と中身のギャップで誤解され続けてきたのだろう。


「……ったく。で、だ――皇弟レオン」


 まるでよく見知った相手に呼び掛けるように、パイセンさんはその名を呼ぶ。


「おめーはそんな整ったツラをしてんのに――逆に、平和を乱そうってのか?」


 滅茶苦茶な外見論だが、ずっと外見で苦労してきた人の言葉はそれなりに重い。

 レオンは一瞬答えに詰まったが、すぐに昂然と胸を反らした。


「当然だ! 覇王の血統にはなすべき使命がある! 手に入れるべきものがあり、そして果たされるべき理想があるのだ! たとえ夢を奪われても、取り戻し戦い続けるのみ!」 


 自分が突っ走るその為には、道路上の民が何人轢き殺されても、必要な犠牲で片付ける。

 俺にはそう聞こえた。


「覇王の血統か……そうだな。なら、血筋に相応しい礼を尽くさなきゃいけねえな」


 自分と違うものを見る目で、パイセンさんは彼方の皇弟へ恭しく一礼をしてみせた。


「……パイセンさん……?」


 声に振り向き、どこか懐かしげな顔で、しばらく俺の纏う甲冑と魔導機馬を眺めてから。

 パイセンさんが目配せをすると、軍人冒険者を問わず、皆が一斉にある姿勢を取った。


「……貴様ら、それは……一体どういうつもりだっ⁉」


 武器を胸の前に捧げ持ち、切っ先を天へ向ける。整列する兵士達が綺麗に揃えたその姿勢を見て、激昂したレオンがついに立ち上がる。憤りに歪む瞳が、また幾度も輝く。

 皇弟のスキル【告解】はきっと、奴にとっての罪を際限なく、奴に伝え続けるのだろう。

 強すぎる感情はスキルを暴走させるのか。俺の頭の中にひとつの景色が流れ込んでくる。

 ――大都市。宮殿に向かう大通りを、礼服の男達に担がれたひとつの重厚な棺が、ゆっくりと進んでゆく。沿道には騎士の正装に身を包んだ騎士爵や、パイセンさんや、竜騎士や冒険者の皆が並び、そして胸の前に掲げた拳に握る武器は、天を指している。

 空を貫かんとする切っ先とは裏腹に、皆の瞳からはとめどなく涙が流れ落ちる。

それらはまるで。棺の中の人物を奪った神を――運命を、呪っているかのようだった。

 これはきっと覇王の葬儀の記憶だろう。棺の後ろを歩くのは、やつれたレオンだった。


「なんだ。つい先日見たばかりなのにもう忘れたか。これは――覇王を送る葬礼、だろ?」


 最上級の礼をもって弔われようとしている非礼に、現実に、皇弟の叫喚がむなしく響く。


「おい……レオン」


 受け入れられぬ現実を否定するしかない愚弟は、血走った眼を上げた。


「誰よりも速く戦場を駆け抜ける陛下の背中を、ただひたすらに追っかけて。何も考えず、おめーと走るのは……ほんとうに楽しかったぜ」


 まるで戦友のような気安さで、パイセンさんは贈る言葉を選んでゆく。


「だが。もう陛下はいねえ。なら……いつまでも兄貴の背中を追いかけていられねえだろ」

「違う、違う違う!兄上は『ご勇退』なされただけだ!おれがその代わりを務めるまでだ!」

「……物わかりの悪い奴だな。兄も、弟も。覇王さえも。何もかも要らなかったからこそ、――俺たちの帝国は壊れたんだ」

「ッ……きさま、何を言っている……?」

「それを陛下もわかっていたから。俺らだってうすうす勘付いていたから。だからこそ、将軍もこの俺も。最後の最後で――戦列より外され、遠ざけられていたんだよ」

「まて、何を言っている! それは一体何の話だ⁉」

「いずれにせよ。マエストロジンガー……『歌匠』がすべて、決めることだ。

 もう二度と現れねえと思っていたが。『歌匠』は――次の歌い手を選んじまった」


 パイセンさんは傍らに立つ、翼を広げた竜騎士を見やる。


「……いいさ。そんなにも亡霊が見たかったんなら――もう一度だけ見りゃあいい」


 背中を向けた皇弟に。そう、餞別の言葉を投げてから。


「おいケスパー、待たせたな! 皇弟にふさわしい、盛大な音曲で送り出してやれや――

 リクエストは――『葬送歌』だ!」


 がちん、と皆が胸の前の拳を、胸甲へ叩きつける音と共に。


「――イエス。マイスター」


 俺は最後の疾走を開始した。

 甲冑から機馬をつたい赤く脈動していた魔力が全解放され、機馬はほんの数歩でトップスピードに到達する。

 レオンの絶望の表情が眼前に迫るさなか、聞こえてきたのは――まるで音楽であった。

 地を蹴る鋼鉄の足は重低音のドラムを叩き。得物を持ち上げる甲冑のかん高い駆動音は、さながらヴァイオリンの独奏。そのソロパートが勇ましく歌い上げる中を、馬上槍の先端にともる光が溢れ。まるで戦いの開始を告げるトランペットを思わせる音と共に、幾つも光弾が放たれる。管楽器の支える主旋律が、曲の描く景色を聴く者の脳裏に焼き付け――


「これが……歌匠(マエストロジンガー)……」


 ――そうして、短い即興曲は終わりを迎えようとしていた。


「ばかな……おれが。このおれが、こんな小僧ごときにぃッ‼」


 身を貫く無数の光弾に、四肢を消し飛ばされながらも、レオンは吠えた。

 吹き飛び宙を舞うレオンの身体をまっすぐに目掛け、甲冑を乗せた機馬は突撃してゆく。

 己に迫りくる人馬を認め、憎々しげに歪められたレオンの瞳が――ふと緩んだ。

 そのまま、懐かしそうな色を浮かべ、口許に安らかな笑みがこぼれたところで――

 ――あにうえ。

 光の奔流の中に、レオンの輪郭はかき消えた。


「……」


 血煙ひとつ残さぬ突撃を終え、機馬は壊れた噴水のそばにふたたび両前足を折る。

 機馬から降り、甲冑のまま見下ろす俺に、噴水塔にもたれる騎士爵が拳を掲げた。


「――よくやった」


 俺は何も言わず拳をぶつけ、うなずきだけを返す。

 ……わあっ。

 葬送の雰囲気が立ち去れば、みなは勝利に歓声を上げ、一斉に駆け寄ってくる。


《なんだ、心配してましたがちゃんと主人公できるじゃないですか波多良さん!》


「……」


 最後。レオンの唇は、迎えに来てくれたんですか、と言葉を紡いでいるように見えた。

 皇弟を野辺に送る葬送歌は、願ってやまなかった亡き兄の姿を見せてくれたのだろうか。


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