5分50秒小説『野々垣』

「ラーメンも旨いが、一番人気は餃子だ。この店のお勧めの食べ方があるんだ。こうやって、小皿に酢を入れて、そして胡椒を適量振りかける。これ、酢胡椒っていうんだ。野々垣君もやってみて」

「はい、先輩。あ、でも僕いいです」

「まぁ、そう言わずに、これ見てよ。酢胡椒の作り方ってわざわざテーブルに貼ってんだぜ。絶対旨いから、さ」

「いや、でも僕は、普通のタレでいただきます」

「まぁまぁ、そう言わずに。じゃあさ、取り合えず一回、酢胡椒で食ってみてよ。それで気に入らなかったら――」

「いや、いいです」

「いやいや、今日俺が奢るからさ、とにかく試しに――」

「いいです」

「いや、俺さ、先輩なわけだしさ。先輩が勧めてるんだし、一個でいいから試しに、騙されたと思って――」

「騙す気なんですか?」

「いやー、こりゃ一本取られたな。騙すとかそういうんじゃないだよ。本当に旨いんだって」

「どんな風に旨いんですか?」

「いやね。ここの餃子、ニンニク油で揚げた豚の背脂が入っててね。噛むと肉汁が溢れてくるんだけどさ、これが凄いコクがあって濃厚なのよ。ま、ちょっと脂っこすぎるくらい。で、この酢胡椒が、その脂っこさをサッパリさせてくれて、コクと旨みが口の中に溢れるってわけ、どう?酢胡椒、試してみたくなっただろ?」

「いえ、大丈夫です」

「大丈夫って……いや、今日俺、奢るわけだし――」

「割り勘でいいです」

「おいおい、ちょっとそれは違うだろ?野々垣、俺は良かれと思ってこうして勧めてるのに、そんな言い方したら――」

「角が立ちますか?でも大丈夫です」

「いや、もうここまで来ちゃったらこっちが大丈夫じゃないわけよ。俺、先輩だし、今日奢るし」

「さっきからそこに戻りますけど、割り勘でいいです」

「俺、先輩だぞ」

「分かってます」

「じゃあ言うことを聞け」

「聞きます。仕事上のことは何でも。でも食事は自分の好きなようにさせてもらいます」

「野々垣!これはもはやただのランチではない。野々垣、改めて言う。酢胡椒で餃子を食え、これは業務命令だ」

「業務命令?どんな業務だっていうんですか?ただの食事が」

「ただの食事ではない!会社への忠誠心を示す儀式的業務だ」

「いや、そんなのブラック企業かカルト教団の発想じゃないですか。先輩、じゃあお先に頂きます」

「駄目だ駄目だ駄目だ!酢胡椒じゃなきゃ駄目だ!」

「……分かりました。正直に言うと僕、酢が苦手なんです。だから胡椒だけ掛けますからこれで勘弁してください」

「3ターン目」

「え?」

「その言い分が通用したのは、3ターン目までだ。もうここまでターン数を重ねてしまっては引き返すことはできない。野々垣、今後も俺と組んで仕事をしていくのならここは折れろ。酢胡椒で食うんだ」

「一個でいいんですよね?」

「5ターン目までならな。今は違う。すべて酢胡椒で食え。そして最後に飲むんだ。酢胡椒を」

「そんな……なんかエスカレートしてるじゃないですか?」

「野々垣、俺はこの3か月、先輩としてお前に付きっきりで指導してきた。そんな先輩の善意をお前は踏みにじったんだ。ところでな野々垣。俺、一人っ子なんだ。両親は共働きで夜遅くまで帰ってこなくて、寂しい子供時代を送ったんだ。俺、弟が欲しかった。お前みたいな弟が――俺、お前のこと、血の繋がった弟のように思ってる」

「……ありがとうございます」

「酢胡椒を飲め」

「いや、何すか今の泣き落としみたいなの?!っていうかいつから『酢胡椒を飲む』っていうミッションに変わったんすか?」

「もう餃子はいい。酢胡椒を飲め。ごくごくと飲んで見せてくれ。俺を信じてるって、証明してくれ。頼むよ義彦」

「下の名前で呼ばないでください」

「飲め」

「ヤメテくださいお酒みたいに言うの。分かりましたよ。一口だけなら我慢して飲みます」

「我慢して?違うだろ?美味しんだぞ酢胡椒は――だから美味しそうに飲め!」

「いや、それは脂っこい餃子と一緒に食べたらでしょう?酢胡椒だけ飲んでも酸っぱいだけじゃないですか?」

「そうだ。その通りだ。酸っぱいだけ。でもな自業自得だぞ。これはお前の招いた結末だ。2分前にお前が素直になっていたら、お前は酢胡椒で餃子を食うことができたんだ。でも今は違う。お前が俺を拒絶したから、俺の勧めを断ったばかりに、お前は酢胡椒を飲む羽目になったんだ。ハハハ……ハハハハハ……どうだ野々垣?可笑しいだろう?人間関係なんてこんなちっぽけな調味料一つでいつでも簡単にぶっ壊れちまうんだ。そう、その目だ。俺には分かる。お前はもう俺を尊敬していない。自分の我を押し通す我儘な人間だと、お前は俺のことをそう思っている。いいさ、そう思えば。でもな野々垣、これだけは覚えておいてくれ。俺はお前を愛している」

「……ごく………飲みましたよ。いいでしょこれで」

「野々垣……野々垣ーーー!」

「ちょ、いきなり大きな声ださないでくださいよ」

「成長したな今、今お前社会人として成長した。俺、嬉しいぞ」

「泣かないでください。いや、何でもありません。この人ちょっと情緒不安定で……すいません。お勘定お願いします」

「待て、野々垣!まだラーメン食ってないだろ?ここのラーメンな、この高菜を山盛り入れて食うと旨いんだ。やってみろ?」

「…………」

「やってみろ!やらないとまた3分後に俺が大泣きすることになるぞ。次は今みたいに甘い泣き方じゃない。旅行先で親とはぐれた子供みたいに大声で泣き叫ぶぞ!どうすんだ?野々垣?!」

「……食べます」

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