昇降機の麓 Vol.1

 E.Mechanicという企業は、この世界において非常に重要な役割を果たしていた。


 宇宙と地球との検問役にして、地球からあらゆる犯罪者を逃がさない鉄格子。かの企業の名前を知らなくても、偉大なる“ブランド品”というものは誰もが必ず見たことがある。


 空を見てみれば、それが軌道から遠く離れた地域であったとしても、E.Mechanicという企業の誇る超巨大軌道建造物が目に入ることだろう。


 数多の反重力(その方式は至極複雑で、どうやら反対の重力というよりは方向の違う重力と仮定する方が正しいらしい)装置に支えられた、規模、強度ともに常識では考えられないレベルに達した軌道エレベーター。大輸送を可能にするため、街一つ分(おおよそ2000㎢)をまるまる軌道上に上げ下げできるほどに大型化しているのだ。しかも、それはただの昇降部分ひとつでそれである。実際には、秘匿された様々な運用形態や研究施設などがぶどうじみた構造ではりついているため、到底すべての重量を網羅することなどできない────ほかならぬE.Mechanic以外には。


 それが赤道上に雨後の竹の子が如く等間隔に配列され、その全てが軌道上に物理的ネットワークすら実装してしまう事実が、この企業体の資本力と技術力、そしてマンパワー(99%以上が無機物である)を雄弁に語る一つの材料であり、最も巨大なキーパーソンでもある。


 結果的に、大気の色に遮られても尚文明の輝きを宇宙に灯す叡智のかがり火ではあるが、同時にありとあらゆる知性の終着点として忌み嫌われるものでもあった。


 あらゆる宇宙開発は、E.Mechanicというたった一つの企業によってすべて支配されている。彼らは強固な利権を持っていて、2100年代の成長と根回しによりその立場をこの上ないほどに強めていた。宇宙にたどり着くまでの間、微かな層であれどもその部分を、彼らは何のためなのか全て完全に手中に収めてしまい、法律上宇宙全ては彼らの持ち物となってしまったのだ。(別に宇宙そのものを彼らが買い取ったわけではない。宇宙に出るための全ての土地を手に入れただけなのだ)


 そして、ベンチャー企業がロケットを飛ばすということはなくなった。やがて、国家事業としての宇宙開発は、この偉大なる国際企業にすべて委託されることとなった。


 人工衛星事業も全てE.Mechanicとダイダロスメディカルが支配者然として取り仕切っていたし、費用対効果も彼らの独壇場で、価格崩壊を起こした市場に新規参入しようとする狂人は中々居ない。


 であるというのに、だ。


 彼らはかつてのSFで言うところの“超光速航行機能”を実用化しているのにも関わらず(その上人間に対して、インプラントとして組み込めるサイズで!)、宇宙進出という点については酷く緩慢であると言わざるを得ない。


 周囲には謎と企業間抑止力(核兵器のように一本化された技術による相互確証破壊ではなく、企業それぞれが保有する独自の奇妙なテクノロジーの得体がしれないために、互いに攻撃することができないというこの世界の基本理念を指す)に基づいた倦怠感が満ちており、空に輝く星と地上の人間の距離は離れていく一方であった。


 E.Mechanicは軌道上および地球圏内部での活動については広く公開しているものの、その内情は固く閉ざされていた。そして、公開されている文書についても信憑性を疑う声が多い。第三者による観測が事実上不可能な領域であるためだ。


 ともかく、この男──コガ・トウジの知っているE.Mechanicという企業はそれだけに過ぎない。彼が抱えている社員らしきロボットはもっと別な何かを知っている可能性もあるが、とはいえ今はそれが重要なわけでもかった。


 空を滑るように走るE.Mechanicの空路運用ビークルの中に、上半身だけを抱えられた職員が一人。その座椅子代わりになっているのが、コガだ。


 ビークルと接続したことによって、システムの数割ほどを復旧させた職員は、先ほどなあなあで終わらせられた商談の続きを始めることにした。


「今この車両に乗っているということは、承諾したと受け取らせてもらう。異論ないか? ないよな」


「……」


 職員に捲し立てられても、古賀は語る言葉を持たない。まだ話すら聞いていないし、性質も分からないのに、相槌を打つ気力は湧いてこない。それは仕方のないことだ。


 眼下に広がる街の景色は無感動に流れていく。同じように空を飛ぶ各社のビークルは、これと同じように鋼に覆われている。


 実際この乗り物に窓ガラスや類する透明な構成物は何処にも存在せず、無数に隠蔽された各種センサが取得した情報が、共通規格を通して網膜に投影されているのだ。


 共通規格とは、つまりOSに準じた規模で広く展開されていて、普段断絶の様相を呈している各社間ですら融通が効いていた。


 張り巡らされた何の物かもわからない大量のケーブルが、膝の上にくずおれかけている職員のものと似てかすかにふるえているように見える。


「喋る気が無いならはいかいいえで最終的に答えればいい。なんであればサインするか、ボタンを押すだけでも構わないが」


「まあ、傾聴の構えがあるということにしておこうか」


 鷹揚に語り始める機械。最初であった時の烈火の如き怒りとも、先ほどの消え入りそうな雰囲気とも違う企業人特有の高潔さ、傲慢さ、そして富貴さが鼻につく。


 丁度真下をシンノウの支社が通り過ぎた。大してかわいくない、破滅的センスのマスコットキャラクター看板が磨き上げられた光沢にLEDライティングを反射してきらきらと輝いている。


 酵母による公募──誰が言い始めたのかもわからない、そのキャラクターを表すくだらないダジャレではあるが、人間に思い付きそうもない(ましてや、昨今のAIはもっと美しいアイデアを出す)奇天烈なデザインは、確かに山のようなたんぱく質の海の中で生き物を生み出しまくる企業形態にふさわしいものだった。


「君と私は、今いくつかの責任に追われているね」「窃盗と、その秘匿」「ついで街中での無許可戦闘行為」「あまつさえそこから逃亡したし、結局窃盗品をお互いに失った」


 耳を傾ける、というよりは目の前にある鉄の塊から響いてくるので、傾けずとも聞くほかになかった。


「君もその“先輩”とやらも、ただ我欲で“アレ”……最新式の計算装置を欲しがっていたわけじゃないだろう?」


 その通りだった。彼らには顧客が居る。誰が、何のためにやるのかもわからない、ただ目標物だけを吊り下げられた依頼である。


「この際それは不問だ。これ以上君に責任を押し付ければ私も巻き込まれかねないからな」


 実際、守秘義務はある。し、何処が依頼してきたのか、無理やり掘り起こせばろくなことにならない。大抵探偵に非合法な任務を通してくるのは、直接企業とぶつかっては不味い輩である──そしてそれは、大抵ヤクザや半グレなどではなく、ほかならぬ企業そのものだったりすることの方が多いのだ。


 そういうものの逆鱗に触れてしまった場合、例えば津波に巻き上げられる藻屑と同じようにして、対象は人生の幕をひっそりと閉じこの世を去ることになる。加えて、この時代の逆鱗はとても触りやすいところにある。


「私たちがやるべきことはただ一つ。何もかもをもとある場所に戻して、とにかく失敗をゼロに戻すということ」「そうしてようやく、私たちは元の平穏に戻ることができる。互いを許す許さないの土俵に戻ることができるということだ。わかるな?」


「はい」


 ひとつ、頷き。


「間違いのないように言うが、これは探偵だとかそういう契約の範囲にない」


「私と、君との契約だ。最早仕事だとか、生活だとか言っている場合じゃないことはわかるだろう」


 凱旋には程遠い惨めさを纏い、街はずれの広々とした工業地帯へと辿り着く。高度にオートメーション化された、人気の感じられない地域だ。


「弊社は慈善事業にも力を入れている。君も作業員として働く弊社職員を見たことはある筈だ」


「あんなもの本来は必要ない。見ろ、ここに居るのは私と魂を同じくする機械だけだ。それも何時まで持つかはわからないが、とにかく私の権限が続く限りはそうだ」


「E.Mechanicは責任を正しく認識し正しく行使できるものだけが成長する。愚直にやればいいわけではない」


 長話と共に機体が降下を始める。浮遊感はなかった。反重力装置を逆転させて(つまり、ただの重力装置である)、1G環境を常に維持していたからだ。


 工場屋上が綺麗に割けて、内部のシステマチックに構成された発着場兼ガレージが露になる。ガイドラインとしてLEDに電力が走り、指向性の強い青白色の光がまばゆく輝いた。

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