先祖返り Vol.3
とある詐欺グループのリーダーを務めていた男──変わり果てたツチイが暴れる様子を見て、狭く小汚い指令室で蹲っていた彼は、名をササキと言う。
それは中流階級の産まれであった。
大企業に直接務めているわけではないが、彼ら企業が経済をいくらでも回すために作り出した無数にも思える下部企業の一つの歯車を務める両親のもとに産まれた、特筆するべき点のない男である。そして今、特筆するべきことがないままに命の灯を消し去られようとしている──目の前に迫る、血まみれの青年の手によって。
結局彼の脳には、自分の何が悪かったのかという問いに対する明確な答えを導くことはできなかった。訳も分からないままに人生のツケを支払わされている、そういった漠然とした不満感と罪悪感だけがある。
レールガンはもう弾を吐き出さない。銃本体のモニタが“弾切れ”と端的に枯渇を訴え、続いて共通規格にかつてインストールした火器管理アプリも追って“リロードの必要あり”と遅すぎる解説を表示している。そんなことはわかっていたが、引き金を引かずにはいられなかった。反射的行為であり、恐怖心の齎す意味のない行為である。
ササキは頭が回る方だったが、勘が良い人間でもなかった。
例えば幼少期である。オーダーメイドの幼児向けインプラントを入れるほどに裕福ではないが、全く幼児的なケアをされないほどに貧困に苦しめられていたわけではないササキの家庭では、如何に親の機嫌を取るかが全てであった。だからササキは、演技力を磨いた。漠然としながらも、親というのは演技指導の役割を併用する自動販売機のようなものである、と彼は学習したのだ。それが厳密には間違いであるか、少なくとも完全な正解ではないということに、当時のササキは全く気付いていなかった。
ともすればその勘違いは、今彼が身を置いている状況にすら繋がってくるのかもしれない。
頼りなく穴だらけになった瓦礫の塹壕から、こちらを睨みながら、左腕から体液をばらまきながら、一歩一歩勢いの乗った加速を繰り返して走り始める──コガ。どうでもいい男だった。ササキは彼の名前を忘れていたが、顔だけは覚えていた。それらを結び付けるほど重要な人間ではなかったのにも関わらず、この瞬間に目の前へ飛び出してきているのはその何者でもない人間であった。
古びた火薬式小銃を腰だめに携えて、回避機動の一つすら取らず、一直線に結ばれた線分上を憎らしいほど正直に駆けてくるのだ。
ササキは恐怖していた。
彼は若いころ、嘘が得意だった。何時でもそうだった。怒られたことは一つもない。
それに嘘を本当にするのも得意だった。成長するにつれ、融資という言葉を知った頃には、自分は嘘をついているのではなく未来の借り入れをしているだけなのだと密かに開き直るようになった。
虚言癖はしばしば病状として扱われ、その人そのものの本質としては扱われないことが往々にしてあるが、高校を卒業するころには既に、ササキは筋金入りの嘘つきへと成長し、完成していたのだ。ササキの虚言癖を治療するということは、つまりササキと言うアイデンティティすべてを消し去ることを意味する。
このころには既に両親もそれについて気づいていたが、とやかく言うことも諦めることもなく、ただ子供とはそういうものなのだとして無関心を貫いていた。
彼は死が目前に迫る今になって、やっとヤキが回ったことを自覚する。ツチイが生き残っていた。その時点で彼の嘘をこねくり回す生活は終わりを迎えたのだ。
ツチイは優秀な人間であったし、自分のつく嘘すら見透かしているかのように感じられたが、同時に自分は常に大丈夫だと信じるような女だった。見抜いていたとして、それに惹かれてしまうどうしようもない人間なのだ。
ササキはより踏み込んだ個人的な感想として、「彼女はそうしなければ成り立たないほどに演技が好きなのだ」と解釈する。自分とある意味同類なのだと、そう思ったのだ。
だから、騙すことは簡単だった。正確にはその気にさせるだけで良い。結果として自分に金が入り、相手が嘘を立証する手立てを失くしてしまえばいいだけなのだから。その手段が、ただ謀殺なのだ。
その時点で自らすらも包み込む構造物に気づけなかったのは、ひとえに彼が失敗を経験したことが無いからだった。加えて不幸なのは、おそらくこの一度目の失敗が直接命を奪う水準にまでコトが膨らんでから発生しているということだ。
コガはきっと、弾丸の数を一つずつ数えていたに違いない。あるいは状況証拠的に、コガはササキが最早弾丸を放つことが出来ないことを知っている。現実に彼がようやく気付いたのは、コガがもうこちらを有効射程に収め、共通規格を通して確かに照準を合わせた後だった。
彼が取った行動は──遁走だった。良い骨格インプラントだけはあったから、背中を幾つもの鉛玉が抉り取ろうと命には関わりなかった。皮膚が破け、真皮が抉れ、衝撃が半身を揺らす。けれども本当の重要臓器には当たらず、やがてエネルギーを失った弾丸は肉の中に埋もれて沈黙した。
覚音重鉄工業製品は、こうして人種を問わず人々を助けている。同時に、武装分野で同じくらいに人の命を奪っていたが。
後ろでコガの叫ぶ声が聞こえる。構わず通路を曲がる。彼の脚もまた特別性で、常人の数倍の速度で、数倍の距離を連続して走ることが出来た。ダイダロスメディカルがその名の下に、マラソンの記録を破り続けてはや百年近く、逃げ足の速い人間は皆42.195kmを簡単に走破してしまうようになっていた。
彼の手からはいつの間にかレールガンが零れ落ちていて、着の身着のままといった風貌にまで落ちぶれていた。あたりにはかつての部下だったもの、舎弟、顔見知り、あるいは恫喝した浮浪者、それぞれの死体が数えきれないほどに転がっている。
最早罪悪感すら湧かなかった。コガの声はまだ背中を突き刺し続けている。刺さった銃弾が、もう動いても居ないのにじんじんと痛みを発し続けているので、彼は痛覚を遮断することにした。共通規格がアラートを鳴らし、この機能は緊急時のみの使用とするか、常用時は訓練を欠かさないようにしろとせっついていくる。これの何処が日常だというのか!心の中でササキは叫んだ。
空にはここから見える筈のない流星群が降りしきる。
星睨で生まれ育ったので、ササキはこの土地の齎す異常な閉塞感についてとても詳しく知っていた。
空は覆われ、地は全て人工のものへと置き換えられて、それでも入りきらないものは地下に押し込まれる。
太陽は人工灯であり、昼も夜もない。ドームのように包まれた大きすぎる屋根の下で、酸素の粒子一つまでダイダロスメディカルが製造し、ダイダロスメディカルがサポートしている。埃の割合も、排ガスの割合も、それをどれだけ浄化するのか、あるいは植林をどの程度するのか、どういった生き方を推奨するのか、その全てがダイダロスメディカルによって支配されていて、だというのにその素振りを美しく近代的な方式で隠し、幻想的な巨大建造物の堆積へと変質させている。
彼はそれに対して、欺瞞を重ねる自身に似ているなと感傷的に思ったこともあったようだ。
私からすると、工業的に極めて発達し、全てが合理的に作られたこの巨大都市は、矮小な個人の嘘に比べてよっぽど利用価値があったが。
ともかく彼にとってここは庭のよう感じられていて、そしてそれ以上のことはない。
ありえべからざる鋼の流星たちは、次々と再開発区域周辺に着地して、ツチイだった何かの咆哮に対するように轟音を鳴らしている。E.Mechanicの尖兵たちだ。規則正しく鳴る空間の歪みに伴った銃声、規則正しいスラスターの音、規則正しい足音全て、ササキの背中を追い立てるかのようだった。彼にはそう感じられた。彼は演技が上手かったが、自身を欺くことは下手くそだった。
彼にはもう、庭に入り込む怪物、侵入者たちを追いだす力など何処にも残っていない。過去どの瞬間にもあったことすらない。星睨は誰かの庭であっても、決して彼の物ではなかった。
ビルをひとつ、ふたつ隔ててまた銃撃戦が始まった。どこまでも走っていけそうな足を持っているのに、彼はもうどこに走ればいいのかもわからなかった。正規の口座などは当然無いから、この土地そのものを破壊されてしまえばそれだけで財産は全てパーとなる。
ササキには、数十年共に過ごしたはずの足腰と、そして腕が、頭部とはまるで別の生き物のように感じられた。肺が縮まり、心臓が膨らむ。赤黒いライトが辺りをずっと照らしていて、蹴り上げた瓦礫が意味もなく跳ね回ること数十、数百回繰り返している。
曲がり角にはどこにでも、隠れたままに息を引き取った何かが居る。
眼は見開いていない。ずっと眠っているかのようだ。それがいつ目を覚ますかなどと、無意味な仮定と、そしていくばくかの恐怖の混じった妄想が頭を支配した、その時。
「君、生存者か」
さあ、どうだろう。もう生きているのかどうか、彼自身でもわかっていない──そんな男に声をかけたのは、遥か高くから音もなく落下してきた一人の探偵──ヤガミであった。
ササキはゆっくりと振り返る。ずっと鳴り響く幾つもの足音を聞き取りながら、今前方に降り立った幽鬼のような機械人間に対して、まるで懇願するかのように口を開きながら、頽れた。
「俺だけは助けてください」
彼がそう言い終わる前に、背後の通路から飛び出してくるのは──コガではない。怪物となり果てたツチイである。恐怖にかられ遂に自ら安全圏を捨てた獲物を、仇敵を、何の感慨もなくただ潰しに現れたのだ。
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