昇降機の麓 Vol.6
「私は医者で、こいつは患者だ。名前はどうでもいい、用件だけ言え」
アンプルを叩き割られても尚動揺することはなく、医者はただ平然としながら乱入者を眺めた。対するコガは身じろぎ一つすらせず、真っ黒な腕に視線を吸われていた。
「雇われてきた。私はコガを確保しなければならないが、それ以外に関しては自由判断だ。邪魔するのなら邪魔をするなりの方法を執るし、邪魔をしないなら邪魔をしないなりの礼節がある」
探偵業界には、いくつか不吉の象徴とされるようなインプラントが存在する。製造会社が様々な確執を抱えていて、ただ所持しているだけで危険なもの。もしくは仕様が難解でありながらも人を惹きつけてやまない輝きがあり、性能によって人死にを加速させるようなもの。
真っ黒な腕は、その二つを兼ね備えている代物だった。
BBと呼称される複合式電子戦闘腕部は、備え付けられた奇妙なプロセッサと、発売から半世紀も過ぎているのにも関わらず尚いずれの勢力も解明することのできていない独自計算式によって、理論上ありとあらゆる電子制御機器に対する脆弱性を突くことができるとされている──例外なくである。
インプラントと共通規格も、その内から外れることはできない。
そんな装備を運用している人間が派遣されている。偶然居合わせたにしては出来過ぎていて、仲違いをしていた二人の胸中は、奇しくもここにきて揃うことになった。
『エンカルナシオン様、社内の監査機構はもう動き始めているんですか?』
外側は動かせなくても、内側を動かすことは十分可能だ。規格の向こう側にいる企業の職員は、ようやく返事を寄越した私立探偵に対して一喝した。『もっと切羽詰まる前に訊けバカ者!』
『申し訳ございません。情報源はE.Mechanicを恐れており、説得に難航していました』
事実だ。交渉の詳細は省かれているが。
『そいつは君の仕事内容について知っているんだな? ならある程度はこちらの情報をちらつかせて脅してもいい』
もう試しました、とは言わない。伝えれば最期、企業職員はどんな手を打つかわからない。制御のできない範囲には手を出さないつもりでいた。
『いえ、それよりも乱入者についてです。交渉の最中、武装した人員が診察室に突入してきました、装備品類のばらつきより企業所属ではなく探偵かと思われます』
これも事実である。企業所属の人間は、たとえ偽装の為だとしても他社装備は使わない。信用成らないからでもあり、他社で出来るようなことはそもそも自社もやらないからだ。
何より、偽装にはお誂え向きの存在が溢れていたから、そもそもそうする意味も無かった。探偵である。探偵が探偵とバレたところで、企業兵が企業兵とバレるよりことに比べればほとんどノーダメージと言っても過言ではなかった。
『監査部の調査に関してはあらゆる手を使って遅延している、今はまだ公的には始まっても居ない筈だ』『だからこそ、そいつは監査部の手先だろう。まだ保有戦力を動かせないから、探偵を雇ったと見える。典型的な手法だが、この段階でその判断を下すのはやはりというべきか酷く神経質だな』
『つまり』
『捕まれば私の立場は危ういし、君もそうだということだ。監査部は私のように柔軟ではないし、君にもしっかりと咎が行くだろう。探偵が何を言おうとなびくべきじゃない』
『わかりました』
細部に様々な引っかかる部分はありつつも、とりあえずは雇い主の意向に従っておくのが吉だ。所在を変えるのは実際リスクであり、捕まってからでも遅くはない(捕まらない限りやらない方がいい)。
医者は押し黙っていた。彼は探偵という人間が心底嫌いであって、それが短期間のうちに二度も自分を脅しに来たのだ。誰よりも自由であることを標榜しながら、実体は誰にも守られることなく、そのくせ守るべき生活のある人間をことさらに苛む彼らが、人生を何度やり直しても許せそうにないほどに憎たらしかった。
そんな人間の生死を左右する仕事をしている。せめてもの抵抗であり、あるいは反撃であり、正しく言うのならば復讐であった。
だからこそより我慢できない。この診察室、この手術室、ひいては借り受けたこの借家すべての中で、探偵は自らよりも下にいなければならなかった。そう感じていた。
「聞こえてなかったのか、私は医者だ。患者をどう扱うかは私が決める、お前じゃない。私でなければならない」
「邪魔をするということで間違いはないな」
銃口軌道修正。硬く保持された個人携行火器が、フルオートの直進弾を吐き出し始めた。
狙いは医者だ。憎らしいほどに正確な銃撃が、診察室内部をピンボールのように跳ね回る医者を執拗に追い回していた。
跳ね飛びの反動を受ける形で転がるコガ。回転モーメントをそのまま利用する形で飛び起きて状況を確認する。
大体距離は10mあるかないか、Readymadeの身体能力であれば肉薄しているのと大して変わらない距離ではある──その正確な牽制射撃を逃れることができるのであればだが。
BBは、それが売りにする単純な電子戦闘能力を支えるべく大容量の思考補助能力が付属している。株価から恋人の気分まで幅広く算出することが(やりようによっては)可能であり、その間にもちろん弾道予測、そして敵対者の行動予測も付属しているのだ。
対する医者は、職業柄かき集めた高性能なインプラントによって、探偵の放つ詰め将棋じみた攻撃を見てから回避しているようだ。センサは腕の微細な動作すら見逃さず、引き金の細やかな動きから何時弾丸が放たれるのか、そしてどこを狙っているのか、加えて次にどこを狙おうとしているかまで大まかな把握が可能である。
特にBBは、優秀な内部構造に反比例するようにして、外装の駆動部分は一般的と言わざるを得ない。
この勝負は初手から泥沼の様相を呈していた。
丁度弾丸を吐き切るころ、探偵はチェンバーに最後の弾丸が装填された瞬間に引き金から指を放し、胸部にアクセサリの如く括り付けられた大量のマガジンの中から一つ無造作に取り出して、同時に刺さったマガジンをリリースし始めていた。
それを逃す医者ではない。跳ね飛んだ先の壁を足場にして、また跳躍の構えをする。目指すは探偵一直線──ではなく、その手前の地面である。
跳躍の様子を見ていた探偵は、銃に新しい弾丸の束をねじ込みながら身をひねる。
銃床がぎらぎらと獲物を狙い、表情の読み取れないセンサが睨みつけていた。
飛翔が始まる。コッキングは要らない。銃床でカウンターを決めるつもりだった探偵が、飛翔した先を見て固まる。身体操作の偽装である。
医者の視線と脚部、そして腕の重心操作の大部分が、本来の狙いとは大きく離れている。探偵は医者が直接こちらに飛翔してくるように考えていたが、前述のとおり医者は手前の地面に一度降りるつもりであった。その上で、身体全体の動作をそっくりそのまま直接飛び込むように偽装していたのだ。
共通規格の深部に精通していなければ出来ない神業であり、肉体と神経の繋がりを細部まで把握しているからこそ咄嗟に実行できる荒業でもあった。実際、それほどまでに熟達した使い手でも、不自然な態勢から本来行くべきではない場所に着地すれば、半分不時着のようになることは回避できない。
探偵は即座に次の攻撃手段を模索し、迷うこともなく優先順位を付けていく。そして即座にリソースを算出し、最小手数を選んだ。
傾いた銃身が即座に医者を再補足、それは銃弾を吐いた。不完全な着地隙を、移動のラグ無しで狙い撃ちにする。
一か八か、そこまでの効率性を完全に読み切っていた医者は、不時着めいた着地をむしろ存分に利用する。思い切り頭部から、身体を丸めて前転、及びヘッドスライディングそしてまたもやの前転、その繰り返しである。
不規則に速度を変えて転がるラグビーボールに似た動作は、いくらBBのシステムにおいても即座に解析できるものではない。正確には、このようにバランスの取れた探偵はBBにリソースを偏重させない。定石を常に守る手堅い探偵でなければ、この時点で医者の負けだっただろう。けれどもそうはならなかった。この探偵は定石を守る探偵であり、そこまで自由闊達ではない。内心侮蔑交じりの笑みが浮かぶ。対して、顔面の感情表記インターフェイスは凪いでいた。
探偵はまた別な手法を考え始める。引き金を引きながら、無意味に空いていく床の弾痕を凝視しながら、その嵐の中を無傷で転がり込んでくる医者から目を離すことはなく。
肉薄、肉薄である。最早手を伸ばせば届く位置にまで来て、転がる医者と探偵の視線は確かに激しく交差した!
音も無い、直線的かつ最短で、まるでえぐるかのように突き出す手刀。最初に繰り出したのは探偵である。迎撃側は常に行動のイニシアチブを多く握っており、距離を詰めようとするものは常に攻めの線を厳しく制限されている。押し引きと攻め守りはまた別のレイヤーにあり、この世界においては物理的なベクトルだけで決定されるものではない。
医者は思案していた。BBに直接接触されるのはそれすなわち敗北を意味する。医者は強力な対電子戦装備を積んではいたが、それだけでどうにかなる相手だとして行動するのはリスクが高すぎる。まず触れられないようにするのが安牌である。
間に何か挟むものを用意する必要がある。伸び始めた手刀が迫る。
迷うことなく手を伸ばす。手で受けるのは悪手だ!
しかし手刀と手刀が交差するなんてことはなく、伸びきった掌は、スリングに吊り下げられた携行火器を引っ掴む。
探偵はそれを認識。即座に空いている左手でストックを掴み、奪取の制限を試みる。
腕と足と、そして腰部の行動が一瞬ブレた。
実際奪取は防ぐことが出来た。直接戦闘が得意という訳ではないにしろ、探偵に使用されることを想定されている義手だ。通常の人間より筋力が落ちるなどということはない。
だが──むりやりずらされた軸は、手刀そのものを食い止めるには十分すぎるほどの可動域を持っていた。持たされてしまった。自らの銃身で自らの手刀を止められたのだ。
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