昇降機の麓 Vol.2
「ようこそ。ここは私の私的な生産施設だ」
ハッチが開き、ハイポリマー特有の匂いを含んだ工業的な大気が流れ込んでくる。同時、多数の歩兵機械がこちらに向かって歩いてきた。
それらはコガの抱えていた職員の上半身をリニアなかくついた動きで受け取ると、歩いてきた別な素体──無事だった頃のドレッド・チューブそっくりな見た目をした機械歩兵にリンクさせた。
また共通規格のコネクタが開かれて、その間をつなぐ黒いケーブル。
ほんの数秒で、作業用機械に過ぎなかった機械歩兵が、しばらくぶりにみた動きで身振りを交えながら話し始めた。
「ひとまずは快復と言ったところか」
クリアでシャープな合成音声。動力をケチっていない、高級感漂うもの。話す内容にも説得力が出る。コガは内心辟易としながらも、しかしそれが安心だと言っているところを見るに、とりあえず死地から脱したのだと納得することにした。
ドレッド・チューブは新しい身体で古い身体を後ろに投げ捨てながら(回収役の機械が既にスタンバイしていた)話し続ける。
「だがここからが本番だ」「まだマイナス、ここから一つでも失敗すれば首は飛ぶわけだ」
力なく停止する職員だったものが、分厚い合金扉より外に運び出されていくのが見えた。
「具体的な判断は適宜下していく必要があるが、ともかく目標は明確だ」「お前の先輩、その足取りを追え」
自分だったものを見送ることもなく、そいつはまた別な機械から受け取った無骨な正六面体の端末を手に持って操作していた。
「その間、貴方はどうしているんです?」
「隠蔽工作だ、これを怠れば即刻我々は監査職員に良くて連行、悪い場合その場で射殺されかねない。誠意と欺瞞を両方使い倒して、君が彼女を捕まえるまでの時間を稼がなくてはならないからな」「だが安心したまえ、私は平行作業の一つや二つは簡単に処理できるほどの能力を持つ。君の疑問には出来る限り答えよう。他、何かないか」
寛大な支配者を演じているのか、それの動作はコガの先輩を殴り倒していた時より極端に緩慢であり、そして意図的に隙だらけである。腕を大きく広げて、身振り手振りをわざとらしく見せつけている。
「いえ、思いつかないですね……現場で色々聞かせて頂きます」
「付け加えると……私は直接的な支援は出来ない。要するに物資を直接君に譲渡するとか、そういったものは足が付くからな」
「そういえば、お名前は?」
コガは微かに逡巡した後、この職員の名前だけでも聞いておくことにした。ドレッド・チューブの機械だとしか形容できない姿で、そんな特徴的な姿の人間はそうそういないと断言できるだろうが、それでも直接呼びつける時にそう声に出すのは、彼の中では憚られた。職員とだけ呼ぶのも、それはそれとしてややこしい。そして、この依頼はE.Mechanic内部の内乱にも繋がりかねないために、区別するための手札が欲しいと考えていた。
「それは必要か?」
コガの考えとは裏腹に、自分の名前を問いただされたそいつの口ぶりは、どういうことかあからさまに不機嫌そうだった。
なんでも聞いていいとは、往々にして文面通りの意味を持たない、あるいは持てない定義の言葉ではあったが、それに関していくら知識を深めようともこうして実際に引っかかることは枚挙にいとまがなかった。コガの先輩であれば名前など気にせず仕事に向かっただろうが、一方のコガはこういう細かいことを気にしすぎて逆に引っかかるタイプでもあった。
「追跡の途中、E.Mechanicの他の職員と衝突した際に混同します」
「共通規格の認知対象判別※を使用すればよいだろう」※(共通規格は翻訳機としての役割も担っている。言語の変換はもちろん、意図した言葉が意図した通りに伝わるように、互いに共通した感情解析システムが一般化されているのだ。とはいえ、高度に隠蔽された真意などは、これもまた共通規格によって隠蔽されるために、その内容をくみ取ることは困難となる)
「こうして誤謬が発生していることが現実です。私にはあなたほどのスペックがありません」
「煩わしい。普段であれば高級品をインプラントしていたところだが、そうとなれば仕方がないな」「エンカルナシオン=デレオン・ドローレス・エスカランテ。敬称は好きに省いてもらって、いずれで呼んでもらっても構わない」
「わかりました、エンカルナシオン様」
「まあ、面を突き合わせて衝突するような状況になった時点で、仮に混同しなくともお前は死ぬと思うが」
ドレッド・チューブ、もといエンカルナシオンは、自己紹介に関してのみ、先ほどまでの饒舌な計画談義とは打って変わってそこまで楽しくなさそうな雰囲気を纏っている。
コガはそれについてなお気をひかれていたが、この不機嫌な職員に対してこれ以上込みいった話をするのも恐ろしいので、波だった心の機微を無視してそのままにしておくこととした。
「なんだ、私の顔色ばかり窺っていても何も進まないぞ。今の状況でお前が何か考えても無駄だ。お前自身の伝手を当たりまくれ、お前とその先輩の足取りを洗って動向を追うんだ」
「はい」
またガイドラインが点灯する。青白色のLED、光量は多い。半ば追い出されるかのように、エンカルナシオンはここからいったん出ろと促してくる。機械歩兵がコガを取り囲んで、やがて光の先で扉が開いた。
歩みを進み、扉を一つ潜り抜けるごとに、後ろで通路が塞がれる音が聞こえ、目の前で扉が上がる様子を見る。
そうしていくつか曲がって、潜って、ガイドラインの高さに網膜の焼き付きが出来そうなほどの時間を歩いた後に、また荒涼とした工業地帯の空気を感じる。
ハイテック特有のポリマーの匂いではなく、何処か閑散とした、強化アスファルトと申し訳程度の街路樹の香りだ。
彼は空調の聞いた通路から外に出て、少しばかり極端な外気に身を晒した。彼の後ろについてきていた歩兵二機は、今まで一定の距離を保っていたのがまるで嘘かのようにして、工場建物内から出てこない。扉と外界のギリギリのラインピッタリで足を止めて、センサの光沢ない瞳から視線を投げかけていた。
コガは歩き始めた。先輩も、そしてあの厄介なエンカルナシオンとかいう職員も伴わず、少しだけ伸びた寿命を本当のものにするべく歩き出したのだ。
彼はまず、先輩の足取りを追うことにした。“探偵”とは、人と人の反発作用から事件を明るみに削りだしていくのだ。彼はそう信じていたし、それが先輩の教えでもあった。
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