昇降機の麓 Vol.3

 “探偵”という職業は、いつの間にか様々な意味を包括する言葉としての変質を遂げた。2000年代初頭において、この名前は民間の様々な秘め事、事実関係を調査する一個人にすぎなかった。彼らは依頼を受けて、情報を集めに方々を走り回った。それは現実においても、電子の海でもそうだったのだ。


 しかしそれらは、時間という流れが社会と、人と、世代を押し流していくにつれて、少しずつ意味と実情を変えていくこととなる。


 激動の2000年代後半。かつての“探偵”という職業は、多発する奇妙な怪事件と、後手に回り続ける各国政府の対応の下で、ある時期を境に“自警団”あるいは“暴力装置”としての形を得ることになる。


 ダイダロスメディカルという企業が存在する。彼らは先進医療を包括した技術者集団であり、実際の治療から機材の開発、そして製造までを一手に担い、この数百年間の間で、国家、ひいては国連という最も巨大な人間の組織という概念を更新していた。


 彼らは支配者となったのだ。それらはYotta Corpと呼称され、同時に畏怖の対象となっている。その上、彼らは生活基盤そのものと化していた。


 一見接点のなさそうな二つの概念ではあるが、この世界においては、その二つの存在の関係性の変遷が深く影響していたのだ。


 あれから工場を後にして、人気一つ感じられない工業地帯を一人歩いて移動、最終的に街と企業有地との境すら超えて、コガは街へと戻ってきた。


 肉を纏った人間が群れている。上空には多様な広告塔が輝いており、それに重ねるようにして共通規格を通した配信広告も網膜へと写る。コガは何時も、網膜がここまで酷使されているのになぜ焼き切れないのか気になっていた。


 人の行きかうレーンに乗り、流れに逆らうことなく進み続けていく。同じ姿の人間は二人もいない。世界は規格化されたからこそ、何処か多様性を受け入れられるようになっていた。コガも、“皆同様に異なっている”平等な一人であった。


 探偵とダイダロスメディカル、その二つの存在を例えるのならば、それは太陽と月と評することができる。


 秩序と混沌が共存する時代の象徴と言っても過言ではないこの二つの存在は、それでいて規模感を大きく別としている。


 ダイダロスメディカルは個人に携行できる能力を大幅に拡充した。共通規格は、あらゆる人間に対して平等に力を与えるとともに、格差すらも拡大させた。それが平等だったからだ。


 やがて人間は多機能化、高性能化の道を辿っていく。そして、人間的機能にすらスペシャリストが現れることとなったのだ。


 探偵は当時、既に一定の市民権を得、そして職業としては変質を経ていた。そのため、彼らは分かりやすい力を必要としていた。犯罪が多様化の一途を辿っていて、企業、国家たちの対応は秘密主義が過ぎたからだ。彼らは警察機構に似た何かを常に暗闘させていたようだが、それは市民にとってわかりづらく、認めづらく、受け入れがたいものだった。


 企業と国家は、その頃正しい理解というものを求めていなかった。納得と沈黙を真に欲しており、受け取られ方に関しては特にこれといった要望がある訳でもなかった。


 それを好機と見た“探偵”は、そこに自分たちの存在意義を滑り込ませる。果たしてうまくいった。探偵という職業はたちまち企業という存在の齎す様々なインプラント、異能めいた技術力の結晶を、高純度で取り扱うことのできる特権的な民主集団へと躍進したのだ。


 企業たちは自らが直接動くということをやめるようになった。探偵を通せば、民間人を当事者へと仕立て上げることができる。それにインプラントを融通する形にすれば、かなり困難になったインシデントであろうとも、自分たちが直接介入することなく処理することが可能になったのだ。


 よって2090年代に南極戦争が終結して以後高まる一方であったダイダロスメディカルへの風当たりは、探偵を間に挟んだ緩衝政策によって鎮静化の流れを見せることになる。


 後に続く企業たちは、それがどれほど大きなものであっても、例外を除けばほとんどがダイダロスメディカルのやり方をまねるようになった。彼ら企業は接頭詞の名前を冠する序列を戴き、社会的立場という隠れ蓑を強く意識することになった。例えばE.Mechanic、シンノウは、Zetta Corpと呼ばれる区分を持つ。それはYotta三社に次ぐ規模を持った大企業であり、共通規格の優秀なサードパーティーとして名を馳せていた。


 結論として、彼らはもう自分から喧嘩をする元気を残していなかったのだ。


 企業間抑止力は、社会と探偵の中に息づいている。探偵が肉体の中に飼っている各社様々なインプラントは、誰かの何かを介して領土を争い続ける企業の在り方そのものであった。コガはその世界の輪郭を掴めてはいなかったものの、そのままこうして生きることに疑問を持っている。


 コガが何を考えていようとも、街はいつものように回っていた。


 共通規格の導く正確無比な経路を逆らうことなく辿っていく。最初は身なりの良い男、女、機械が辺りを埋めていた。規則正しく並べられたビル群が、それぞれの持ち主の存在を高らかに主張している。そのいずれも、コガに対して注意の欠片も払っていない。


 進むにつれて、少しずつあたりの人間の質というものが変わっていく。


 ビル群はその恐ろしいまでの高さで何処からでも見えそうなほどの威容を湛えていたが、やがて現れた行儀の悪くごてついた、道路まで盛り上げられた看板によって隠れ始めていた。


 身なりの良さというものが別の意味を持ち始めた。先ほど街に入った当初、彼らの持っていたステータスというのは、生地のきめ細やかさ、色のセンス、そして外面にどれだけ良い様に取り繕うインプラントを入れているかどうかだった。肌の解像度は天井知らずであり、金属炭素問わずきめ繊細な光沢を下地に抱えているものだった。


 だがここに来てみればどうだ。どうせ天から降り注ぐ人工光源は下卑た極彩色のライトに隠されてしまうのだからと、身にまとうものが分厚くごわついたものになってくる。


 戦闘用であることを隠さないロングコート集団だ。武装を物々しく抱え歩く探偵だ。腕が異様に肥大化していることを隠しもしない重度改造者だ。


 もちろん企業所属の人員も同様に行儀が悪くなっていく。あの大通りのビル群の光が陰っていたとしても、企業存在の監視の目は消えることがない。


 シンノウの“駆除職員”が瑞々しく血の通った全身炭素装甲に身を包み、脈動するふくらはぎをむき出しにしながら辺りをねめつけている。E.Mechanicの機械歩兵は、真っ黒な360度バイザーの中から全てを覗き込んでいる。ダイダロスメディカルのT-Forceが、旧世代の人間とそれほど変わらない姿で、この異界の如き混沌の中を我が物顔で歩いている。


 ここはアンダーグラウンドな世界だ。だが表の世界で花を咲かせ、幹を太く持ち、枝葉を広げる存在は、往々にして地下にすら巨大な根を広げているものなのだ。


 コガは心の中で、どこにでものさばる企業連中にどくづいた。特にE.Mechanicには、念入りにそうした。

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