9分0秒小説『ズ』
倉庫も人手不足と聞いていたが、1人回してくれるらしい。有難い。しかも新人。4月に入社して倉庫で1か月、それならばまだ汚れてはいまい。長らく倉庫勤めを経験した人間は皆、営業に対して偏見や不満を抱くものだ。でも1ヶ月ならばまだ大丈夫だろう。。
峯石君、峯石正志君、どういったキャラなのかよく知らない。入社式での挨拶の様子からして、きっと真面目な青年だろう。そうであって欲しい。いや、そうでないと困る。先週辞めた佐々木みたいなチャラ男でないことを祈る。あの野郎、親戚のコネで入社したくせにすぐに辞めやがって!
「おはようございます」
元気な声、振り向く、峯石君だ。
「本日から営業課に配属となりました峯石です。宜しくお願いします」
一礼し、つかつかと俺のデスクの脇を通り抜け、課長の前に立つ。
「課長、宜しくお願いします」
「ああ、宜しく。皆、峯石君、顔くらいは知ってるよな。倉庫から異動となった。色々と教えてやってくれ」
「はい」
「宜しく」
「宜しくお願いします」
「峯石君の机は、高木君の隣、高木、頼むぞ」
「はい、峯石君、宜しくね」
「高木先輩、宜しくお願いします」
「じゃあ、さっそくだけど、前任の佐々木君が受け持ってた取引先へ、担当が変わりましたという挨拶の電話をしてもらおうか、これがリスト」
「ありがとうございます。えーと、どんな風に、その、どの様に電話で言えばいいでしょうか?自分、口下手なもので――」
「はは、そんな難しく考えなくていいよ。『弊社の佐々木が、退社致しまして、代わりに担当となりました峯石です。今後とも宜しくお願いします』みたいな感じでいいよ。いける?」
「はい、大丈夫です」
と、椅子に座るとリストをしばらく眺め、意を決したか小声で「よし」と、受話器を手に取る。
「初めまして。お電話で失礼致します。私、青柳電化サービスの峯石と申します。お世話になります。弊社の佐々木が先日退社致しまして、後任として御社の担当となりましたので、今後とも宜しくお願いします。はい、そうです。ええ、ええ、いえ、峯石です。あ、峰岸ではなくてですね。峰石、峰竜太の峰にストーンズの石です。はい、そうです、今後とも、ええ、本来であればお伺いすべきなんですが、こういった状況ですので何ぶん、ええ、はい、宜しくお願いします。では失礼足します」
受話器をゆっくりと置き、「ふー」と一息。
「峯石君、いいよ。上手じゃない」
「あ、有難うございます」
その後も峯石君は、無難に電話をこなしていき、順調にリストを消し込んでいく。
「――弊社の佐々木に代わりまして私、あ、聞いておられますか、峯石と申します。え?いえ、違います。峯石です。峰竜太の峰に、ストーンズの石です。はい。今後とも宜しくお願いします。
「――青柳電化サービスの……あ、そうです。佐々木の後任の、はい、峯石と申します。いえ、峰岸ではないです。峰竜太の峰にストーンズの石です。え?あ、ゴルフですか?はい、多少は、あ、ではまた機会がありましたらぜひご一緒させていただきます。今後とも宜しくお願いします」
「――いえ、違います。峰石です。峰竜太の峰にストーンズの石です。はい、今後とも宜しくお願いいたします」
「峯石君」
「はい?」
「ちょっといいかな?」
課長が呼んでいる。その時にはその程度にしか思わなかった。
「ストーンでいいだろ?!」
「え?」
「いや、峰竜太の峰はまぁ許すとして、ストーンズじゃなくて、ストーンでいいんじゃないかな?」
「え?仰ってる意味がちょっと分からないです」
「いやだから!峯石君の名前を先方が聞き間違えるくだりがあるよね?何故か必ず。あそこでどうしてイギリスのロックバンドが出てくるんだよ」
「え?」
「まだ分らんのか?ストーンズって言わなくてもストーンで伝わるだろって言ってるんだ」
「ストーンズ?いえ、自分言ってません」
「はぁ?」
「自分、ストーンって言いました」
「いやいやいや、何回も聞いたからストーンズって、高木っ!お前も聞いたよな?ストーンズって言ってたよな?」
「ええ、まぁ、そうですね。俺にもそう聞こえましたが――」
「ほら見ろっ!いいか峯石君――」
「課長っ!」
「な、なんだ?」
「すいませんでした。自分的にはストーンって言ってたつもりですが、ストーンズって聞こえてしまったのかもしれません」
「いや、聞こえたじゃなくて言ってただろって」
「言ってません。信じてください」
マズいと思った。瞬間湯沸かし器の異名を持つ課長、この度はよく我慢した方だ。でも噴火の予兆が見える。
「か、課長、抑えてください。まだ初日ですし、本人も反省しているようなので――」
「ふー、ふー、ふー、1……2……3……4……5、すまん。ちょっと熱くなってしまった。頭を冷やしてくる」
「あ、はい」
「すいませんでした」
課長は足を止め、また1から5まで数えて部屋を出て行った。
「峯石君、駄目だよ課長に逆らっちゃ」
「はい?」
「いや、君的には言ってないのかもしれないけど、課長にそう聞こえたのなら、素直に謝っとけばいいんだよ。課長、会社の命令でカウンセリング受けてるんだよ。アンガーマネージメントの。聞いたろ?5まで数えるやつ。本当は『興奮したら6まで数えろ』ってカウンセラーに言われてるのにせっかちだから5までしか数えれない――いやそんなことはどうでもいい。兎に角ああいう時には素直に謝る。ok?」
「高木先輩、実は僕――」
「何?」
「実は僕、ストーンズって言ってたんですよねさっき」
「え?」
背を伝い、腰の辺りに冷たい汗が落ちた。それを合図に戦慄が走る。ぞぞぞと足音立てて背骨を駆け登り、うなじへ消えていく。
「え?どういうこと?」
「いや、ストーンズって言ったことを認めたら怒られるんじゃないかと思って、とっさに嘘ついちゃいました」
「マジか……」
「はい、マジです」
「いや……ここで君が『マジ』っていうのはおかしい」
「そうですか?」
「そうだよ」
苛ついてきた。
「大体なんでストーンズって言ったの?課長が言うようにストーンでいいじゃない?」
「いや、ストーンズの方が分かりやすいと思って――」
「どうして?」
「どうしてって言われても……強いて言うなら自分、バンドやってたんで」
「知らんわっ!」
バンッ!思わず机を叩いてしまった。
「ご、ごめん。ついカッとなって」
「大丈夫ですよ先輩、気にしないでください。自分そういうの全然平気なんで」
苛っ。
「峯石君、君の為に忠告するんだけど、なんて言うかその、空気を読むっていうか、うーん、いやなんて言えば分かるかな。いや失礼とまではいかないけどなんというか、君の言動って、ちょっとズレてるよ」
「よく言われます」
「……やっぱりそうなんだ」
「はい」
「ごめんね。責めてるわけじゃないんだけど、直した方がいいよ」
「有難うございます。高木先輩ってほんといい人ですね。先輩の下でなら自分、なんとかやっていけそうです。実は倉庫でも皆に同じようなこと言われてて正直ムカついてたんですけど、なんでだろう。高木先輩に同じこと言われてもあんまりムカつかないんですよねぇ」
「ああ、そう」
(あんまり?じゃあちょっとはムカついてるってことじゃないか?!)
「ごめん。コーヒー買ってくる」
「はい。じゃあ僕は電話の続きをしてます」
「ああ」
『ズって言うなよ』とここまで出かけたが止めた。自販機でコーヒーを買い、頭を冷やしに非常階段の踊り場へ、一人になりたい。そう思って扉を開けると、先客が居た。
「か、課長?何してるんですか?」
「見りゃ分かるだろ?ヨーヨーだよ」
「な、なんでまたそんなことを?」
「カウンセラーに渡された。これに集中していると怒りが静まるそうだ」
異様な光景だった。五十がらみのおじさんが階段の踊り場で黙々とヨーヨーって。
「課長」
「ん?」
「それどこで売ってますか?」
「どうした?好きなのか?これ」
「いえ、そういう訳ではないんですが――」
課長は俺の顔をまじまじと見つめ、あの後何が起こったのか察したらしい。
「やるよ」
「え?いいんですか?」
「ああ、実はもう一個持っとる」
課長のポケットから、けたたましく赤いヨーヨーが出てきた。
しゃー、膝の前で暫く鳴り、しゅるる手のひらへすっぽり。
沈黙、そして顔を見合わせ笑った。なんとも力無く乾いた笑い、錆びた階段で跳ね、空へ飛んでく。
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