6分40秒小説『Pharisee』
刑事部門に十二年従事。現在、捜査第一課で、殺人、強盗、性犯罪などの強行事件の事件を担当している。私についてそれ以外に説明することは無い――いや、あった。バツイチのシングルマザーだ。本当にシングルだ。悲しいくらいにシングル。
「署に戻っていいわよ」
「阿古谷さんは?」
「あと一件だけ、聞き込みしてから署に戻る」
「駄目ですよ。またパチンコでしょ?」
「バレた?内緒にしといて、どうしても打ちたい台があるの」
「分かりました。でも早く帰って来てくださいよ。”女児連続失踪事件”だけでも手一杯ですが、例の件も並行して捜査中なんですから」
「例の件?」
「ちょっと!しっかりしてくださいよ”パリサイ人”の件ですよ。阿古谷さんが命名したんでしょ?」
「嗚呼、あの件ね。分かっている。じゃ、今度奢るから、宜しく」
エノケンを帰らせ、一人、聞き込みを再開する。玄関のチャイムを鳴らす。
「あら、お昼にもいらした――」
「はい、桟橋署の阿古谷です」
「何か?お忘れ物?」
「ええ、ちょっとお伺いしたいことがありまして」
「どうぞ、お入りになって」
リビングに通される。見渡す――大小様々なガラス容器、中に油漬けの花が入っている――そんな言い方をすると身も蓋も無い。夫人に言わせると、”ハーバリウムオイルにブルザードフラワーを漬けている”だそうだ。
旦那さんは長期海外出張中、お子さんはいない、いや、いたが交通事故で亡くしたらしい。壁の棚、ハーバリムの瓶の隙間を埋めるように、子供を描いた絵が飾ってある。痛ましい。私には、彼女の痛みが、分かる、それこそ、痛い程。
「お昼にも拝見しましたが、素晴らしいですね」
本心では無い。出された紅茶をすすり、ひねり出した会話の端緒だ。苦い、カップを覗く、花びらが入っている。そういうお茶なのだろう。
「有難うございます。阿古谷さんにも是非始めて頂きたいわ」
橘夫人、ハーバリウム作家、文化センターで教室を開いている。それらしい服装をしている。薄い化粧、白すぎる肌。むやみに欠陥が浮き出た手の甲。
「そのうちにまた。早速ですがお昼に聞きそびれたことがありまして――」
「何かしら?」
「二人、小さな女の子が行方不明になっている事件についてですが――こちらの写真を見て頂けますか?」
「はい……嗚呼、駄目、まともに見れないわ。お話した通り、私もこどもを事故で亡くしているから……とても他人事とは思えなくて」
「一人目の子が失踪時に着ていた服です。よく見てください。何かお気づきになりませんか?」
「服ですか……いえ、特には」
「ではこちらの写真、同じく二人目の子が着ていた服です」
「ええ……ごめんなさい。拝見したけど特に何も気づくことはありませんわ。お力になれなくてすいません」
「壁に飾られた絵は、橘さんが?」
「はい、ほんのお遊びです。印象派が好きで、独学ですけど――」
「お昼にお伺いした時に、気付いたんです。壁に飾られた絵は三枚、そのうち一枚、絵に描かれた子供の着ている服が、よく似てるんです。失踪した一人目の子が着ていた服と」
「まぁ、偶然ね」
「二人目もです。そして三人目。いや。正確にはこれが一人目なんだと思います。あの後、署に戻って調べました。この絵の子が着ている服、貴女のお子さんが事故に遭った時に着ていた服に似ています。これは、偶然でしょうか?」
「偶然でしょう。大体、子供の着ている服なんて、どれも似たようなものですし――」
「印象派、ですか?不明瞭ですが、この子たちの顔、とても悲しそうですね。”親とはぐれた子供が、涙を出さずに泣いているよう”そんな印象を受けます。私は……あれ……どうしたんだろ?……なんだか気分が」
「昼間いらしたとき、熱心に絵を観ていらしたので、ひょっとしたらと思いました。でもそれよりも、貴女を一目見たとき、”この人だ”って思ったんです。ご心配なく、死に至る薬ではありません。紅茶、お味を気に入って頂けたようで嬉しいわ。さ、じゃあ私のアトリエへご招待するわ」
拘束はされていない。その必要もない。筋弛緩剤のようなものを飲まされたのだろう。薄暗い部屋、地下室だろうか?夫人の背中が見える。
「ここが私のアトリエ、ここで沢山のハーバリウムを作成したわ。その中でもお気に入りが、この作品たち」
間接照明に照らされて、見える。
「幸い主人も私もカトリックの信者なの。だから土葬したのよ。一人でこっそり掘り起こすのは大変だったわ。でもいい作品を作るためには苦労しなきゃ。さ、巳奈子、挨拶して、阿古谷警部補よ。あなたの服に気づいたの。素晴らしい観察眼よね。お次はこちらの作品、ハーバリムを見せたら興味しんしんでここに来てくれた。背が高い子だから、この子の硝子容器だけ、サイズが違うの。そして最後の作品、この作品を仕上げたときに思ったの”この子の隣には、大人の女性を並べたい”って、『お母さん!お母さん!』って酷く泣き叫んでいたから、一人では寂しがると思ったの。そこに、貴女が現れた。私が思い描いていた理想の女性よ。憂いを刻んだ皺、お子さんはいない?お昼にはそう話してらっしゃってけど、嘘でしょ?分かるの。お子さんを亡くされたんでしょ?ワタシと同じ眼をしているもの。暗く輝いている。悲しみを怒りに変換して、無理に日々を暮らしている。そうなんでしょ?」
「……私は、お前とは違う」
「いえ、同じよ。聞いたの。生徒の中に旦那さんが刑事の方がいらしたから。お子さん、殺されたんだって。刑期を終えた犯人に、逆恨みされて――」
「言うな!」
「あら、怖い顔。あ、そうだ。お子さんの写真が見たいわ。作品を仕上げる前に、創造意欲を掻き立てたいの。スマホは?鞄の中?ロックは掛けてる?ま、どうでもいいわ。指紋でも虹彩でも認証はできるものね」
橘夫人が、私のスマホをバッグから取り出す。
「待ち受け、お子さんの写真なんでしょ?ふふ、当たってたら褒めて頂戴」
夫人がスマホの電源ボタンに触れた。そして痙攣し、倒れた。
********************
どれくらい経っただろうか、体が動くようになった。立ち上がる。夫人は倒れたままだ。スマホを取り上げる。正確にはスマホじゃない。スマホの皮を被った改造スタンガン。夫人の首筋に指を押し当てる。心臓に持病でもあったのだろうか?ま、手を下さなくてもよいのは楽でいい。
夫人の作品を見る。硝子容器の中、裸の子供が浮かんでいる。沢山の花と一緒に。天使のようだ。
「見とれている暇は無い」
早く署に戻らないと、エノケンに怒られる。何しろ案件が重なっているのだ。女児連続失踪事件と、殺人者を殺す殺人者、”パリサイ人”の案件が。
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