5分0秒小説『猫が降るセカイ』

 空から猫が降ってくる。

 今日は猫日和。

 天気予報は嘘をついた(いつものことだ)。


 俺は猫傘を開き、病院に向かう。降ってきた猫が傘にぽすぽす。小さな橋の上、川面を埋め尽くす無数の猫、にゃーにゃーと流れて行く。

(誰が望んだんだ?こんなセカイを)。


 橋の上に人影、中学時代の恩師だ。

「先生、おはようございます」

「おお、おはよう」

 先生は俳句が趣味だ。

「今日はいい句が浮かびそうですか?」

「いや、ダメだ。相変わらず猫だよ。どうしたって猫に目がいってしまう」

 先生の持つ短冊には「猫」とだけ記され、その後に連綿と空白を続かせている。

「老人には辛いよ。僕は猫世紀以前のセカイを知っているから尚更だね」

「お察しします」

「え?聞こえない」

 川の勢いが増し、猫が一斉に鳴き出したせいで、何も聞こえない。にゃごにゃごと猫濁流。会釈をして、別れた。

 

 路上に乗り捨てられた車。猫が降ってきたから皆仕方なく車を乗り捨てて歩き出す。まるで猫難民だ。救急車が立ち往生している。ストレッチャーに血だらけの患者を乗せ、白衣の大人達が怒号をあげ走っている。併走する無数の猫。


 エントランスから気密室に入り、大量のエアーを浴びる。ランプがレッドからグリーンへ。ぷーんという音がしてドアが開く。隔離病棟へ向かう。そして彼女の待つ病室へ。猫アレルギーの、彼女が待つ病室へ。


 彼女はベッドの上、半身を起こし窓の外を見つめている。窓の外、空から降る猫たち。

「三毛猫だ」

 譫言のように彼女がつぶやく。

「三毛猫だからなんだって言うんだ?」

「え?いつ来たの?」

「今だよ」

 俺はカーテンを乱暴に閉める。

「こんなセカイ見るなよ」

「でも猫が」

「猫がなんだってんだ?」

「止めて、大きな声を出すのは」

「分かってるよごめん」

 僕はベッドに腰掛け、彼女の手を握る。

「きっと君をここから出してやる」

「無理よ」

「どうして?」

「だって猫が」

 沈黙。彼女の手を強く握る。

「痛いよ」

「ごめん」

 彼女は猫教徒(ネコリタン)だ。猫アレルギーなのに誰よりも猫を愛し、信奉している。

「神様はいない」

 俺の荒んだ声帯が絞り出す。彼女は微笑み。

「でも猫がいるわ」

 と言った。

「帰るよ」

「え?もう?」

「顔を見たかっただけだ」

 病室をあとにする。リノリウムの床を叩く靴音、決意を秘めている。彼女の笑顔を見て、心が奮い立った。


 俺は、猫レジスタンスに所属している。部署は開発部、猫を駆除する兵器を開発する部署だ。

 イヤホンを耳穴に押し込み再生ボタンを押す。ぽくぽくと木魚を叩くような音、俺が発見した音、マタタビ音。この音を聞くと、猫は理性を失い一目散に音目掛けてて走り出す。

(この音とトラップを組み合わせれば、猫を一斉に駆除できる)


 病院を出て空を仰ぐ、猫は止んでいる。

「待ってろよ。今にセカイ中の猫を皆殺しにしてやる」

「え?」

 振り向く――どうして?

「外に出ちゃ駄目だろ!」

「忘れ物、帽子」

「そうか、早く部屋に戻れよ」

「今、怖い事言ってなかった?」

「言ってない」

「猫を……皆殺しにするって」

「さぁな、いいから早く戻れ。ここに居るととアレルギー反応が――」

「お願い。猫を殺すなんて、二度と言わないで」

「一緒に部屋に戻ろう。猫が降ったばかりだから、そこら中にアレルゲンが――」

「いや、戻らない」

「おい!いい加減にしろよ!」

「こっちの台詞よ!猫を殺すだなんて……どうして?どうしてそんなこと言うの?」

「お前の為だ」

「私の?」

「そうだ。セカイから猫が居なくなれば、外を自由に歩けるようになる。一緒に買い物をしたり、食事したり、今まで出来なかったことが出来るようになる。だから俺は――」

「私は、そんなこと望んでいない」

「はぁ?どうして俺の気持ちが分からないんだ?!二人の為なんだぞ!」

「さっきは”私の為”だったのに、今”二人の為”って言った。でも分かってる。本当は貴方の為なんでしょ?」

「ふざけるな!」

「あっ」

 彼女の頬を打ってしまった。

「……済まない」


 にゃー


 猫が足に絡んできた。

「こら!どっか行け!」

「別れましょ」

「早く病室へ、今にここも猫だらけに……え?」

「私は猫が居ないと生きていけない。でも貴方は猫を憎んでいる。憎んでいるだけじゃない。殺そうとしている。一緒に居られない。幸せは無い」

「……俺の事、愛していないのか?」

「聞かないで、さようなら」

 彼女の後ろ姿、気密室に吸い込まれる。


 俺の足は動かない。よじ登る猫、振り払うことも出来ない。見上げる窓、彼女は、多分俺を見ていない。猫が降って来る空を、いつまでも眺めている。


「はは……ははは……あはははははは!」 

 俺は、猫音を鳴らした。大音量で。さっき降った猫が、群れとなって迫って来る。

「どうして、うまくいかないんだろな……こんなに愛しているのに」

 数百匹の猫に埋もれ、呼吸が静かになってゆく。

 遠のく意識。走馬灯、せめて彼女との思い出を――でも浮かぶのは猫ばかり。

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