第四畜 てめこのクソ策略いつわりの高収入なろう系女子(チュートリアルバトル)

 白昼夢(悪夢)より目覚めると、そこは前と変わらぬテラスの一席だった。

 同じく目覚めただろうナローデも様子に変化はなく、平然と黒ビールを啜っている。


「――」


 とりあえず何か予防線張ろうと口を開いたところで、店員の兄ちゃんが話しかけてくる。

 兄ちゃんが異国語で言葉少なに語るところによると、どうもこの酒場は朝で閉め、昼からはカフェとして別の人間が営業するらしい。へえ。そんな業態なのか。

 なので居続けても別にいいが一度閉めるので酒代を清算してほしいとのこと。

 あぁハイハイ、もう出ますよ。まだ十分に休んでないけどなァァ……と恨めしい気持ちでポケットを探るが、みすぼらしい服装に違わず、ポケットから小銭の一枚も出てこない。


(あ)


 つい真顔で見つめ合ったナローデが、ニヤァ……と笑みを浮かべるのがわかった。


(――はめられた‼)


 野郎エスコートとか洒落たこと抜かしてごく自然にこの俺を無銭飲食へと誘っ(以下略)。

 これで前科一犯か。さめざめと顔を覆う俺を見て、ナローデと店員が視線を交わす。

 金髪美女が困ったように微笑みちょっと首を傾げると、店員はゆっくりとこちらを見た。

 今のやりとりで、美女をナンパした俺が酒奢ったが金持ってない、て雰囲気になった。

 兄ちゃんは黙って広場の向こうへ目をやり、その辺にたむろしてた制服達が寄ってくる。

 今のやりとりで、広場内で連れの女に悲鳴をあげさせた男へ声がけする好機が生まれた。


(やばいやばいやばい――)


 状況は加速度的に悪い方向へ向かっている。立ち上がりかけた刹那、足の甲を踏まれる。

 注文品に手をつけた上で支払いは相手、という雰囲気を作れば勝利条件達成だったのか。

 先程までとは正反対の落ち着いた挙措で、ナローデはまるで離席を惜しむように黒ビールをのんびり味わっている。テーブル下で人の足を踏みつけ逃亡を阻止しながらだ……ッ!


「あれどうしたんですか波多良さん? 休みたいんですよね? せっかくだからゆっくりしていきましょう。お酒美味しいですよ?」

「てめこのクソ策略いつわりの高収入なろう系女子……!」


 ナローデ女史との時間は貴重すぎて逃亡のタイミングを逸して俺はもう言葉にならない。


『令和の金字塔樹立をめざし、どうか二人で仲良くやってくれ……と言いたいところだが。

 どうやら――異世界転生後初の、危難が迫っているようだぞ?』


 ちょっと面白がるような口調の神様に、さっき見事と言ったのはこれか、と思い当たる。

 巻き込まれ型導入、ってこれかよ。はめられ型導入に言い直せ。

 最初の悲鳴からずっと張り続けていたのか、揃いの制服の男達が囲むように寄ってくる。この町の警吏が駆けつけてきたらしい。いや警吏というか、うん。あれはもう捕吏だな。とりま二、三発殴りつけて捕える気満々だ。もう得物抜いてるし。言い逃れとか無理かも。

 鉄帽を被った捕吏たちは俺と金髪美女ナローデとを見比べると、まずはナローデへ落ち着かせるような穏やかな表情を向け下がっていろと手真似をし、そして、俺へは犯罪者に向けるような表情をつくると手に手に警棒を構え取り囲んだ。美人は得だなあ。

 ナローデはそのまま無関係な被害者を装う事にしたらしい。おい。誰の悲鳴のせいだよ。

 ひときわ派手な鉄帽を被った年長者が代表して話しかけてくるが、イッヒニッヒとドイツ語っぽいのに、不思議と何を言われているのかがわかる。


「おい貴様。先程、そこのご婦人へ何をした? そして今、腹に入れた酒の飲み代はどうする気だ? ……三つ数える間に身分証明を出せ」


 差し出された手は身分証を出せという意味か、もう片手は油断なく警棒を握っている。

 あ、出します出します――とあたふたしてる間に時間切れで一発殴られる。そういえばさっきのイッヒやニッヒは1、2って意味だった。もうカウントされていたのであった。さらに振り上げられる警棒を待って待ってと両手で制し、俺は虚空に向かって目を見開く。


「持ち物リストオープン!」


だしぬけに大声を放った俺に、周囲の数名がさらに警棒を振り下ろしかけた。


『神の子よ。別に大声を出さずとも、心中で唱えれば異世界ウィンドウは開きますよ』

(設定説明に原稿用紙十枚もかけたんならシステム周辺くらい先に解説しといて下さいよ……おっ、開いた開いた)


 宙に浮く薄型モニタのごとき、俺にしか見えない画面表示があらわれる。




 平民の服:E

 マフラータオル:E

 謎の手紙:2




 新作ゲームをプレイする時も、美麗なムービーやキャラクターや世界観ではなく、むしろシステムやGUIに触れた時一番テンションが上がるタイプのめんどくさいゲーマー、それが俺である。多少ウキウキしながら持ち物を改める。


(Eは装備してるって意味かな。マフラータオルって何だろ……ああ、この首に巻いてるマフラーっぽい着こなしのタオルのことか。身分証らしきもの――っていうと、この謎の手紙くらいしか持ってないな。……とりあえずこれ出すか)


 手の上に実体化させ相手へ渡しかけたところで――やっぱりやめて、手紙を読む。


(いや、自分でも内容知らない手紙をいきなり人に見せるっつうのも失礼な話だよな)


 軽く読み流すつもりで目を走らせると、いきなりとんでもない一文が飛び込んできた。




【――もしも騎士爵様の手に余るならば、殺して頂いても一向に構いません――】




「はぁ⁉ 何この手紙‼……あ。ちょっ、待っ」


 まだ読んでいる途中で、目の前の捕吏に手紙をかっさらわれる。


「――ち、違うんすよ! それ違うんすよ! 何かの誤解なんすよ!」


 ぶっそうな文面をよく確認すべきだったその手紙を、取り返さんと掴みかかる俺は、背後の男より羽交い絞めにされ取り押さえられた。説得力のない弁解を繰り返すしかない。


(やべえ――よくわからんが――よくわからんまま殺られる――)


 手紙を読み終えたらしい男は。眉を寄せ、首を傾げ、そのまままじまじとこちらを見た。おかしいと感じたか他の男達も手紙を覗き込み、そして、まったく同じ反応を繰り返す。

 しかし取り押さえられ命の危機を感じる俺はそれどころではなかった。


「ステータス画面オープン!」

『いや神の子よ、だから叫ばなくても開きますと先程説明を』

(人の心ないんですか神様これはピンチだから叫んでるんですよ!)


 苦し紛れに無意味に、俺にしか見えないステータス表示を開いたわけではなかった。


(こ、こ、こいつら全員ぶっ殺せる能力! スキル! 殺戮技!)

《思考が物騒ですよ? いついかなる時も、物語の主人公らしい言動を心がけて下さい?》

(一体誰が冤罪ぶちまけた為にその主人公様が窮地に陥ってると思ってんだ被害者面!)


 ステータス画面には次の一文のみ記されていた。




 ???・??? ??才 謎めいた少年 能力 ? スキル ?




(意味ねええええ! ステータス画面として機能してねええええ! 何も役立たねえ! ああなるほど、そうか……実際、情報や能力を確かめるまで表示されないタイプか……)


 確かにそういうタイプのゲームあったわ。謎解き系のADVが多かったけど。

 わめく俺を黙らせる為か、押さえつけられたまま後頭部へ一発くらう。意識が遠のく。


《ああ。伝え忘れてましたが。別にここで捕まっても問題ないですよ? これ負けイ……》


 ナローデの声が次第に遠ざかってゆく最中、突如大事な事に気付いた俺は目を見開いた。


「……そうか! チュートリアルパートだな! これ!」


 殴られて急に元気のいい声を放った俺を、捕吏たちは薄気味悪いものを見るような目で見ている。ナローデも同じような目で見ている。おい。


「つまり、ステータスを自力で確かめてみる機会ってことだろ! ようしそれなら!」


 これが巻き込まれ系導入イベントなら、システムのチュートリアルをも兼ねるはずだ。

 急に元気いっぱいになった俺に触れていたくなくなったか、腕を極めていた捕吏が体を離し力を緩めた。その隙に俺は拘束より抜け出し、一番(鉄帽の飾りが)偉そうな正面の男に、渾身の右ストレートを叩きこんだ。




 筋力 : ? → F




 判明したステータスに落胆する間もなく。力の籠もらないパンチを顔面に浴びた捕吏長らしき男は小揺るぎもせず、痛みより屈辱に怒り狂って殴り返してきた。もちろん警棒で。

 想定していたのとは逆、俺の方がド派手にぶっ飛び、人の輪を突き破って地面へ転がる。




 耐久力 : ? → F




 有難くも判明したステータスによると、俺は今の一撃でもう死にかけらしい。だがこのくらいの瀕死から立ち上がるのは慣れている。仕事の為に慣れている。俺はいつもの呪文をつぶやく。苦楽楽(クララ)が立った、苦楽楽が立った。脳内では空気の綺麗なアルプスを、自立の苦しみも知らぬ少女が走り回っている。俺は苦しみをこらえて立ち上がり、ふたたび仕事をする姿勢をとった。




 精神抵抗力 : ? → SSS★★★★★




 あ、星とかもあるんだ。つかこれカンストしてないか。警棒にて渾身の一撃をくらい吹っ飛び地面に転がったにも関わらず、流血しながら何事もなかったかのように立ち上がる俺を見て捕吏たちがひるんだ。ナローデに至ってはもはやゾンビを見る目である。おい。

 ともあれ、好機を見逃す俺ではない(仕事中に数秒だけ寝るタイミングとか)。俺は大地を蹴り、踵を返して走り出した。ところが走って逃げる奴など追い慣れているものか、捕吏たちは素早く追跡に移り、その俊足であっさり俺に追いつくとタックルで再び大地へ沈めた。




 敏捷力 : ? → F




 人様の腰へ後ろから実にいいタックルを決め、まだ16歳の骨格に嫌な音を立てさせて地面へ押さえつけた捕吏の体を押しのけるべく全身に力を籠めるが、まるで動かない。




 体力 : ? → F




 つくづくフィジカルが弱い、と首を傾げているとナローデから思念が送られてきた。


《……あ。その身体ですが、長年幽閉されていたって設定なんで。貧弱ですよ》


 設定とかあんのかよ。転生に合わせてたった今異世界に出現した体とかじゃないのかよ。


(そんなん今はじめて知ったわ!)




 知力 : ? → F




 ああ。無知なところが反映されて知力も最低に。もっとこうさあ、知性のひらめきとか機転とか、そういう部分も含めて能力評価してくれないのかよ。


《そもそもー、ろくに弁解もできずテンパって暴力や逃亡で問題解決しようとする人がー》


 うっさい。黙れ。バーカ。ブース。




 語彙力 : ? → F




「そんなステータスもあんの⁉」


 何に使うの⁉ 思わず声が出た。大人しくしろとぐいぐい頭を地面へ押し付けられる。痛い痛いめり込むめり込む。地底人になっちゃう。




 発想力 : ? → D




「まあまあ評価された⁉」


 どうでもいいステータス多くないかこのシステム。地面にめり込みながら俺は考えた。ともあれ、せっかく評価されたステータスである。社畜によって培われた精神抵抗力を除けば今のところ、自前で一番高いステータスでもある。考える知力はFだが、事態を打開する発想力はDだから、ひょっとしたら何か思いつくかもしれない。


《っ……。》




 精神抵抗力(ナローデ) : ? → F




「ええ⁉ 地味に傷ついてた⁉」


 あちらのステータスも判明するのかよ。それにしてもあんな、小学生レベルの悪口で傷つくとかメンタル豆腐かよナローデ先生。そんなんでよく作家やってこれたな。ネットで自作の感想とか読まない人なんだろうか。覚悟足りんからあまり売れなくなるんだよ……




 精神抵抗力(ナローデ) : F → F★




 ナローデの悪口耐性がちょっぴり上がった。戦いの中で成長するタイプかよ。いや今はそれどころじゃないんだよ。お前の悪口耐性の前にまず俺が地底耐性つけないといけない局面なんだよ。どうやったらつくんだよ地底耐性。そうだ、こういう時こそ発想力の出番。


(異世界。スキル。魔法……そうだ! ずっと幽閉されていた人物とか、秘めたるすさまじき魔力を持ってたりしそうだよなあ!)


 思いつきで全身より力を放出するイメージを膨らませる。押さえつけられてピンチという事もあってか、毛穴という毛穴から冷や汗を噴出させるつもりで力んだところ、全身から何か風のようなものが吹き荒れた。その風自体にはたいした威力もないように見えたが、のしかかっていた捕吏はまるで火に触ったかのような叫びを上げ、慌てて飛び離れる。

警棒を構え、他の捕吏達とともに遠巻きに囲み、互いに鋭く言い交している。


「魔力反応……!」「無形の風――暴走の前兆です!」「駐屯連隊に出動要請!」「急げっ!」


 何か勝手にクライマックスを迎えていて主人公感のある捕吏達である。あいつら主人公にしたら、と俺はナローデの方を見るが、ナローデも普通に俺に引いていた。おい。

 さっきの「無形(むぎょう)の風――」とかいう中二感あふれる単語が妙に気になった。切迫した雰囲気とありがちな異世界テンプレから察するにまあ、魔力に形を与えないまま垂れ流したりすると暴走を引き起こす……とか、多分そんな感じだろう。

 試しに、体から噴き出る風になにか形を与えようと念じてみる。

すると、耳を切る風音はばさばさばさばさという大量の紙音に変わった。


(――は?)


 集中のため閉じていた目を開けると、そこには俺の全身から手品のごとく発射され続ける大量の紙片、という光景があった。正直意味がわからない。試しに一枚手に取ってみると、さっき捕吏に取り上げられた手紙によく似ていた。それと全く同じものが、数百枚、いや数千枚、俺の全身至るところから飛び出し、周囲の捕吏達に直撃し続けている。


「うわあ!」「暴走傾向消失、しかし――警吏長⁉」「なんだこの大量の手紙は……!」


 戸惑う間にも真っ白な手紙に埋め尽くされてゆく捕吏達。逃げようとしては転んで、広がり続ける雪原のごとき手紙の雪崩に次々呑み込まれてゆく。あ。今ナローデが呑まれた。


《ちょっ何でわたくしまでそもそも何ですかこの手紙とりあえずそれ止め重い重い重い》


 俺の前に立ちはだかる敵(潜在的なものも含む)がすべて沈んだあたりで、ようやく広場に居た連中が異変に気付き、騒ぎ始めた。とはいえ、のん気に野次を送っているあたりからして「大道芸人が絡んできた警吏を手品でおちょくっている」くらいに考えているらしい。ばらまいている大量の手紙もどうやら、サーカス公演予定のビラまきくらいに考えているようだ。駆け寄って手紙を拾う笑顔の人々から、歓声と共にコインや紙幣が投げ返されてくる。おひねりかこれ。

 笑顔で手紙を開いた人々の表情が固まる。不思議そうな顔で首を傾げ、こちらを見る。


「……近頃の一座はこういう、謎めいた客引きをするのか。凝ってるなあ……」


 若者の一人が呟いた言葉に、人々は納得の表情となり、俺に声援を送り始める。


「とにかく公演楽しみにしてるぜ![隠し子]!」「予定書いてないけどこの広場で演るのか?[隠し子]!」「戦乱でサーカスなんて久しぶりだからなあ![隠し子]!」」


 なんか人々から変な名で呼ばれ始めた。その手紙一体何が書いてあるんだよ。

 誤解が一向に解けんなあ、と思っていると、手紙の海からようやく這い出した捕吏の一人が、笑顔の群衆へ鋭い声を放った。


「ばか者! これは手品じゃなく魔術だ! 『覇王の亡霊』の尖兵やも知れん、皆離れろ!」


 その言葉に人々は一瞬静まり返った後、大きな悲鳴を上げてんでばらばらに逃げ出した。逃げる人々がぶつかり合って転ぶ。串焼きの露店屋台が倒れる。自由を得た荷馬が喜びにいななき走り出す。そのまま冒険者ギルドと看板の下がった建物へ突っ込んで、悲鳴と物の壊れる音が連鎖する。


「……テンプレ通りの前科三犯。見事にコンプリート……」


 ナローデの言った通りになった。手紙を噴出しながら俺はうなだれる。

 というかさっきから疲労感が凄いが、精神的疲労だけとは思えない。おおかた、魔力の消耗というやつだろう。人々を驚嘆せしめるほどの魔力を放出してたりするのか、俺。




 魔力 : ? → F




「こんだけ大騒ぎさせといてステータス大したことないのかよ!」


 まあ、その魔力で出してるのがただの手紙だしなあ。大したことないか。

そういえばさっき、風を出して「暴走の前兆」とか言われたので手紙を出してみたけど、その時に比べるとやや消耗の速度が落ちた気がする。

 ステータス画面なんて便利なものを使わずとも、社畜歴の長い俺は自分の体調、残り体力や疲れ具合、倒れるまでの日数くらいならすぐわかる。

 なんとなく直感が閃いて「何かにまたがった方が疲れない」と妙な考えが頭をよぎる。ちょうどそばを走り抜けるロバがいたので飛びついてみる。噴出され続ける手紙にびびったロバはたたらを踏んで、肉体的に低能力に過ぎないはずの俺の騎乗を許した。

 跨ってみると確かに、一段階だけ消耗速度のギアが落ちた気がした。ロバは全方位に手紙をまき散らしながらふたたび走り出す。騎乗者としては鞍がないため実に乗りにくい。

 また直感が閃いて、「腹ばいになった方が疲れない」という思いつきに支配される。ロバの首に抱き着きながらその通りにしてみると、さらに消耗が減衰した気がした。


「――わはは! わはははははは!」


 急に俺が笑い始めたのは自棄になったからではなく、さらに直感が閃いたためである。なんか笑った方が消耗が抑えられるような気がした。確かにまあ、体が楽にはなった。

 とはいえ。大量の手紙をばら撒きつつ笑いながら広場をぐるぐる周回するロバに腹ばいで跨る男。傍から見れば完全な「事案」である。これはもう事案というほかない。

 その、混迷極まる広場へ。さきほど早々に姿を消した捕吏の一人より先導される形で、一騎の重装騎兵――重そうな鎧兜を身に着けた騎士の駆る鎧騎馬が姿を現した。

 その、深緑っぽいカラーリングの騎士の到着を認めた途端。今まで逃げ惑っていた民衆達は足を停め、救われた顔で歓声を上げ始める。


「リッター(騎士)!」「ドラグーン!」「あの家紋……大尉殿!」「フォン・ヴェセニヒ!」


 ぐるぐる回る視界にとりあえず事態を見守っていると、人々の歓声を紙吹雪に登場したその騎士は、まず周回する手紙散布マシンを見て呆然と足を停めた。まあそうだろうな。

 次に、ロバの首に抱き着き哄笑を続ける俺を見て――驚きののち、その瞳になぜかふと、懐かしげな色を浮かべた。おい。懐かしいてどんな反応だよ。こんな知り合い居たんかい。

 見知らぬ異世界騎士の交友関係に俺が戦慄していると、先導してきた捕吏に何か促され、騎士は我を取り戻すように表情を引き締めた。戦意のまなざしを標的へと据える。

 ガシャン。竜を模した兜、その面頬が顎のごとく下ろされ、口吻に殺気がみなぎる。

 さながら馬上槍の如く得物を腰だめに構えると、蹴馬一声、騎士は疾走を開始した。


(来るか――)


 とはいえ重装騎兵一騎の突撃で、この周回手紙散布マシンが止められるとは思えない。おおかた近づいた辺りで手紙踏んで足滑らせ、転倒落馬手紙埋没あたりがオチだろう。

 見れば、騎士の鎧も馬のまとう鎧もみな、竜の意匠をあしらったもので統一されている。

馬上に構え、穂先をこちらへ向ける得物もまた、のたうつ竜の金属彫刻が施されている。

さながら竜の疾走だな、かっこいいわあ、人々の歓声を受けるのもわかるわ、と呑気に見ていると、不意に得物の先へ光が灯った。


(……うん⁉)


 回る視界によく目を凝らせば。騎士の携えた得物はありがちな馬上槍ではなく、普通に銃だった。そしてラッパのごとく砲口がやたらとデカい。その大砲口へやどる光は、紛れもなく魔力の輝きを有しており、さらに言えば――


(銃に施された意匠もまた、竜……!)


 まっすぐこちらへ向けられたいつわりの竜の口より、炎の咆哮が放たれた。


「……竜騎士(ドラグーン)⁉」


 それはさっき確かに耳にした、中世末期における帯銃騎士の呼称であった。

いや遠隔攻撃してくんのかい、と慌てつつも魔力を集中する。おのれを呑み込まんとまっすぐ伸びてくる炎の竜巻へ、噴き出す手紙をすべて叩きつける。


「くっ――相性が、相性が悪い……!」


 炎と紙。当たり前である。しかし大量の手紙は視界を覆う白壁となり炎の竜巻の行く手を阻む。炎に抗せず燃え尽きるはしから新たな手紙が盾となり、竜巻の侵攻を食い止める。


「……ああだめだ! これただの燃料になってるわ!」


 炎の竜巻が物凄く巨大化している。尽きせぬ燃料を得たのだから当たり前である。

 俺はさらに集中し、なんかこう、炎の竜巻を包み込むような形に手紙を投射してみた。

 酸素を遮断して押し包めば火も消えるんじゃないかという目論見である。空中にデカい白繭ができた。だが手紙は紙なので高温に晒されるとやっぱり内側からでも燃える。穴の開いた箇所を新しい手紙で塞ぎ、無理やり鎮火を試みる。が――よく考えたらこれ、魔力で生み出された炎なのか。仮に酸素供給を絶っても燃え続けるわこれ。


「――ふんぬおおおおおぁ‼」


 俺は頭痛がするほど集中し、炎を鎮火させるべく強く願った。手紙が難燃性紙になった。


「――そういう事じゃねえんだよおおぁ‼」


 なんかもう何やってもダメそうなので、俺は叫びながらひたすらその難燃性紙の手紙で厚い壁を作り、炎の竜巻に正面からぶつけた。火が回り込んでこないようハーフパイプの形で維持し続ける。難燃性の紙といえど温度が高くなれば容赦なく燃える。焦げた紙がこまかく舞い散り、黒い霧を形作る。

 なんか耐熱実験の光景にしか見えない俺と騎士との魔力戦、その終幕は突然に訪れた。


「――お、っ……?」


 まるで照明のスイッチを切ったかのように、視界が一気に暗くなる。手紙の噴出が止む。ああ魔力が切れたのか、と考える間に眠気が襲ってきた。体を支える力さえ失い、ロバの背に沈み込む俺が最後の意識で感じたのは、全力を尽くしての敗北の爽快感と、そして、仕事中に倒れた時の職場の床と同じ感触――謎の懐かしさであった。




 魔力量 : ? → SSS★★★★★




***




「魔力切れで自滅……若様。どうにか、勝てましたな」


 後ろに控える老従士が神に感謝を捧げ、天を仰ぐ。

 私は逆に地面へ目を落とした。


「いや――私の負けだ」


 視線の先には、へたり込んだロバの背に眠る一人の不審者の姿がある。


「はい?……どう見ても、若様の」


 老従士の疑問を断ち切るように、風切り音とともに白い何かが飛来する。


「――わずかだが、相殺し切れなかった」


 ビィィィン、と音を立て、兜の面頬のスリットへ突き立ったそれは一枚の手紙である。思わずのけぞる老従士の悲鳴を聞きながら、私は瞳の数センチ先、停止した手紙の角を見つめる。燃えにくい不思議な紙だ。炎魔術で相殺し切れなかった一枚が、残留魔力で宙を舞い、こうして術者を直接狙ってきた。あともう少し早く相手がこの手を思いついていたならば、地に這っていたのは私の方だったかも知れない。

 老従士の不安を払拭するように、私は鷹揚に笑ってみせる。


「はっはっは――炎にわざわざ紙で抗い。あれだけ魔力の無駄遣いをして。さんざん手を迷わせた挙句、それでもなお相殺し切れなかったのだぞ? ――つくづく、あきれた奴だ」


 スリットに刺さる手紙を引き抜いて、私は宛名に記された名前に眉をひそめた。


「何? この手紙……。私宛て、だと?」


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