先祖返り Vol.5
後頭部を掠める、人類史上最速に近い投石。風圧に煽られ、重量物である脳が、首から上の全体が、あらぬ方向へと伸びあがって足の裏を遠ざけていく。脚部スラスターは噴煙をランダマイズされ、苦し紛れの跳躍を見せた。
それでいい。ヤガミはそう思った。心臓は未だ稼動をやめていない。シナプスの振動は思考を加速している。圧縮された風に乗り、遅れてやってくる破裂音に人工鼓膜が揺れた。
生きている。未だ音を拾うことのできたヤガミの脳は、この状況をそう判断した。
そうして、またビルディングが崩れていく。ふきあがる瓦礫と煙、意味のない破壊。
探偵の五体が、そのまま落ちていく。勢いを殺されないままに、明後日の方向へと飛び去ろうとしているのだ。
ツチイの瞳がまた逸れた。戦いの中、上層、天井を覆う層の先、E.Mechanicから降り注ぐ光の筋は混迷を切り裂き、街中を浄化していくかのようだ。
背の高い建物は最早跡形も残っておらず、ただ暴威のぶつかり合いの中で、粉砕され、分断され、やがてただ強いものだけが大地に残る。
遠ざかり、大気の蒼の果てに薄れてゆくヤガミの背中を睨む左目。右手が、右側の触腕が、もう一度瓦礫を持ち上げんとする。既に壊れているというのに、ただ持ち上げる動作に耐えられる筈もない。かつてネオンライトに照らされ、道行く人間に見あげられたものの欠片は、しかし今、ただ抱えられたというだけで、よりひび割れを 大きくし粉を吹く。
ツチイの右目は、空を見ていた。
無数の光の筋の中に混じる、ただひとつの何かを見ていた。
伸縮する光彩──だったもの。焦り、恐怖と、そうではない何か。並び立たないものが混在し、その余波が、不定形となったツチイの身体を揺らす。衝き動かす。
反射の中で、光の筋はどんどんと大きくなっていく。精神的に?
この世界では、精神面が軽んじられている。私がそれを介さないからでもある。ようするに、これも現実だ。
ツチイの破滅と、降り注ぐ機械たちの距離。月に引かれる海のように、逃れられない理と言ったものが、ヒトの外側へと落ちた思考能力にのしかかる。
元より、ヤガミなどどうでもよかったのだ。けれど、歯車の内側に居る彼はE.Mechanicとツチイを引き合わせ、そうして狂える怪物を殺しうるさらなる歯車、動力軸を、お披露目するべく弁舌をひけらかした。非力な銃声、蠅の羽音にも似た噴出する火炎は、雄弁な殺害予告であるということに、怪物はついぞ気づくことは無かった。
縛りは一つの鎧である。不自由は正解と隣り合う。歯車は見た目より存外に強力である。
自由を標榜する人間を、原動機と戦わせてみればよい。そこに残るのは、自由には程遠い肉片であろう。
ツチイは鎖を引きちぎろうとし、縛られた根元を破り、けれど鎖そのものを引きちぎることは出来なかった。やがて、歯車が──E.Mechanicが──企業が──生きて関わるあらゆる人間が──作用反作用の法則に則って、行き過ぎたツチイを引き戻す。
Umplantが来る。理屈ではなく、本能による把握。知性に頼れない孤独な元人間は、他者の経験に頼ることができない。そのために、こうして目の前に迫るものを跳ねのけることができない。
上空、断熱圧縮熱により赤熱化した強化外殻が四つに分離し、内側から黒い虚無が零れ落ちる。
今の今まで最も暗かった天井をもゆがめる、さらなる黒。人工の光も屋根も空気も、黒点の向こう側に覆い隠されている。
漏れ出た中身の、重力加速が止まった。アスファルトを、瓦礫の山を、くだらぬ肉塊を拒絶するかのように空へとどまっている。はじき出された四片もの外殻は、黒を中心にして散った。光線は火花として弱まっていき、ぱちぱちと儚い音を鳴らした。
ヤガミに向けていた散漫な殺意と、持ち上げられ原型を失っていく瓦礫の成れ果て。
二つの交錯点が、Umplantの下に結ばれる。
怪物と、情を介さぬ歯車が、降りしきる瓦礫の内側で向かい合っていた。
ツチイの筋肉が無秩序に膨れ上がる。
対する黒点が展開され、大気の摩擦するごうごうといった音が響いた。揺れる空間が、無限遠へと重力欠陥を転移させていく。黒点の内側へと、スパゲティのように引き延ばされた光が吸い込まれていった。
Umplant、“Scanner”。E.Mechanicの誇る、極大最硬の鎖のひとつである。
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