昇降機の頂 Vol.3

 電子の牢獄、デジタル記号によって完全に制御された、E.Mechanicの散逸せし中枢の中で、揺らぐ交流の内側に知性を収めたいくつかのヒト型が集まっていた。


 彼らは椅子を必要としていないが、この場をある程度現実のようにするために、本来自由であるはずの電気信号に対して、ある程度の意味とルール、そして制限を持たせた。


 結果として、こうして仮想空間上に存在する彼ら役員の肉体は、彼ら自身が設定する判別しやすいひとつのアバターとして機能し、またそれらが現実の物理法則にまるで従っているかのように演算し続けている。


 彼らは各々の担当する区画の全ての管理機構に根差していながら、全く別の場所に存在している役員との交流も欠かさない。並行して常に顔を突き合わせているのだ。


 デジタルな場で繰り広げられるハッキングの形は、時代を下るにつれて話術、詐術と結びつき始める。ファイアウォールが分厚く強固に狡猾になるにつれて、結局のところ一番脆弱なままなのは人間の判断基準であった。だからこそ、E.Mechanicはそれを補強するための様々な部分に手を付けている。脆弱性の存在をも守るために────


 そのため、そういった脆弱性というものの何たるかを彼らは詳しく知っている。当事者であるからだ。例としては、例えば拘りや癖、判断基準である生まれ育った環境、そして将来にどういった期待を持っているかなどである。


 これらは俗に特色と呼ばれ、ある意味では尊ばれるべきものであるが、この世界では何時頃からそれがとんでもない脆弱性であるかのように認識され始めていた。E.Mechanicはその事実を受け入れていたが、故に迎合することが無かった。


 監査役員の前には、様々な特色を持った別の区画の管理職員が並んでいる。目の前の水色にペイントされたレンズの輩、奇妙な複眼の塊、機械と鉄に塗れている役員の中で珍しく生身に近い外見を維持するもの、とにかく様々な人間がずっとここにいる。


 判断基準を異とする多数の人間の前で喋るのは至難の業だ。誰をも納得させる鋭い言葉の一撃はそう何度も放てるものではないし、簡単に拵えることもできない。監査役員は悩んでいた。この場に居る人間がどの程度の重要性を認識しているのか。しているとして、おそらくは責任の所在を何処に置こうとしているのか。


『全員、報告がある』


 簡単な段取りをつけて口を開く。監査役員に備え付けられた多数の赤色センサが方々の人間の目をじろりと見つめた。


『件の続報か』


 水色レンズの地上管理職員────シルヴェスターが口を開く。監査役員はこいつのことがあまり好きではない。これは奇妙な遅延的ことなかれ主義者であり、こうして火急を争う事態に陥っていることを中々に認識してくれない相手だからだ。

 幾つも浮かんだ言葉を取捨選択し磨き上げていく。同時に、シルヴェスターの出方を伺うこともしなければならない。


『そうだ。やはり調べられる範囲でも星睨周辺の工場責任者────エンカルナシオンに疑義がかかっている。新規アルゴリズムも、並列知能インプラントの移送に関しても、複雑に絡まった内容を紐解くには、やはり直接アレの事務所を改めるほかにないだろう』


『それは承認されるべきだ、監査役員殿』


『付随して』『共同他社の情報元の精査に同意して頂く』


 監査役員の力の籠った発言が、電子の円卓に響いて広がっていく。真意をはかりかねるような目線が監査役員の電子アバターを貫き穿ち、続いて疑念がそこから染み出すかの如く積もり始めた。


 シルヴェスターは真意を測りかねている──無論、そのようなことは彼の常識にとって性急が過ぎるという意味であり、この提案に対して脚ふみをしている、あるいはその実何かをおびき出そうとしているブラフなのではないかと考えていた。


 一方、空間の対岸に座る金髪の、まだナチュラリストに近い見た目を維持している──ヴェラは、それに比べると楽観的な表情を浮かべて、いくらか肯定的な頷きで返した。


 とはいえ彼女は何時でもそうなので、監査役員は表情を判断基準に含めないことにしている。それ以外の人間は、ことさらに自らの立場を明らかにするような素振りは見せない。E.Mechanicの役員となるのに、何か特別な作用を必要とすることは一つもない──長きにわたり務めて、功績を無期限の中で挙げ続け、その先に当たり前のように居座っているポスト。


 だからこそ、ことなかれ主義的なのだ。

 

 監査役員もそういうレールの上に居る人間であるが、そうありたいと思ってそうなったわけではなかった。遅々とした01の流れに静かに苛立ちが募り、続報のないままに沈黙を貫くヤガミにすらも矛先は向く。ヴェラが口を開いた。ここまでほんの数秒の間に、老境の天才はどうやら考えをまとめたようだった。


『構わない。折衝に関しても貴方に纏めて任せよう。当然、私も責任の片側を持つ』


 これはE.Mechanicという組織の中では極めて異例な発言である──何よりも人類の自由と決定を担保する機械技術者集団である彼らは、その裏返しとして責任という言葉に意味を込めすぎるきらいがあるのだ。機械は使いどころを間違えなければ万能であり、常に真実を返り値として出力するというある種無垢な信仰が、誰が明らかに宣言しなくとも皆の頭脳のどこかにこびりついていた。


 ヴェラはその数少ない例外である。悪く言えば衝動的で思慮が浅い。

 ながらも、奇妙な天才性で何故か生き残っている。彼女の“天才的”な能力は設計製造のみならず、根回しの分野であってこそより強く輝いていた。


 シルヴェスターは人間でいうところの眉をひそめた──彼とは長い付き合いである監査職員には、シルヴェスターが彼にとって同期であるヴェラに対してあまりよい感情を持っていないのもうすうす感じ取っていた。


 理由はいくつか推測できる(例えば、シルヴェスターよりもいっそう速い速度で昇進していき、今でもヴェラの方が立場は上であるという事実や、単純に周囲との付き合い、ひいては要領の良さなど)が、何より大きいのは性質が真逆であることだ。シルヴェスターはことなかれ主義的の最たる例であり、常に折衷案を求めている──責任の折半を(しかも大人数で)しなければ気が済まないたちなのだ。彼はそれを民主主義的かつ最大限の幸福を作り出す方法論だと嘯いているが、その実保身も混じっているのは明らかだ。


 対するヴェラは、先述した通りである。彼女は責任というものに報酬も紐づいている絶対的な法則をよく知っていて、だからこそ自ら一人で背負い込むことを好んでいる。どうせ成功するからだという恐ろしいまでもの傲慢が、事実多少他の人間より良い頭と相まって、シルヴェスターとの立場を決定的に分けた。


 監査役員は思案する。おそらくヴェラは、エンカルナシオンをすり潰して自らがさらにリソースを貯めこもうとしているのだろう。対するシルヴェスター、それはそれは気に入らない筈だ。そこまで考えたところで、監査役員は疑心暗鬼をやめた。

 ともかく重要なのは、ひとまずの根回しは終わったということだ。そしてヴェラを引き合いに出す最終手段が舞い込んだということも。


『では、火急の作業であるため離脱する』


 監査役員はその言葉を最後に01の奔流の中から消えた。彼が座っていた仮想空間上をつまらなさそうに眺めるシルヴェスターと、そのシルヴェスターを面白そうに眺めるヴェラが残り、それを意に介さずE.Mechanicという巨大な機構はいつも通りに駆動していた。

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