7分40秒小説『アカギ』
生まれつき喋れない犬だったと聞いている。
だから群れの中でも浮いた存在。人に飼われていたという噂もあって、それがもとで仲間から虐められていたとも聞く。闘犬の血が混ざっていると言う者もいる。
アカギがボスに決闘を申し出たことはない。歴代ボスは皆、自分からアカギに勝負を挑み、そして負けた。その度にアカギは群れのボスに担ぎ上げられ、そして本人の知らぬ間に、ボスの座から引きずり降ろされ、それに抗議するこない。であるのだが、アカギに代わってボスを僭称した者は、敢えて自分からアカギに勝負を挑み、そして破れる。そしてアカギはボスに返り咲く――その繰り返し。
本人の態度から察するに、迷惑千万といったようにも見える。しかし、彼の威容が、会下谷(えげだに)の野犬の群れの安全に大きく貢献していることは間違いない。他の野犬の群れもアカギが怖くて会下谷には近づかない、人間も同じだ。ともかく、群れに近づこうとするすべての者にとって、アカギという存在は脅威なのである。
今日も大岩の上で寝そべっている。歴代のボスが好んで座っていた座は、群れの集落の奥の洞窟の中にある。そこは夏は涼しく、冬は暖かい。しかしアカギは一度もそこに座ったことが無い。いつも大岩の上だ。そこは本来、警備当番の犬が、部外者の接近を見張るための高台として使っている場所だ。そこがお気に入りらしい。
「会下谷のボスはもうアカギじゃあない」
そう吹聴してまわっている犬がいる。夏が終わる頃に群れに加わった犬で、イシキバと自称している。本当の名前は誰も知らない。犬種もよく分からない。
アカギ程ではないが、体は大きい。しかし毛が洋犬のようにカールしていて、何かの雑種なのだろうが、よく分からない。喧嘩が強いタイプには見えないが、以前は別の群れのボスをしていたと自ら喧伝している。秋頃に近くにできたキャンプ場から、残飯を得るというルートを確保したことで、一気に群れの中での地位が上昇した。頭が良いらしい。人間の仕掛けた罠を見抜いて仲間を救ったこともあった。プライドが高く、アカギのことを認めていない。だからいつもお決まりのコース、つまり、アカギを差し置いてボスを自称するのは時間の問題であった。しかし、そこから先のルート、”アカギに挑んで負ける”をイシキバは選択しなかった。ただ皆に、アカギを無視すること、そして群れで貯蔵している食べ物を分け与えないことを徹底させた。
「アカギ、貴方はもうこの群れのボスではない。そこの大岩からどいてください。邪魔です」
アカギは何も言わない。
「群れを守っているつもりですか?いい気にならないでください。そこをどきなさい!早く!」
アカギは立ち上がり、のそのそと歩く。集落に戻るのかと思いきや、その逆方向に歩を進め、何も言わずに崖を下って行った。
「見なさい。あの後姿、惨めなもんです。これからは武力ではなく知略の時代です。今後は名実ともに、私、イシキバがこの群れのボスです。まずは歩哨の当番を決めます。この大岩に立ち、交代で外部からの侵入者が居ないか見張ります。ブチミミ、細かいシフトは貴方が決めなさい。ああ、待って!歩哨に立つのは常に2頭、1日3交代制とします。いいですね?」
迷彩服の若者が、望遠鏡を覗いている。
「おい、あの岩の上にいつもいるヤバそうな犬、最近見ないな」
「ああ、そうだな」
「やるか?」
「何を?」
「決まってるだろ?野犬狩りだよ」
「野犬狩り?」
「あれの出番だよ」
「あれ?」
「違法改造したガス銃だよ。流石にサバゲで使うわけにはいかないからな。でも威力を試したいって言ってただろ?」
「うん!いいねぇ。じゃあチームの全員に声を掛けようぜ。来週は、人対人じゃなく、人対犬だな」
「あはは、楽しみだな」
「イシキバ!大変だ」
「何事です?」
「人間が沢山来る!皆、手に何か持っている」
「どんな格好をしています?」
「葉っぱのような色の服を着ている」
「なるほど、分かりました。では”プランBを実行する”と幹部たちに連絡してください」
「プランB?」
「伝えれば分かります」
イシキバから連絡を受けた幹部犬たちは、かねてより選抜してあった強壮な若い犬たちを連れて、集落を脱した。
残されたのは、老犬や子犬、妊婦などである。
崖を、人間たちが登って来る。大岩まであと僅か。大岩を越えてしばらく行けば、群れの集落に達する。そこには戦う力も、逃げる脚力もない犬ばかりが残っている。
人間たちが、彼らに暴力を振っている間に、イシキバたちは安全な場所まで逃げ切るつもりなのだろう。群れの大半の無事は確保される。それが、イシキバが下した決断だ。
残された者のことを想い、悲しむものがいないわけではなかった。しかし、反対する者はいなかった。群れを存続させていくには、これが最善なのだと、イシキバが演説をぶったからだ。いや、本当は、皆が、イシキバの言葉を、都合よく言い訳にしただけだなのかもしれない。
大岩の上に、一頭の巨大な犬の姿があった。
「おい!見ろよ。例のあのヤバそうな犬!いるじゃねぇか?!」
「大丈夫だ。総員!構え!」
「ちゃんと狙えよ」
「眼いけ!眼!」
「撃て!」
一斉に弾が撃ち出された。近距離ということもあり、ほぼすべてが犬に当たった。
「おい、当たったよな?」
「ああ、当たった」
「でもあの犬、”キャイン”って言わないぜ。効いてないのかな?」
「そんなわけないだろ?!アルミ缶撃ち抜けるくらいまで威力を高めてるんだぜ!よし、もう一度だ!総員構え!」
「狙え!」
「撃て!」
再び無数の銃弾が、犬に向かって撃ち出された。そしてまた、ほぼすべての弾が、犬の体に直撃した。
「あれ……犬だよな?岩じゃねぇよな?」
「犬だろ」
「ちょっと変じゃないか?なんで弾が当たっても鳴き声一つ上げないし、倒れもしないし……逃げもしないし」
「なんか気味が悪いな」
「帰ろうぜ」
「駄目だ!撤退は許されない。総員構え!」
その時だった。
崖の下から声がした。犬の声だ。吠えている。無数にいる。若くて強そうな犬が群れをつくって、崖の下を埋め尽くしている。
「やべぇ!逃げ道を塞がれた!」
「慌てるな。退却だ!俺に続け!」
退路を断たれることを怖れた人間たちは、群れを避けるように、崖を斜めに突っ切って下り、逃げて行った。
「アカギ、なんで戻ってきたのです?」
大岩の上で倒れて動かないアカギを見下し、イシキバが言った。
「私が仲間を見捨てると思ったのですか?馬鹿馬鹿しい。貴方のしたことは無意味です。ま、多少の時間稼ぎになりました。一応礼を言っておきましょう」
アカギは動かない。眼を剝いたまま、イシキバの耳の横に浮かんでいる、白い月を見つめている。
「致命傷です。もう幾ばくも無いことでしょう。ツメナシ!アカギの死を確認したら、キャンプ場の近くに棄てて来なさい。後始末は、人間たちに任せます」
俺は、イシキバの命令を守らなかった。
キャンプ場とは反対の林の奥に一点だけ拓けた場所がある。そこにある大きな岩の近くに、死体を埋めた。朝の短い時間だけ陽が差し、岩を照らす。
俺は自分のやったことを誰にも告げずに、以来密かに通い、黙祷を捧げた。しかし暫くして、仲間の何頭かにバレてしまい。それからは皆で集っては、大岩に向かって黙祷を捧げるようになった。
そのことをアカギは、どう思っているのだろうか?
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