6分0秒小説『鋼鉄皇女と黒の塗り手』
レンガ造りの塀を背もたれにして路上に横たわる子供左脚膝から先が無い。大きな黒目で看板を見つめている。看板には「徴兵」「税」の文字――皇女が議会をねじ伏せて発令した政令だ。
皇女――先の戦争で重傷を負った皇帝の代りに国を統治している。世間では専ら”鋼鉄皇女”と呼ばれ、恐れられてる。
子供の視界を塞ぐように看板の前に立つ学生、看板を一瞥し、唇を噛み締め、子供に歩み寄り、無い左脚に置かれた帽子に銅貨を一枚入れた――音が二つ鳴った。もう一枚の銅貨はどこから?学生の腕と並行、細い腕が伸びている。
「戦争が早く終わればいいですね」若い女だ。学生はまじまじと女を見て「すべて皇女が悪いのです」
「世間ではそう言われていますね」
「ええ、市民の怒りは頂点に達しています。だから”黒の塗り手”のような反乱分子が現れたのです」
「黒の塗り手……」
「知りませんか?ブラックペインターとも呼ばれています」
「その呼び名を耳にしたことはあります。でも――」
「でも?」
「まだお会いしたことはありません」
「はは、当然でしょう。彼は進出気没!市民の怒りを代弁する正体不明の英雄です」
「私が聞いた評判とは真逆ですね」
「真逆?」
「お触れ書きの看板を破壊するならず者だと聞いています」
「そんなことはないっ!彼は命を賭して、皇女に反抗している立派な人間です。看板に書かれた悪法を黒く塗りつぶし、余白に風刺画を描く――見たことありませんか?皇女が巨大な筆で、国土を黒く塗りつぶしている風刺画」
「見たことあります」
「彼は芸術で皇女に戦いを挑んでいるのです」
「それは存じ上げませんでした。じゃあ今から私も彼の支持者になりますわ」
「ふふ、あ、僕の名前はジャン、学生です」
「私はマリー」
握手を交わし「ジャン、貴方絵を描かれるのね」
「どうしてそう思うんですか?」
「手を見れば分かりますわ。私も絵が好きなの」
「良かったら僕の描いた絵を観に来ませんか?」
「まぁ、招待してくださるの?」
「ボロ宿ですが、良ければ是非招待させてください」
「喜んでお受けいたしますわ」
********************
緋色の絨毯に、男が蹲っている。手枷を嵌められ、顔には殴られた痕。混ざり合った血泥汗が髪を頬に糊付けしている。
「マリー、君が皇女だったとはね」
睨みつける眼、白眼に稲妻のような毛細血管が走っている。
「ジャン、貴方が黒の塗り手だったなんて――」
「白々しいよ。分かっていて探りを入れたんだろ?それにしてもまさか皇女陛下自らお出ましになるとはね。僕が逮捕されたのは、君と出会ってから3日後だ。僕を憲兵に密告したな?!」
「ふふふ、そうかもしれないわね。でも信じて、私は黒の塗り手の信奉者の一人よ。彼の動機は立派だわ」
「ふざけるな!そう思うんだったらこの戒めを解けよ!」
「いいわ」皇女が憲兵に目配せする「外してあげて」「ですが陛下――」「外しなさい!」緩慢な動きで憲兵がジャンの手枷を外す。
「黒の塗り手、貴方に一つ、描いて欲しい絵があります」「……風刺画かい?」憲兵が鉄のブーツで背中を蹴る「お止めなさい!」
「光を描いて欲しい」
「光?」
「できますか?画材一式はここにあります」
「……」
「もしも、私の目に敵う絵を描くことができたなら、無罪放免とします」
「無罪放免?」
「それだけではありません。お触書を塗りつぶす権利を貴方に差し上げましょう」
「はははは、なんだそれ?きっと貴女は、僕がどんなに素晴らしい絵を描いても認めないつもりなんだ。そうだろ?」
「そんなことはしません。ほら、真珠貝を原料にした最高級の白絵の具を用意しました。これを使って光を描くことが出来ますか?」
女王が画材一式をジャンの前に差し出す。「どうせ死刑にされるなら、最後に」ジャンは、立ち上がり、受け取る。イーゼルに乗せられて、白いカンバスが運ばれてきた。
「さぁ、光を描いて!」
ジャンは、不敵に笑い、カンバスの前に立った。そして筆に真珠の絵の具をたっぷりと含ませ――動きを止めた。
「どうしたのです?さぁ!」
「……描けない」
「何故です?」
「この絵の具では描けない」
「分かりました。では絵の具を追加しましょう。何色の絵の具が必要ですか?」
「……黒を」
「黒?」
「……真っ白いカンバスに、白い絵の具を使って光を描くことは不可能だ。光を描くにはまず、闇を描く必要がある」
「そのカンバスは国土です。黒く塗りつぶすことは、市民への圧政と同じです。だから許しません――黒い絵の具を使うことは」
「……貴女の発した政令も、同じだと言いたいのですか?国に光をもたらすために、貴女は敢えて圧政を敷いたのだと?」
「そうは言いません。ただ私も貴方と同じ、光を描く為には黒い絵の具が必要だと思います。富める者から税を取り、若い男に国土を守らせる。未来を担う子供たち、そして新しく生まれてくる命が、私にとっては光なのです」
ジャンは筆を落とした。皇女は笑った。
「素晴らしい絵です。一面が光で覆われています。ジャン、貴方を赦します」
********************
レンガ造りの塀を背もたれにして路上に横たわる子供左足の膝から先が無い。大きな黒目で看板を見つめている。看板には「福祉」「配給」「住居」の文字。
学生が子供に歩み寄り、無い左脚に置かれた帽子に銅貨を一枚入れた――音が二つ鳴った。
「この子を施設に移します」
「マリー……」
「手伝ってくれますか?ジャン」
「Yes, Your Highness.」
「まぁ、畏まらないでくださる?」
「でも君は皇女で僕は……」
「私はマリー、恐ろしい皇女陛下の命令で福祉を行っているか弱い女の子、少なくとも今はね」
子供の手を取り「さ、貴方も肩を貸して」
ジャンは笑って手を貸す。二人で子供を抱え上げ、荷馬車まで運ぶ。
「ねぇ、また貴方の絵を観に行ってもいい?」
「……ボロ宿だよ?」
「いいの。私、貴方の絵が好きになっちゃった。そして――」
表通りに出ると、陽が強く照り付けていた。
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