先祖返り Vol.1
星睨、再開発待機区画の片隅に、目的も立場も違う人間が集まってきている。曲がりくねった、太陽の光すら届かない路地裏、無数の終着点。ぶつ切りの流れの果て。
潜まった息。この時代の探偵を相手にするのならば気休めにもならないほどの隠遁行為である。
内装のほとんどが持ち去られて、むき出しの建材の上に広げられた多数の情報機器の山の中心で、蹲って怯える偉丈夫が居る。
それぞれのインターフェイスに表示される文字の数々は救難要請と多数の人間の視界情報共有によって埋められているが、それに気を払う余裕すらないようだ。鳴り響き続けるアラームを聞かないように、見ないように、震えすらも感じないように、それは頭を抱えて頭蓋を固定していた。
現実は如何様にも辛く、恐ろしく変位していくもので、そういった機微に耐えられなくなった知的生命体は、ときたま現実を読み解くために鍛えたはずの知性を自らの内面世界を掘り進めるためだけに使うことがある。俗にいう瞑想というモノであり、同時に妄想だった。
彼にとっての事の発端は、ほんの数時間前から続いている一つの殺戮である。彼はあまりおおっぴらに出来ない仕事をして毎日を生きていた。例えば名誉や社会的地位はそういった人間に厳しかったが、しかし金はそんな自分にも優しい。
そして前者二つについてそこまで重要視されない世界に住んでいるのならば、金はそれらの代用にもなった。つまり、(廃材で作られているとは言えども)そこそこの立場をもつことができていて、それなりに明日にも期待を持った生活を送っていた。
事実はまた違う。実際のところ彼は認識していないが、この世の全てのことには確かな連環があった。それは宿命や善悪の報復などではなく、物理学的な因果論によって説明される。例えば先の殺戮は、もっとずっと前に自身の撒いた種が原因として引き起こされていたのだ。
ひとつ、ふたつ、みっつ──彼は何度も何度も何度も、瞼の裏側に張り付いて動かなくなった自分の部下たちを眺めては、数を忘れぬように海馬の裏側から数え上げて行く。
彼はこう考えたことだろう──この加速していく人体機械化社会に苛まれ不安を抱える人間たちをだまくらかしては、肉体と頭脳の大部分を削ぎ落し、神懸かりを科学的に提供するという詐欺商売によってずっと生きてきたツケ。それが今になってようやく回ってきたのだ、と。
例えば被害者遺族が自分たちをつけ狙うためになんらかの想像もつかないような外法に手を出したのかもしれないし、義憤にかられたヒーローがそれらを見て自主的にやってきたのかもしれない。あるいは、もっと高次の存在が、善悪のバランスをとるために世界を人知れず操作して攻撃してきたのかもしれない。
そのいずれも否定することは難しいが、はっきり言って都合の良い解釈であった。
一般的な捜査官や研究者ならば、おそらくはこう結論を出したであろう。
E.Mechanicの最新アルゴリズムを盗むという奇妙かつなんて事のない自殺のような依頼を、これまた全く関係のない探偵に回したということが原因であるのだ、と。
確かにリスキーであったが、定例として仲介者が酷い目に合う部類の仕事でもない。これらの依頼分には裏側の意が潜んでいることが大半であり、例えば今回の仕事であれば──通常、E.Mechanicの警備水準や組織体系の挙動を把握するための斥候としての役割を期待して仕事を回しているのだと推測することができる。
しかし、今回はこれすらもまた事実と異なっていた。結局のところ彼もまた一つの釣り餌として使用された形であった。
頭蓋を揺らす電子音。その度に彼は目を固くつぶる。顔の骨が攪拌されるような錯覚すら覚えるほどに。一つ一つは部下の死を表しているのだ。それも蹂躙であった。彼が共通規格による直結を解除してから、光学モニタに映し出されているのは常に被害者から見た一方的な虐殺である。
相手はたったひとつの、人間のようなもの。人間のようなというだけで、人間でないのは明らかな何かである。
女のような顔をしていたが、明確にそうではない体躯を持っている。盆栽のように不釣り合いな人間の肉体が、赤黒い触手が乱雑に生えた肉の塊に浄瑠璃のように振り回されるたびに、構成員のバイタル不調を訴える耳ざわりなブザー音が鳴り響くのだ。
それが大地を踏みしめ建物を薙ぎ、笑い声のような咆哮を上げるたびに、電子音で再構成されたそれらと重なって、本物のそれがここまで響き渡っていることがさらなる恐怖を煽る。聞き間違いでも共通規格による補完でもない、どうしようもない強大な怪物の、現実離れした力の片鱗。ただ肉体をある程度改造しただけの人間では、到底太刀打ちできない。
彼は只管祈った。自らだけでも助かるようにと。
星睨、再開発待機区画の片隅に、目的も立場も違う人間が集まってきている。曲がりくねった、太陽の光すら届かない路地裏、無数の終着点。ぶつ切りの流れの果て。
恐ればかりで動けなくなる人間が居る傍らに、隣り合う深淵を覗こうとする命知らずも居る。
コガ・トウジという男は、自分たちの運命を決定的に狂わせた依頼を辿り、追いかけて、ここまでやってきた。いや、かえってきた。
開発待機区域に踏み込むのは何度目のことだろうか。探偵である以上、汚点を眺めるのにも慣れていなければならないというのに、彼は未だに気後れする自分を見つけている。
エンカルナシオンは喧々とずっと指示を下していた。電脳の中に繰り返し響く何処か子供くささの抜けない説教は、ツチイの激励に比べるとつたないものだ。けれどコガがそれに対して耳をふさぐことは無かった。
思えば若いなりに様々なことを今までしてきたものだと、一人コガは思案する。エンカルナシオンと自分にはなんら共有する過去は無く、医者もまたそうである。だから今、彼は一人だった。
前方から声が聞こえて、その後つたない足取りで走る浮浪者たちがコガの隣をすり抜けて行く。埃と建材の匂いが入り混じった特有の空気が鼻を撫でて、懐かしい最初の仕事を想起させた。
それを思い返す暇はない。深奥へと誘う思考の渦をすんでのところで捨て去り、コガは目を見開き前へと進む。一人、また一人と浮浪者がかけてきて、コガにぶつかり、そして謝りもせずに逃げて行く。コガはそれを少し気にしながらも、後ろを振り返ることなく進んでいく。先の見えない路地を、微かな振動と狂気的な咆哮を頼りにしながら、期待を抱えて歩いていく。
エンカルナシオンはまさかこれほど早くに手がかりをつかめるとは思っていなかったと大はしゃぎしていた。
こうまで彼らが堕ちた理由はいくつも考えられたが、コガには一つ確信があった。これは結局、どうしようもなかったということだ。諦めであり開き直りではあったが、時を超えることのできないただの探偵にとっては一つの真実でもある。
また揺れる。吹き飛んできた配管をスレスレで回避する。重心をかけた左足が微かに軋み、安い靴の底面が砂埃と熱をかきあげる。
地面にひびが入っていた。超常的な力が作為的な断層を生み出し、それらが連鎖して街を蝕んでいる。局所的に加えられた力であろうとも、その影響というものは即座に霧散し、誰もが無関係ではいられない。
少しずつ力の主に、連なる何かの正体に近づいているような感覚を、探偵は何度も味わいながら成長する。
星睨、再開発待機区画の片隅に、目的も立場も違う人間が集まってきている。曲がりくねった、太陽の光すら届かない路地裏、無数の終着点。ぶつ切りの流れの果て。
恐ればかりで動けなくなる人間が居る傍らに、隣り合う深淵を覗こうとする命知らずも居る。そして自らを愚者と認めつつも、賢人と真理を追わずにはいられないものもいる。
冷たい風が高層階をすり抜けていき、細かく砕けた瓦礫の破片を巻き上げていく。それは割れ窓の群れを笛のように撫でる。忌々しい貧困の音を奏でながら。
街の語る音は多岐に渡る。悲鳴、破砕音、咆哮。ツチイ、そしてコガという二人のケチな探偵が引き起こした一つの事件は、ある種の結果に過ぎない。地震とは解き放たれた力であるが、その力は長い時間をかけて注がれるものである。
ヤガミは揺れと隔絶されながら、しかし今にも崩れ落ちそうなほどにしわがれたビルの上で、見えぬ惨状の様子に集中している。
彼はここに来るまでいくつもの監視カメラや、公共施設のシステムへと復旧をを試みたが、再開発待機区画なだけあって全く身を結ばない。
集音部位をつぶさに動かす。街の笛の根の中に混じり、確かに何かが蠢いている。おそらくはツチイであり、正確にはそれが変貌したものであろうと結論付けた。
ヤガミは経験豊富な探偵である。その自負もあった。齢20代のころから業界へと飛び込み、時代の大きな流れにもまれながらも、64の今日まで生き延びてきた。
『報告します。追跡再開後、ツチイらしき存在の活動を検知しました。おそらく探偵単騎の戦力では手に余りますが、如何しましょうか』
また何かが吹き飛ぶ音がした。おそらくはこの辺で活動していた違法施術グループだろう。ヤガミはこのポジションに移動するまでに、外気に触れさせてはいけない施術部位をむき出しにして生活している人間を何人も見た。
違法な施術者たちは粗悪な体表処理の人間が多い地域にはつきものの存在で、粗末な武力と結びついたそれは一般人の未来を閉じる存在になりかねない。
『追加戦力が必要なのであれば、そうと言え』
ヤガミはそれらを憐れむでもなく、悲しむでもなく、ただ目の前の事件を見据える。また悲鳴が上がった。
『もちろん、必要です。私は必要だと判断します』
『了解した。こちらも対外的な介入許可を取得したため、すぐに戦力を投下する』
悲鳴が上がった後少しの間は、何度も破砕音が聞こえてくる。何かを壊すような音だが、それは散発的で、毎回場所が入れ替わる。そして、その破砕音が消えた先でまた悲鳴が上がった。
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