5分0秒小説『二つの涙と天使のお話』

 或る処に、二人の涙が居ました。涙の一人が言いました。

「僕はドウシテ生まれたんだろう?」

 

「え?」

「生まれた理由さ、知りたくはないかい?」

「私たちが生まれた理由なんて、どうせ……」

 透明な身体を捩らせ、溜息のイントネーションで「ありふれた悲しみ、もしくは哀しみよ」

「例えば?」

「ペットや愛する人を亡くしてしまったとか、病気になったとか、合格出来なかったとかね」

「それはありふれたこと?」

「世界には、一分間に数千か数万、いやひょっとしたら億を超すかもの数、私達が生まれている。悲しみに満ちた人間の目、ありふれたことでしょ?」

「数が多いからと言って、ありふれてるとは限らない。嬉しい涙や複雑な涙もあるわけだし」

「例えば?」

「想いが通じたとか、子どもが生まれたとか、出会い、再会。復讐を誓う涙。ライバルの成功に、悔しさと祝福の入り交じった涙を流すことも或る」

「それはそうかもね」

「どう?知りたくなった?」

「そうね。知りたいわね」


 涙の近くには、たいてい天使がいるものですが、その時もそうでした。二人の会話を聞いていた天使が言います。

「涙って、ドウシテ自分の生まれた理由を知りたがるんだろう?ま、どうでもいいけどね。理由を知りたいなら、見せてあげようか?」

「親切?」

「いや、仕事なんだ」

「生まれた理由を教えるのが?」

「そう、それがボクの仕事。大忙しさ。さっそくだけど今から見せるね」

 天使の頭上の大気が霞んで、何やら映像めいたものが見えます。


 女の人でした。白い壁に白いシーツ、ベッド、横たわっています。お化粧はしていません。


「天使さん、これは僕の生まれたときの?」

「いやちがう。女の子の涙の方のだよ」


 白い服を着た人、二人、部屋に入って来ました。お医者さんと看護婦さんです。お医者さん、目を伏せて、ボソボソと何か言ってます。看護婦さんは、赤ちゃんを抱いています。ベッドて寝ている女の子の人、身体を起こし、愛おしそうに赤ちゃんを見つめています。看護婦さんが赤ちゃんを手渡しました。赤ちゃんは動きません。冷たい様子です。小さすぎる顔、紫。女の子の人は、赤ちゃんの頬に頬を重ねて……


「ヤメテー!」

 叫びました。

「私、私、嫌。そんな理由、知りたくなかった。悲しすぎる。辛すぎる。私には……」

 天使は淡々として、「ありふれてることさ。でもその人にとっては、世界が壊れるよりも、悲しいことかもね。じゃあ次は君の番だね」

「僕は、知りたい。どんなに悲しいことでも、僕は受け入れる。だって僕は涙だから」

 天使は言います。「じゃあこれを見て」


 男の人、まだ子どもです。見ている先に黒板、チョークを振り回しながら、白い髪の男の人、口をパクパクさせています。男の子は、ノートに落書きをしています。羽の生えた兎。チョークが黒板に押し付けられて、白い粉が窓から刺す光に綺羅綺羅と滞空します。男の子は大きな大きな欠伸をしました。


「以上です」


「え?」

「これが、君の生まれた理由さ」

「え?でも男の子が欠伸をしただけで……」

「そう、そういうこと。じゃあボク、次があるんで」

 天使は何処かに飛んで行きました。後に残ったのは二粒の涙。


「私はひょっとしたら、世界一悲しい涙かもしれない」

「僕は、世界一意味の無い涙。生まれた理由、ありふれてさえない。悲しみも喜びも怒りもない」

 二人は顔を見合わせます。

「僕はもう蒸発するよ。僕に意味なんてなかった。僕は涙じゃなくてただしょっぱいだけの液体さ。じゃあさようなら」

「まって!」

「ごめん。もう耐えられないんだ。存在していることに。このまま消えさせてくれ」

「私を置いて行かないで、私、悲しすぎる」

「君は、そうだろうね。でも僕にはそれすらも羨ましいよ」

「違うの、聞いて、そうじゃないの。私、生まれた意味なんて考えたこともなかった。あなたに出会わなければきっと、何も知らないまま蒸発していた。確かに、私の生まれた理由は悲しい。でも、それを知らないまま消えていたらと思うとゾッとする。生まれた意味を知らずに消えることは、生まれなかったのと同じだもの。私は」

 透明な身体が揺らぐ、光が透けて。

「私は、あなたがこのまま消えてしまうことが、悲しいよ」

 まっすぐな虹が差した。

「僕が消えると、悲しい?」

「そう、悲しいの。涙が出るくらい」

「おかしいね。涙が涙を流したら、世界は悲しみの洪水で沈んじゃうよ」

「そうね、きっとそうね」

 二人は笑いました。そうして寄り添いました。二つの透明な身体はくっついて、大きな一粒の涙になりました。そうして誰かの頬に滑り降りて、何処かに流れていきました。


 天使はキューピットでした。

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