6分20秒小説『お茶漬け的』

 しこたま飲む、食う。半ば強要、ある種の拷問だ。


 俺は酒を飲むときは飯は食わない派だが係長の同級生のお店、焼き肉屋のオープン記念、箸を付けないわけにもいかず、酒で膨れた腹に無理矢理肉を詰め込んだ。肉は当分食いたくない。見るのも嫌だ。あいつには悪いけど、今日の晩飯は無しにしてもらおう。


 最近料理学校に通い始めた妻。何故だろう?もう新婚というわけでもないんだけど、毎日違った料理を食卓に並べられると、なんだかあの頃を思い出す。俺が食べるのをじっと見て、反応を伺っている様子が可愛い。数か月前には、お互い「離婚」という文字を脳裏に描いていたはずなのに、可笑しなもんだ。

 今日も、手の込んだ料理が準備されている筈だ。だけど――あいつには悪いけど、今日の晩飯は無しにしてもらおう。いや、お茶漬けくらいならいけるかな?うん、そうしよう。お茶漬けだ。とにかく何か食おう。習慣は崩したくない。二人の絆、今となっては晩飯だけだ。


「ただいま」

「おかえり、遅かったのね」

「line入れただろ?係長の同級のお店でしこたま飲まされちゃってさ――」

「そう、じゃあ、ご飯はいらない感じ?」

「ごめん。あれだったらさ、明日の弁当のおかずにしてくれよ。あ、何か『お茶漬け的な物』食いたいな」

「うん、了解。すぐ支度する」


 今の反応、ちょっと可愛かったな。食後、食器洗いを手伝うことが、いつの間にか我が家では「今夜欲しいの」の合図ということになっている。なんだか食器を洗いたくなってきた。


「おまたせ」


テーブルの上に置かれたお茶碗から湯気一筋、立ち昇り鼻腔に満ちる。

「う、これ――」

「牛肉のしぐれ煮茶漬けよ」

「ぎゅ、牛肉の――」

「しぐれ煮茶漬け」

「マジか……」

「どうしたの?」

「うん、いや、ちょっとね」


 牛肉……何故、牛肉を乗せた?

 俺ははっきりと『お茶漬け的な』ものが食いたいと言ったはずだ!『お茶漬けが食いたい』と言ったのなら、これを出されてもしょうがない。だがちょっと待って欲しい。『お茶漬け』と『お茶漬け的』の間には。大きな壁がある――アメリカと中国の間にある隔たりほどの巨大な壁だ。

 『お茶漬け的』という言葉のなかに、『沢山は食べれないし、こってりしたものじゃなくてさっぱりしたものが食べたいなぁ』という意味が込められいることを、どうしてこの女は汲み取れない?それどころか、何故普通のお茶漬けでなく、ちょっとこってりに寄せたお茶漬けを出してくるのか?

 駄目だ。このままでは今頭の中にある文字、全部吐き出してしまう。そんなことになったら以前のような冷たい夫婦関係に逆戻り――例えるならアメリカと旧ソ連のような冷戦状態に突入だ。

 だが食べられない。今食ったら絶対吐く。『美味しんぼ』の山岡史郎が羨ましい。初見の店で――「これは食えないよ」と言い放つあの勇気、少し分けてほしい。


「どうしたの?食べないの?」

「いや、うんちょっとお腹いっぱいで」

「え?お茶漬け欲しいていうから作ったのに――」

「いや、そうなんだけどさ。これお茶漬けじゃないじゃん」

「は?」

「俺さっき言っただろ。『お茶漬け的なものが食いたい』って、その意味をもう少し考えてくれよ」

「はあ?!何言ってんの?『お茶漬け的なもの』っていうから、普通のお茶漬けじゃなくて、ちょっとアレンジしたんじゃない。普通のお茶漬けが欲しいなら、『お茶漬け食いたい』って言えばいいじゃないの?!」

「いや、ちょっと待てよ。そうじゃないんだよ。『お茶漬け的』っていうのはその、物質的な意味じゃなくて、精神的な意味で言ったんだ。つまり『さっぱりしたもの』の総称として、俺は言ったの!」

「知らないわよ!で、食べるの?食べないの?」

「そのどっちでもない。『食べれない』んだ。さっき死ぬほど肉食って吐きそうだから」

「だったら、初めから『何もいらない』って言えばいいじゃない」

「いや、そうなんだけどなんか、なんも食べないにもなんか、アレだなって思って――」

「アレって何よ?」

「アレはあれだよ!兎に角ゴメン。食えない。食ってトイレで吐くより、はっきりと食えないと宣言したことが、俺の精いっぱいの誠意だ」

「意味わかんない!『お茶漬け』作れっつっといて、作ったら『食わない』って、それのどこが誠意なのよ。頭オカシイだけじゃん」

「それは言いすぎだろ」

「言い過ぎじゃないわよ」

「もういい。兎に角食えないから」

「じゃあ出ていく」

「は?」

「食べないんだったら出ていく」

「ちょっと待てよ。なんで、お茶漬けくらいで」

「『お茶漬けくらい』?ああ、あなたには『お茶漬けくらい』なんでしょうけど、私がどういう思いで料理しているのかあなたには分からないのね。じゃあ、さようならっ !」

「ちょっと待てって!」


 引き止めた手を振りほどき、鞄一つ引っ掛けて床をどんどん踏み鳴らす。追い掛ける気にもならない。テーブルに着いたまま、ドアがバタンと大きく鳴るのを聞いた。


「『どういう思いで料理しているか』分かってるよ。だから俺も、色んなお誘いをできるだけ断って、飯だけは家で食うようにしてるんじゃないか。馬鹿が」


 腹が立つ。腹が立ってしょうがない。腹が立ったせいか、少し小腹が空いた。目の前には、罪のない一椀の茶漬け――食うか。


 ず……ずずず。


「ん?」


 驚いた。見た目と違ってさっぱりしている。肉と言っても赤身の肉しか使っていないのだろう。味付けも薄味。さらにしっかりしょうがが効いている。


「旨い。むっちゃ旨いじゃないか、畜生っ!」

「でしょ?」

「わっ!い、居たのか?」

「出て行った振り。絶対に食べると思って観察してた」

「観察?!俺は昆虫かなんかか?」

「ごめんなさいは?」


 言えない。俺だってプライドがある。沽券と言い換えてもよい。だが譲歩してこれだけは言おう。


「ご馳走様でした」


 笑った。俺もつられて。


「あのー、今日俺、食器洗うから」

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