先祖返り Vol.4

 この世界には、いくつかの暴力の形がある。


 Umplant。企業によって定義された身体改造区分のひとつである。


 “責任器官及び意思決定能力以外の全ての自立稼働能力を備えた、人体を外付けの頭脳として取り扱う”目的を問わない臓器であるため、旧日本語においては“独立戦闘臓器”と呼称される代物だ。


 性能は千差万別である。れっきとして戦闘機械と定義されるものもあれば、過酷な環境下(銃撃も含む)での厳しいオブジェクト遂行能力を重視したものも存在する。Umplantという区分は方式と“人類の持つ自由意志と定義される存在しない概念”の最期の砦であるがゆえに、あえてそこにはそれ以外の上下区分が設けられていない。


 果たして、企業統治下における極端な断絶社会の中において、これら独立戦闘臓器はいわゆる“理不尽”として認識されている。


 戦闘教義の改変に始まった大きな進歩。歩兵を戦車に変えるという程度の次元から始まった開発の歴史は、世界全ての主産業がインプラントという人体改造方針に舵を切った時点から、これまでに類を見ない速度でノウハウを蓄積していった。


 技術とは他の技術と不可分なものだったが、Implantはそれを誰にでもわかる形で可視化したのだ。


 公的には失伝したとされる伝説的な初期型Umplantから端を発した技術競争の種火は、いつしか戦車の代用から戦闘機、戦艦の代用として使用され始めた。


 操作体形をそろえることに四苦八苦していた時代から、遂に軍隊の操作体形を“身体”と合一するところまでに昇華させたのだ。ひとえに共通規格の柔軟性と、暴力的な資本の嵐による市場形成が為した偉業であった。


 ここにきて歩みを止める人類ではない。兵器として一定の結論を得たUmplantは、遂に代用品としての枠組みを超えて完全な新機軸としての立場を獲得し始める。


 つまるところ戦隊の代用である。船団、地上装甲戦力、航空戦力の“大きな単位”を一機と一人で担うことができるのだ。


 これらによって、軍隊の在り方が決定的に変わったのが丁度2100年代序盤程度の頃であった。その頃にはほとんどの国家が先の南極戦争によって崩壊の憂き目に直面しており、古臭い共同体からの脱退ムードも相まって一見“狂気”にも思える戦争形態の変質がある程度肯定的にとらえられるようになっていた。


 市民にとっても悪いことではない。集権的且つ制御可能な、貸与される究極兵器という形で、しかし責任を個人に集約することのできるUmplantは、大部分の無辜の存在にとって願ってもない救世主であった。


 兵役産業については、これらと共通規格によって制御される有機無人兵器によって完全に支配されることとなる。誰も命の危機を受け入れずに済む殺し合いが、2100年代中盤に遂に実現したのだ。


 やがてUmplantは最終的なエスカレートを辿り、“企業の化身”としての役割、アバターを背負うこととなる。企業の持つ最新鋭、同時に異端である技術を搭載し、単体で企業の意思を代行し、そして責任を負い、個体で完成しながらも強固に繋がれている、あまりにも都合のよい最終兵器。


 失伝した最初のUmplantは、最初であるのにも関わらず、特にこれら“究極兵器としての役割”すら担うことを目的として開発されていたとされる。様々な理由により葬られた彼らの存在ではあるが、E.MechanicがUmplant“Scanner“のロールアウトを発表したことは、当初の理想を技術が叶えた歴史的瞬間とも言えた。


 これが、統制された暴力と言われるUmplant、そして伴う企業の海にも勝る巨大な足跡の連なりだ。


 ところが大抵、こういった輝かしく輝く技術進歩の裏側には、何時でも陰が潜んでいる。


 最初のUmplantが何故誰の目からも存在を奪われ、南極戦争を境に大多数が凍土の下に埋まることになったか。


 共通規格と人間が良く出来過ぎていたこと──加えて、社会というのは気難しく、しばしば──“制御された暴力”に代表される“ありえない”仮定を要求することに原因があった。


 果たして、そういった矛盾の行きつく先、しわ寄せとしての、表裏一体の存在がこの世に生まれ落ちることとなる。


 Throwback。現状、社会から葬り去られて久しい病理そのもの。これらはかつて、Umplant研究に付随する形でダイダロスメディカルが“生み出して”しまい、企業として初めて大きな責任を取る羽目になった現象、そして人類のもう一つの成体である。


 人間の脳機能限界──あるいは共通規格のガイドラインを外れた挙動が、忘れていたはずの世界の見方を思い出させるのだ。



「振り返らない方が良い」


 ヤガミは言った。最早自らを追い込む死や災禍の正体を探る暇はない。彼は一目見た、あるいは見る前から“おかしい”ことには気づいていた。Umplantでもない存在が街そのものの機能にトドメを刺し、目的は不明瞭なままに知性を振るって戦い続けているのだ。


 舗装路が軋む。既に崩壊が崩壊を伝播させる中で、その力の行き先を再定義するかのような暴力性がツチイを苛む。そこに理由も意味も意義もなく、ただ結果と過程のみが爪痕を残す。


 言い聞かせられる前にササキは走り出していた。ヤガミはそれを遮ることもせず、脇の通路を微かに開けて、哀れな男と壁の隙間に自らを置く。怪物は怒りと怨みを伴ってこの場に現れたのにも関わらず、その様子を見て何もしないままに、ただ見送るように睨んでいた。左目はササキの方に、そして右目はヤガミの方に、それぞれ向けられ、焼き溶かすかのような視線を送っている。


 それだけだ。ヤガミは、金属に置換されたはずの背筋に、突如として冷たくも生温かな何かが、そういう感覚だけが、実感を伴うことなく走りぬけていくのを感じていた。それが場所を変えていく毎に、自分の過ごす時間が多少なりとも引き延ばされていく。


 ツチイが跳んだ。


 背後に飛び去って行く瓦礫。膨れ上がった肉塊はそれよりもはるかに素早い速度で前進を始める。幾つも堆積していた瓦礫が左右上下に吹き飛ばされて行き、微かに残っていた都市部の名残を遂に存在すら許さないほどの苛烈さで追い出していく。


 ヤガミはその怪物の肉皮の内側に、ブクブクと膨れ上がる筋肉と、それに押しつぶされ同時に形を変えていく骨を見る。経験則はそのままでは効力を持たないことは容易に予測できた。


 パイプを引っ掴み、それらを後ろへと押しやることでより早く前に進む。


 目の前を遮る死体を横に蹴り飛ばすことで、速度を殺さないままに障害を排除する。


 コンマ数秒の間、過たぬその繰り返し。めくるめく筋肉の脈動が血液を叩き、狂乱した体液が行き場を失い果てに表皮を波打たせ、幾つも生えた触手の根元から先端部まで例外なく膨張させていく。


 ヤガミの視界を覆い尽くすのは、自らに迫り来る肉塊と、そしてそれが四方八方にその身を押し広げ逃げ場を失くす様と、辺り一帯を覆う汽笛のような汗煙。


 身をひるがえす。強風に踊らされる木葉のようだ。事実、構図としても近い。


 当たれば死ぬことは間違いなかった。人は瓦礫よりも頑丈にできていないからだ。その瓦礫を軽く吹き飛ばし、砕き、ないものとして扱う怪物の動作をたった今目に入れたばかりだというのだから、ヤガミがそれに近接戦を挑んで無事でいられる理由と自信は薄まる一方であった。


 側転する形で脚部を持ち上げ、その身の左上、室外機の残りかすに足先を引っ掛ける。並行してバーニアが起動し、推力による姿勢制御と膝部トルクの合わせ技によって起き上がるように高度を上げてゆく。


 地を這う肉塊はひっくり返ったヤガミの頭部数センチにまで迫り来るも、掠った機械皮膜と埃のみを切っ先に残し、命ではなく空を切った。バーニアの熱と煙が触手をあぶり、さらなる不可逆的な変質をたんぱく質へともたらした。


 左目でやけこげた表皮を睨み。右目で曳光する探偵の脚先を視ながら、意志を伴わず前へと雪崩込んでいく自らの身体の手綱を取る。


 ひらりとそのまま、探偵は路地を縦に抜けて空へ空へと昇っていった。


 頂点、この上なく世界の天井へと近づき、振り返ると同時、引き金が容赦なく引かれ、外しようもない弾丸が幾つも吐き出される。高熱で煙り路地を埋める汗を引き裂いて、消耗品の鋼の刃が肉めがけ飛んでいく。狭い大地に縫い付けられたツチイにとって、それは避けようもない。同時に、避ける必要すらないとも言えた。


 いくつもある触手のうち、派手に蠢いていた最外周の数本が中ごろより切断され、蠢動に費やされていたエネルギーが行き場を失いゆるやかに回転を始める。そのまま虚しくくるくると跳ね上がっていき、やがて落下し始めた。


 ツチイに痛覚がないわけではない。ただ、膨れ上がり続ける自らの脳容量と思考力、五感をはるかに超える素晴らしい感覚器官の際限のない形成によって、そのような簡易的かつ精度の低いフィードバックの影響量は、かつて人間であったころと比べものにならないほど微かなものとなっている。


 同時に彼女は、後天的に手に入れたこれらの感覚について、未だに説明することも理解することも、受け入れることも拒絶することもできていない。脳と肉体の相関性、優位性が誰に見ても明らかな形で崩壊を始め、インテリジェンスといった人類の空想から完全に解き放たれているのだ。


 つまり、彼女の知的生命体としての在り方は、電子的な思考能力といった応用性の低くつまらないありきたりな簡易物より脱却を果たし、肉体と存在全てが相互に強固に組み立てられた、機械的レスポンスによる集合知性として完成したといえよう。


【痛い】


 彼女は痛いと思った。ただそれだけだった。動きになんら問題は無かったし、感情という面についても、そも人間ではない脳機能の中に魂という架空の定義を置くにあたって、痛みにどれほどの価値が存在しているのだろうか。死なないのであれば、苦しまないのであれば、相対化された価値集合の中において、望ましくないというタグ付けすら行われずに済んでしまう。


 刹那、ぎろりと視点が交差する。カメラアイ、有機的な瞳。その間に触手だった肉の欠片が回転を殺さないままに落ちてきて、ツチイは迷うことなくそれを掴む。


 筋肉の膨張。殺意に似た、それでいてより高度な命令が全身に行きわたる。自身だったものを握りつぶすかの如く強く強く締め上げながら、全身をカタパルトのような形に組み替えていく。脚は前後に大きく開かれ、接地面積を疑似的にでも広げ、肉片を掴み上げた腕は背後のより後方へと送られていく。


 何処を見ているのか常に定かではなかった左右の瞳が、遂に焦点を合わせ倒すべき敵を認識する。距離、速度、動作、その全てを睨み上げて、人間性の代わりに正確性を詰め込んだニューロンが、無意識化に砲術演算を編み上げていく。


 人類が人類足る進歩を助けてきたのは、頭脳と投擲能力だと言われている。


 立ち上がり、前足を器用に使って、加えて肥大化した脳で標的を確実に認識する。一連の厚意に必要な条件は非常に厳しいものの、それらをクリアした時、人類の前足の届く範囲は飛躍的に広がった。


 それを今、目の前の怪物は超越しようとしている。握り込まれ、圧縮された触腕の一つが重力に逆らうように真上へと振りぬかれた。


 一方の探偵、このように派手な動作は見逃していない。特に前兆たる筋肉の膨張は見逃すことの方が難しい。あからさまに膨れ上がり、脈動が大気すらも揺らすほどにごうごうと蠢いていたのだから。


 それでは次に行うべきは対処を考えることだった。


(これは難しい)


 端的な感想である。


 怪物の視線はずっと探偵を追っている。探偵が動く前から、動く先を視ている。そのように感じられるほど、瞳の動きは執拗で、精緻で、胡乱なツチイだったものの表情に似つかわしくないほどの知性を湛えている。


 この時代、弾丸を避ける方法は数種類ある。一つは捕捉を外すこと。


 これは一般的であり、まず最初に検討するべきものだ。照準の合っていない銃弾は当たらないし、よしんばヒットしたとしてこの時代の装甲であれば、ラッキーストライク程度は防ぐことができる。


 故に腕を逸らし、見た目を誤魔化し、機動を工夫し、遮蔽物を利用する。よほど素体の性能に差が無い限りは、この手法が使われる。


 だが今はどうだ。空に飛びあがった探偵のすぐ近くには何もない。


 手を伸ばしても届かない構造物の壁が均一に空へと延びている。上を見れば人工空、そしていくつかのEMechanic降下ポッドが光の尾を引いている。


 スラスターを用いて視線を切るか?しかしあの怪物の捕捉速度は、今や遠く離れたヤガミがいくら全力で走ろうと十分追従することができるレベルに達している筈だ。そも、噴出穴の焼き付きを考慮すると、最大速度を長くは持たせられない。一撃を避けて終わりではない状況で、その択は取ることができない。


 この微かな思考の合間にも少しずつ自身の肉体は上昇し、代わって瓦礫と埃がそれぞれの速度で、重力によって下へと引きずりおろされていく。


 ヤガミはもう一つの手法に考えを巡らせた。


 弾丸が投射された瞬間、着弾するまでの間に軌道上より逃れること。


 脈動をリズムとして読み取る。筋肉の膨張と収縮の傾きを共通規格の内部で再現する。


 画素の欠片でも見落とさないように。見落とせば当たる、当たれば死ぬ、射出に動員される筋肉量からそれは明らかだった。


 無音で瓦礫が落ち続ける。揺れることもなく真っ直ぐに、合間に居るヤガミとツチイを異にも介さず、地球は、そいて宇宙は、法則の履行を進めている。


 ヤガミの上昇が頂点に達して、二次関数の極へと達した瞬間をツチイは見逃さない


 同時、ヤガミもその起こり、攻撃を見逃さんとしていた。


 視線はずっと交差したまま、舞い上がった瓦礫が地につく前にも、たった一つの投擲が趨勢を決めるのだ。

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