昇降機の麓 Vol.7

 レンジが重なる。腕を伸ばせば当たり、引けば押され、肉体を駆動させる熱すら感じ取れるほどの至近距離。お互いに使用できる武装は──文明によって極限まで引き上げられた、鋼の肉弾のみだった! 


 腕の数に非対称性がある。医者は三本、探偵は二本だ。よって片腕当たり1.5倍の負荷がかかる探偵は、それだけ不利であると言わざるを得ない。


 銃身のイニシアチブを離さない。ねじるようにしてBBの真っ黒な腕部を妨害し、巻き込み、空いた二つの腕で殴りつける、ただただ殴りつける。


 感触は最悪。硬質な金属音がカン、カンと二度高らかに鳴り響く。肩の一体型アーマー、硬度は計り知れない。覚音重鉄工業の製品に違いない──医者は知識でもってあたりをつけながら、しかしまだイニシアチブを離さない。


 殴る、殴る、ただひたすらに殴る! 次は間接部位を狙う。もちろん狙われることが分かり切っている重要部位なため、探偵の側も始まる前から保護を重視している部位ではあるが、しかし限界があるからこそ弱点なのだ。装甲を揺らす攻撃が、打撃ではなく強烈な振動として内部駆動システムに負荷をかけ続ける。


 探偵の共通規格インターフェイスに赤色の文字が浮かぶ。端的に危険である、そしてそんなことは分かり切っている。ただ守るだけではならない、切り返す必要があり、そのためならばある程度の被害を受け入れるべきだ。


 簡単な算数である。腕が三つある人間が、その腕を一つ使い、腕を一つしか持たぬ人間の腕を一つ潰す。3の群れの中にある1と、2の群れの中にある1では重要度が違う。この互いに潰し合わせる作業を最後まで押し付けることを可能とする数の利というものは、古来より2200年代に至るまで、ずっといつでも強力なままであった。


 だから探偵は小技を使う。決断し、そして防御を解いた。次のフェーズへと移るために。常に数で負けているからこそ、彼らは何とかしてその轍を踏まないように気を払っていた。何度かノーガードの衝撃か肉体を襲うが、構うこともない。医者は即、違和感を覚えた。


 次の瞬間、直ぐに答え合わせに差しかかる。


 強烈な熱気。足下から立ち上る膨大な熱量が、凪いだ空気を無理やりに煽り、巻き込み、熱狂させる。両者異変の中でも視線は合わせたまま、医者のみサブセンサだけをそちらに向けて状況を把握。


 噴煙と轟音、探偵の脚から出ているそれは、高温を誇る青白き光である。


 探偵の肉体が持ち上がる。ただの人間の倍は重い機能の結晶が、さらなる超出力で衝き動かされているのだ。おさえつけられたばねにも似て、彼の身体は全身に力を湛えている。医者の精神は冷や汗をかこうとしていたが、汗腺の少なさから外見には何の影響も無かった。黒い感情インターフェイスに、光が照り付け輝いた。


 ダイダロスメディカルの、多目的戦闘用脚部である。


 かつて猛威を振るった軍用脚部である、常軌を逸した高級品であるこの脚部は、基本的な出力がそもそも異常であり、人外の域にまで達した駆動トルクを誇る。したがって強度も同様の機序を辿り、また反応性も極端である。兎に角早く、この上なく頑丈に、ダメ押しに正確なのだ。


 ついでに人間の肉体と装備類を含めて高速で飛行することすら可能にするスラスターが脚部全体にへばりついており、空と陸の境目を無視することも可能であった。


 真下から真っ直ぐに襲い掛かるのだ。スラスターの推力は当然破壊力を割り増しするために、この脚部による蹴撃は旧式の戦車砲にも迫る威力を叩きだす。当然、人間サイズの攻撃対象にぶつければ死ぬ。医者は回避を余儀なくされたが、それは数少ない利点──肉薄距離での手数の多さ──をむざむざと手放すことにつながる。しかし、命には代えられない。


 医者は上体を逸らす。限界まで銃をつかみ取り、跳ね飛ばすように後ろに飛ぶ。そのままバク転を繰り返しその場から離れる。密着していた距離が途端に離れだして、淀みに似た緊張が解けほぐれていく。


 時を同じくして、銃口から銃弾がばらまかれた。探偵は自らの手を使うことなく、腕の機能を持って自ら持つ銃の制御系統をハッキング、反動を巧みに制御しながら遠隔操作を開始したのだ。


 前動作の全く見当たらない攻撃である。認知外からの攻撃、不安定な状態から放たれたものだとしても、それは確かに医者へと迫り、掠った。


 微小ではあるが、体表の金属面に擦過傷を刻み付けた。均衡が崩れ始める。実際、戦闘慣れしているのは間違いなく探偵であった。どういった時に、何を使いこなすかを知っている。


 伝達された運動エネルギーによる微かなダメージを検知したアクチュエータが誤差を修正し始めた。その割合が増えれば増えるほど、取れる動作は限られてくる。


 簡単な動作のプリセットは誰でも買える世の中になった。練習も要らず、また才覚も買うことができる。


 だからこそ大局を見る、あるいは考えることができる能力のみが如実に世界を支配し始めていた。


 戦いの中において、重要なのは解像度なのだ。装備の等級も、膂力も、戦闘教義すらも、その全ては本人の探究する力によって決まる。故に、“探偵”は表舞台の覇者を許されていた。探し求めるからだ。医者はそれを知っていたし、分かっても居た。


(だから何だって言うんだ。私の世界を公が踏み潰していい理由にはなりはしない)


 けれども己のうちに、微かな感傷が湧き上がることすらも自覚していた。明確な怒りであり、不健康な感情である。当てつけ、破れかぶれで、自らも利さない考えだ。ここにきて、これは自分も自由に憧れた。正確には、抑圧に対するアンチ的衝動である。


 目の前の探偵は公平な振りをしている。振りをしていながら、その実誰にも興味を持っていないように見える。少なくとも、医者にはそう感じられた。そうでなければ、あれほどの高級品を全身に入れて尚こんな危険な仕事に手を出し、金を稼ぐ意味が解らなかったからだ。


 彼の高度に改造されたニューロンの中で、まるでTVゲームのポーズシステムのように世界は停止している。


 探偵は銃身を構えて、無慈悲に照準を付け続ける。引き金は既に引かれている。迸る光が威力を示す。連続して鳴り響く破裂音がマイクを叩く。


(とにかく探偵は気に入らねえが、同じ気に入らない存在でもまだクソガキの方がマシだ。このクソBB野郎にだけは損をさせたい)


 考えの収束と共に、見える世界は加速していく。医者の身体も動く、走る。腕のいくつかを激しく動かして、弾丸を左右上下に弾き飛ばしながら。幾つも傷がつき、動作制御システムに次々と異常が見て取れる。管理をしなければならない。当てる腕をコントロールし、無事な腕と使い潰す腕を区別する。部屋にも腕にも穴が空いて、踏み荒らされていた。


 走る、走る。銃弾と共に床をえぐるような速度で、ただ届きさえすればいいと、医者であるのに命を懸けてだ。医者の不養生ここに極まる。


 部屋は狭い。せっかく稼いだ距離がすぐに縮められていく。探偵は警戒を解かない。


 内心、驚愕さえしていた。インプラントを熟知することは即戦闘力に繋がる。つまるところ相当腕の立つ医者だったのだろうし、それがどうして表通りではなく、このように表通りより隠れた場所に居を構えているのか、と。


(価値観は人それぞれだが、私にとっては純粋な不幸だ。顧客として訪れたかったのだが)


 弾倉の枯渇が近い。縮まった距離では、最早リロードのリの字ですら行えない可能性が高い。先ほどよりも早い段階で医者は走り出していたし、以前と違ってフェイントすらしかけない、捨て身の攻撃である。


 であるならば──


((肉弾!!))


 もう後戻りはできない。銃を捨てる。肉体からパージされて、探偵は身軽になった。同時、後方に吹き飛んでいく銃身を尻目にして前のめりになる。


 スラスターが光の帯を描く。


 速度が乗り切る前に肉体が衝突! 体のどこかが触れて、衝撃が全身に響き渡る! 


 BBは即死、その事実は変わらない! であれば、この接触で勝負はついたか? 否である! 


(医者の腕前じゃない、なんという機転だ!?)


 肩だ! 肩に複数の衝撃が集中している! 


 眼にも留まらぬ肉体のオーバーロード! 腕の全てを使い潰す勢いで稼働させて、探偵の速度と自らの速度を組み合わせた相対速度に、さらに一瞬上乗せをしたのだ。


 複数の主観客観要因をもってして、BBによる近接格闘制御システムをすり抜けて、探偵の“肩”を重点的に打撃、もってしてそれより先の二の腕、そしてBBそのものを間接的に叩きのめしたのである! 


「逃げるぞ坊!」


 直後、後退。探偵は衝撃を逃がしながら、後ろ方向に空中側転。並行して腕部衝撃、破損をBBによって計算、最適なリカバリプログラムを走らせる。


「協力してくれるんすね!?」


「お前は喋りながら逃げられるほど器用なやつじゃないだろ、黙って走れ!」


 医者の叫びに雇用するように、唯一の従業員が探偵の着地点めがけて走っていく。手には簡易な凶器が持たれていて、機械のトルクに任せて無茶苦茶に振り回されていた。


 医者は先ほどの無理のフィードバックに苛まれる手先をふらつかせたまま、肩で扉をぶち破り外へと転がりだす。


「あれ、おっさん。さっきから喧しかったけどどうしたんだ」


 赤毛の女はまだここに残っていたらしい。あれほどの騒々しさを前に、彼女はまだ暢気に虚空を見ていて、今ようやく喧嘩に対して興味関心を向けたらしい。


「シャノン!」


「そう怒んなって、関係ない話だろ?」


「今日はもう休診だ! さっさと帰れ!」


 怒号を吹き込まれた赤毛の女──シャノンは、ムッとしながらも引き留めるようなことはせず、行く当てもなく診療所から走り出す医者と、その背中に健気についていくコガを黙って見送った。


 


「……なあ~、久しぶりの休暇にやっと来たってのに。アンタのせいで主治医が逃げちまったじゃねえかよ」


 シャノンがしばらく呆然としていると、後ろから関節があらぬ方向に回り続ける従業員だったものを抱えながら、先ほどの探偵がのそのそと歩いてきた。


「すまない、こちらも仕事で」


「まだ追いかけんのかよ?」


 探偵はBBによってすべてのモータが完全に破壊された従業員を受け付けに投げ捨てながら答えた。


「それは……探偵だからな」


「あんまり意地悪してやるなよ」


 シャノンはそう答えてから、ぐちゃぐちゃになった受付の中から筐体を探し出して、自分の名前をキャンセルした。

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