第十三畜 未だ見ぬ楽園を歌い上げし匠

「竜騎士。『遺産』。マエストロジンガー。……ナロンベルクの町では、色々ありましたね」


 王都への道を歩きながら。俺は並んで歩くナローデへ語りかけ、あの町で出会った忘れ難きものをひとつひとつ思い起こしていた。追放された現実を忘れたいからとも言う。


「……」


 そんな俺を見て、ナローデの横顔は何か言いたげな沈黙を湛えている。


「――波多良さん。年末に、クラシックとか聞かないんですか?」


 街道を歩く人影は俺達二人きりではあるが、いきなり予想外な質問を投げてきた。


「はい? 何ですか唐突に」


 クラシックで年末といえば第九ですか、と訊ねるとナローデは首を振る。

 では忠臣蔵ですか、と訊ねると、それクラシックじゃねえだろと突っ込みが返ってきた。


「年末にコンサートとか行った事ないですか……?」


 なんか高尚というか上品というか、本当にミッション系育ちみたいな生活スタイルだな。


「はっはっは。社畜は毎日が年末で毎日がコンサートですよ」


 デスマーチという名の交響曲のなァ。

 真面目に答えない俺へナローデがそっと拳を握り、デスマーチ(物理)をもたらそうとする気配を敏感に察したため、俺は先回りして答えることにする。

 クラシックみたいなものなんて、これまでの文脈で出てきたのは一か所だけだ。


「ああ――『遺産』の奏でる音色、のお話ですかね。あのデスマーチみたいな曲が何か?」


 人を一人完全に消滅させる攻撃が織りなす死の音色だ。デスマーチみたいなもんだ。


「あの調べに……聞き覚えはないですか?」


 さっきから変な事ばかり訊いてくるナローデさんである。クラシックに造詣深いんかな。


「……会社以外で、ですか?」


 もういいです、と呟くと、ナローデは何やら、メロディーのようなものを口ずさんだ。

 よく聞けばそれは、『遺産』の奏でた音色を音楽として簡略化したもののようだった。

 主旋律単独で、特徴を強調し、唇より奏でられるフレーズは……確かに聞き覚えがある。


「あれ聞き覚えあるな、なんだったっけ……そう確か、子供の頃聞いた、ハムのCM……」


 返答に、呆れたように苦笑するナローデ。


「おじさんは皆。そう言いますねー」

「うっさい」


 あっはっはと気の抜けたように笑う金髪美女は俺より四歳くらい年上の外見だが。実年齢の方だと逆に、けっこう年下なんだろうか。


「……『ニュルンベルクのマイスタージンガー』って。聞いた事、ありません?」

「あぁー。それがその曲なんですか」


 クラシックには疎いが流石に有名どころ、曲名くらいは耳にした覚えがある。

 ただ、聞いた事あるフレーズと曲名とが結びつかないだけである。クラシックあるある。


「ナロンベルクのマエストロジンガー。……なるほど、符合しますね」


 作家先生はそれが伝えたかったのか、と顔を伺うと、ナローデは急に口笛を吹き始めた。

 フレーズはさっきと同じ、ニュルンベルクのマイスタージンガーである。

 しかし。同じ曲なのに。口笛で奏でられた途端、別の記憶が呼び覚まされてくる。

 この口笛……別の、比較的近い記憶で、聞き覚えがあるような……?


「ああ! ブギーポッ〇! ブギー〇ップのやつだ!」


 俺はついに思い出した。懐かしいなあブ〇ーポップ。ラノベ。学生の頃読んだなあ。

 ブギ〇ポップとは言わずと知れた近代ラノベの(以下略)。同世代は大体履修していた。

 口笛はアニメ版のCMでさんざん流れていたため、記憶に引っかかっていたのだった。

 ずいぶん練習したような上手な口笛を吹き終えると、ナローデは片頬を歪め笑った。


「……僕は自動的なんだよ」

「ブ〇ーポップ! 俺が一番美しい時に殺してくれー!」

「今の波多良さんは一番醜いですね」


 ぐはっ、とのけぞって見せるとナローデはくすくすと笑った。


「――」


 そのまま沈黙が落ちる。

 横目で窺う金髪美女の顔は、冗談を言った直後と思えないほどに平静だ。

 なんか訊いて欲しそうにしてるな、と感じたのでこちらから振ってみることにした。


「ナローデさんも〇ギーポップとか読んでたんですね。まあラノベ作家だし当然かー」

「……そういうつもりで読んでたわけじゃなかったんですけどね。波多良さんはやっぱり、学生時代に?」

「そうですね。やっぱ、学生が輝く作品を読むのは学生時代の醍醐味じゃないっすか?」


 人それを中二病と呼ぶ。(現実逃避とも言う)


「あー……ナローデさんも学生の頃に読んでたんですか?」


 柔らかい笑みにほんの少し、自嘲めいた苦みが混ざる。


「ええ。教室の片隅で。一番美しい時に殺しに来てくれる死神を、ずっと待っていました」

「、へえ……」


 まさかのガチトーン。ガチ返答である。どうにも答えづれえ。

 ここで俺が「ナローデさんボッチだったんですか」とか無神経な質問をしてぶっ飛ばされれば、まあ元の、何事も無かった空気には戻るだろう。

 でも何かを訊いて欲しそうな相手を流してしまうのは、やっぱり不誠実な気がした。


「あーやっぱり、その頃からラノベ作家になろうと考えてたんですか?」

「いいえ。その頃は、今このように自分の手で稼いで生きる事なんてまったく考えない……そんな日々を送っていましたから」


 けっ。うらやましい事で。金持ちのお嬢様かよ。やっぱりミッション系卒じゃないか。

 ……あれ? でも今この人、「死神をずっと待ってた」とか言わなかったか?


「え……それなのに何で、殺して欲しかったんですか? ――中二病?」


 常に一言多いのが俺の悪い癖だ。

 最初の質問でナローデの顔よりうわべの表情が剥がれ落ち、そして――二つ目の質問で、貼り付いたような満面の笑みが刻まれた。全身から放出される殺気がとても怖い。


「ええそうです。きっと中二病だったので、死に対して美しい幻影を抱いていたんですね」


 こんな風にねぇ!とエプロンドレスのポッケから取り出したワイヤーでいきなり俺の首をギリギリと締め上げるナローデ。ぐえぇ。ギブ。ギブ。

 俺の渾身のタップが届いたのか、ナローデは溜息をつくと、得物をポッケにしまった。


「もう、まったく。……波多良さんてホント、ふざけてばっかりですね」


 呆れたように呟いて背を向けるナローデの顔は見えないが、……どこか、怒っているような気がした。

 間合いを明示したのに、踏み込まない俺を、責めている気がした。武術家かな。


「……べつに。そういうつもりじゃ、なかったんですよ」


 背中が語るその言葉は、どこか言い訳めいて聞こえる。


「ただ――どこかへ連れていってくれるなら。どこかへ行けるなら……何でも良かったんです」


 表情は分からないが、その声音は真実を語っているように聞こえた。

 まあ。どこかへ行って誰かになってしまいたいとか、中高生にありがちな感傷ではある。

それで異世界転生ラノベ作家になったのか。それでこうして、異世界転生密着取材執筆生活を送っているのか。

 じゃあ異世界に転生できてよかったね。

 ……で、話は終わりではないんだろう。

 俺はナローデが、どうして生活の心配もしなくていいような立場から、自分で稼いで暮らす立場へと変わったのか。その理由を知らない。

 それに。ナローデ自身も、教室の片隅でラノベ読んでる頃とは、随分と変わったはずだ。

 だが。――きっと今も、囚われているのだろう。

 俺の魂がつねに会社と共に在るように。ナローデの心もまたどこかで、遠い記憶の中、居心地の悪そうな教室の隅っこに……きっと留まり続けているんだろう。

 クラシックを聴くような、年末に固いコンサートへ行くような、そんな上品な生活。

 今の話を俺にしたのは――戦場の絶唱を耳にし、遠い記憶を呼び覚まされたからか。

 または古ぼけた記憶の風景に今なお留まり続ける、自身の心の一部を自覚したからか。

 それとも、クラシックというモチーフにも気づかず能天気に主人公を続けている、俺にお気楽過ぎると苛立ったからか。

 深窓に育つお嬢様の感傷の理由なんて、社会の窓を開く社畜に察し得るはずもない。

 だから俺には何も言えなかった。


「……」

「……」


 しばらく、お互いの沈黙を経て。

 前を進むナローデは何かを区切るように、ぱん、と両手を打ち合わせた。


「さて! それじゃ――わたくしはこのへんで。一度、しばらく現世へ戻る事としますね」


 唐突な離脱宣言である。そういえばナローデは神様の力で現世へ自由に戻れるんだった。

 背を向けるままのナローデの表情は伺い知れない。


「え……戻っちゃっていいんすか。この先しばらくの展開とか見届けなくていいんすか?」


 作家が主人公から目ぇ離して物語書けんのかよ、という基本的な疑問をぶつけてみるが、ナローデはこともなげに答えてみせる。


「ここまでで大体十万字……四百字詰原稿用紙換算枚数で250枚といったところですか。まあ薄い新書で一冊分、一巻分って感じですね。だから抜けるといってもそんな長期にはなりませんよ。そうですね……三ヶ月と言いたいですが、まぁ三週間で戻ってきますよ」


 現世に戻りここまでの物語を原稿に仕上げる為、それくらい過去へと戻るらしい。


「わたくしが抜けていた期間の出来事は……まぁ、波多良さんから聞くとしましょう」


 振り返ったナローデの表情はいつも通りだった。す、と目線を横へ流す。


「――それに……」


 視線の先には道脇から出てきたのか、立ちはだかり下品に笑う悪党面の悪党達がいる。


「へっへっへ!坊主。こっから先は通行税を払って貰おうか!おっ、上玉を連れてんじゃ」


 無数の光弾が炸裂し悪党達は全て道脇へと片付けられた。(道も少し平らになった)


「――うわあホント。こうして見ると、パイセンさんって悪党そっくりだったんだなあ」

「賊退治して出る感想がそれですか。まあともかく。この通り、波多良さんの首都への道中は、何も問題なんて起きそうにないですし……」


 ナローデは道の先、未だ見えぬ首都へと目を眇めてから、振り返り、遠くなったナロンベルクの街影を見やる。


「それに……どうせ首都についても、しばらくは――同じ事の繰り返しでしょうしね」

「同じ事? 何すか?」

「迎え入れられて、追い出される。――その繰り返しですよ」

「……あー」


 脳裏に寝不足のキレやすい群衆の姿が浮かぶ。ナローデの言いたい事は多分こうだろう。


 亡き覇王の元側近からの紹介状というめんどくさいものを持ってきた遠縁の若造をとりあえず、首都の軍の末端、例えば下町の警備隊あたりに厄介払いとして所属させる → その地区だけ竜眼の光量がめちゃ上がる → 睡眠不足になった下町民がみんなキレて警備隊にねじ込んできて俺は追い出され別の部署に配置換えとなる → 以下リピート(なんか大きい地区とか首都全体を担当する部署に就いて光量の上昇が落ち着くまで)


 さらに言えば俺は自分の聖人認定申請という火種にしかなりそうにない申請書まで持たされている。どう考えても迫害されながら首都のあちこちをたらい回しにされそうだ。

 ……もう帰っていい?


「波多良さんが現世(翌日)に帰れるのは主人公の一生を終えた後ですし。それにこの世界においても、そもそも何処へ帰るって言うんです? 今、町を追い出されましたよね?」


 どうやら道は前にしかないようだった。へっ、涙で道が見えなくて気づかなかったぜ。


「いい歳した大人が泣かないで下さいよ……。なるべく早く帰ってきますから、ね?」


 勘違いしたナローデがよしよしと頭を撫でてくる。別に孤独が心細いわけじゃねえよ。

 ――さて。そうと決まれば。


「え……っ? ――あの、波多良さん? なんでいきなり、私を抱きかかえようとしてるんですか? しかもこれ……お姫様抱っこですよねえ……?」


 なぜか固まるナローデを、淡々と抱き上げながら俺は答える。いやホント軽いなあ。


「いやそりゃ当然でしょう。だってナローデさん、これから現世に帰るんでしょ? 精神が居なくなったら、肉体は抜け殻と化すわけじゃないですか。だから俺が運ばなグフォッ」


 抱きかかえた細い膝が電光のように跳ね上がると、体重の軽さをまるで感じさせぬ破壊力とともに俺の下アゴへめりこんだ。よろける俺。飛び離れ、綺麗に着地するナローデ。


「……、それなら別にお姫様抱っこじゃなくてもいいじゃないですか……」


 人様の配慮を踏みにじり、きわめて理不尽な暴力を振るった暴力女であったが。しかしその顔が真っ赤なせいで、まるでこちらがセクハラを決めたかのようである。


「いや普通にセクハラですよ波多良さん……」


 そういう時は普通におんぶしましょうよ、と俺の後方に回り込み、首に両腕を回してくる暴力女。ああこれフィクションで見た事あるやつだ。首の骨折るやつだ。


「違いますよ! ホラ、いいから! 早く!」


 いやなんでおんぶされるのには積極的なんだよ。おんぶしようにも女性の膝裏を触るのは果たしてセクハラに該当するのか。躊躇する俺に業を煮やしてか、ナローデは人の背中に飛びつき全体重を預けてきた。背中で柔らかい何かがつぶれる感触がするが、しかし俺は、自身の首に廻された両腕に今にも殺気が灯らないかどうかの方が気になってそれどころではなかった。


「――あはは! あはははははは!」


 胴にまで両足を巻きつけ、がっくんがっくんと人を揺らしながら、なぜかナローデは笑っている。顔は見えないがやたら楽しそうだ。なんだなんだ。一体なんなんだ急に。


「ちょっ、やめっ、揺らすなあ!」


 俺は馬じゃない、と主張すると背中の騎手はさらに爆笑し身体を振った。

 やけに楽しそうだが。お姫様抱っこがNGで、おんぶがOKである基準がわからない。


「――そんなの決まってます。女性から見て、楽しいかどうかですよ?」


 そんな理不尽な基準があってたまるか。というかこんな子供っぽい一面もあったのか。

 背で笑い続けるナローデが若干怖くなってきて、もういいから離れろ、と振り落とすべくぐるぐる回転すると、きゃー、と楽しげな声を上げながらやつは人の首へしがみついた。やたらいい匂いがする。そして横になびく黄金の髪が視界を覆い何も見えない。


「――はあ、はあ……」


 息切れした俺が回転をやめると、ナローデは人の肩に顔を埋めまだ笑っていた。というかそのロングヘアに俺の顔も半分がた埋まっているんだが。金色しか見えない。

「……もういいから。遊んでないで、とっとと現世へ戻って下さいよナローデさん?

 作家の仕事については詳しくないけど。執筆とか調整とか、いろいろやること、山積みなんでしょう?」

 俺の首に両腕を回したまま、んー、と考えるそぶりのナローデ。暑苦しい髪をどけろ。


「そうですねえ。正直、やる事いっぱいありますけど……でもまずは。作家仲間たちと、飲みに行きますかねえ?」

「仕事しろやぁ……」

「えっ。同業者との情報共有ってこの業界、すっごく大事なんですよ?」


 本当かなぁ、と疑念を表明する俺に実に楽しげな笑いを返すと、ひとつ大きく深呼吸し、そうしてナローデは神に願った。


「――神様! これから波多良さんの物語の、第一章を書いてきますから! 三週間前の現実世界へ、戻して下さい!」

『……わかりました』


 笑いを含んだその叫びが空へ消えると、まるで意識を失ったかのように、ふたたびナローデの頭が俺の肩に落ちてきた。力が抜けた身体は眠っているらしく、寝息も安らかだ。

 現実へ戻ったナローデはきっと今ごろ、飲み会の予約とかしてんだろうな。

 やれやれ、と肩をすくめかけるが、そうするとナローデの頭が肩から落ちるのでやめる。

 見据える道の先、王都はまだ見えてこない。軽い荷を背負い直し再度歩き出した俺の首元を、いま一度、女の細腕がきつく締め上げる。


「ぐえっ――あれ? まだ戻ってなかったんですか、ナローデさん?」


 返答はなかった。

 肩に埋められた顔からは、豊かな金髪の奥より嗚咽の声らしきものが響いてきて、正直ちょっと怖い。

 俺の背へ面を伏せ、後ろから強く抱き締めるまま、その人物は答えた。


「わたしの名前は二コラです、若様……。いえ――若様はもう、いないのですね……」


 しゅくしゅくと泣き続ける女の涙に、俺の肩はあたたかく濡れてゆく。


「……え? ……二コラ?」


 誰――?

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